米子専門大店

2007-07-25 07:05:51 | 島根・鳥取




 大正13(1924)年頃に建てられたRC造のビルディング。 米子初の貸しビルだそうです。 当初は三井物産と米子銀行が借り、次いで日本海新聞、そして昭和24(1949)年から現用途になりました。 米子専門大店というのは良く分からない企業名だなと思って調べてみたら、どうやら米子の商店の協同組合のようなものらしいです。 パラペットに旧米子銀行の記章があるのは建設時からのものであり、当初から米子銀行に貸す目的で建てられたと推測出来るとの事。  鳥取県米子市道笑町1-111  06年11月上旬

 ※本文に加筆修正をしました。

旧都野津町役場

2007-07-18 07:13:05 | 島根・鳥取





 現・都野津会館(昭和12年 1937)。 建築には基本的には疎いのですが、この時代の建物にはスクラッチタイルの外装が本当に多い気がします。 流行とはいえ年代の特定には非常に役立ちますね。 私は見ていて気付かなかったのですが、屋根には赤い塔屋がある(?)のでしょうか。  島根県江津市都野津(つのづ)町2088  05年09月下旬他

源光寺

2007-07-05 07:05:53 | 島根・鳥取



 大正3(1914)年築(?)のお寺さん。 下見板の教会は結構見かけますが、寺院というのはあまり見た事がありません。 内部は見ていないのですが、やっぱり畳敷きになっているのでしょうか。  島根県出雲市(旧平田市)灘分町  05年09月下旬

 ※追記  解体されたようです。 大正11(1922)年築という資料もありました。

智頭消防団本町分団屯所

2007-06-04 07:10:35 | 島根・鳥取




 「智頭宿」で知られる智頭町には、登録有形文化財になっている建物がいくつかありました。青森など東北にある屯所とは少し趣が違いますが、こちらの屯所も街のランドマークとして地域住民には親しまれていることでしょう。昭和16(1941)年築。 鳥取県智頭町智頭568、569  06年11月上旬

米子測候所

2007-03-16 07:01:43 | 島根・鳥取


 昭和14(1939)年築。 米子工業高校に近接しており予想以上に大きな建物でした。 もちろん現役の施設ですが、平日なら見学も出来るようです(電話確認が必要です)。  鳥取県米子市博労町4-325  06年11月上旬

 ※10年05月再訪。 どうやら解体される様子でした↓

旧岩井小学校

2007-03-05 07:08:47 | 島根・鳥取




 明治25(1892)年築の擬洋風木造校舎。 岩井温泉の端の方に位置します。 小学校が移転した後は村役場や、1階が芝居小屋で2階をアパート、あるいは工場などとして使用され現在は廃墟状態。 外部は比較的原型を留めていると思いますが、内部はかなり改造されているであろう事は想像に難くありません。 このまま朽ち果てるのに任せていいのでしょうか。  鳥取県岩美町岩井450  06年11月上旬

旧江尾発電所

2007-03-02 07:09:02 | 島根・鳥取




 日野川沿いの石造の旧発電所は大正8(1919)年に山陰電気によって建てられ、米子方面に電気を供給していました。 昭和52(1977)年に稼働を停止した後は平成2(1990)年に江府町に無償譲渡され、現在は倉庫として使われているようです。 江尾は「えび」と読むようです。  鳥取県江府(こうふ)町久連500-2  06年11月上旬他

 ※本文に加筆修正を行いました。

仁風閣

2007-02-19 07:11:54 | 島根・鳥取











 鳥取池田家当主・池田侯爵により、皇太子時代の大正天皇の山陰行啓の宿泊所として建てられた白亜の洋館(明治40年築 1907)。
 設計は片山東熊と云われますが、棟札(むなふだ 建築年月や工事関係者の名前が書かれた板で、棟木に打ちつけたもの)に彼の名前が無いらしく、彼の後輩で鳥取出身の橋本平蔵(実際の工事監督)に助言する程度だったのではないかと云う説もあります。 というのも東熊はこの時期、旧赤坂離宮にかかりきりで手が回らないはず、というのが根拠らしいのですが実際はどうだったのでしょう。 仁風閣(じんぷうかく)の名前は、皇太子に随行した海軍大将・東郷平八郎による命名で、階段を上がった2階ホールに今もその書が掲げられています。

 お気付きかと思いますが、朝(9時過ぎ)と夕方(17時前)の2回訪問して写真を撮っています。 日中は正面からの撮影は逆光になってしまうからですが、結果的に表情の違う写真が撮れましたので掲載致します。 単純に建物が素晴らしかったから、というのもありますが。
 最後にエピソードをひとつ。2階御座所の暖炉に装飾タイルが貼られているのですが、そこにある図柄は向かい合う男女の人物像。 向かって左に女性、右に男性。 つまり燃え上がる炎を間に挟んで、男女が見つめあう・・・というもの。 象徴的でなんとも悩ましく、ロマンチックな話ではないでしょうか(この辺りの話は「日本タイル博物誌」 INAX出版 91年 に綺麗なカラー写真と共に紹介されていますので是非ご覧になってみて下さい。 良書です。 管理人はこのエピソード、見落としました・・・)。  鳥取県鳥取市東町2-121  06年11月上旬

トラヤ

2007-02-12 08:42:05 | 島根・鳥取





 川沿いに建つ昭和7(1932)年築の紳士用品店(倉庫?)。元は山陰道産業という大陸との貿易を行っていた商社の建物だといいますが、それぐらいしか情報が無く詳細が分かりません。細部にも色々と見所が詰まった建物なのですが、何と言っても(どうしても)目がいってしまうのはコーナーの窓枠にはめ込まれた8枚のレリーフ。少年(?)の物語(??)はキッチュな様相とあいまって、見る者を無限のスパイラルに惹きこみます・・・。写真が若干ピンボケしたのは、笑いをかみ殺しながら撮影したから、です、きっと。  島根県松江市東本町  06年11月上旬

 ※2020年12月記事修正。

旧松江銀行本店

2007-02-04 09:19:41 | 島根・鳥取





 現・なかむら館(明治36年築 1903)。 平成12(2000)年に現在地に移築され企業施設として使用されているようです。 てっきり石見銀山のある大森町の町並みの中に在るのかと思っていましたが見つからず、諦めてホテルに向かおうと車で少し走ったところで運良く見つけました。 はっきりした住所がつかめずかなり探し回ってしまい、下調べの重要さを痛感した物件です。  島根県大田市大森町イ145-1  05年09月下旬他

 ※追記 『中国地方の西洋館』に、当初は松江市内で安濃銀行、次に松江銀行、移築され山陰合同銀行、そして大田市市庁舎第一分室になったと記述がありました。

御前湯

2007-01-21 09:08:00 | 島根・鳥取




 美人・美肌の湯として有名な有福(ありふく)温泉。 およそ1350年前に発見されたという小さな温泉地は、山肌に沿って建物が所狭しと並んでいます。 入り組んだ階段を登って辿り着いた御前湯(ごぜんゆ)の建物は昭和5(1930)年に建てられたもので、地元の人間のみならず訪れた者みんなが愛着を持てる公衆浴場であり、疲れを癒しながらゆっくりと温まる事が出来る冬の日の日溜りのような所です。  島根県江津(ごうつ)市有福温泉町  05年09月下旬他

横田相愛教会

2007-01-11 07:55:00 | 島根・鳥取



 赤い尖塔がひときわ目を引く教会。 救世軍横田小隊会館として大正12(1923)年に建てられたもの。 旧名称のイメージから、なにやら軍隊関係の建物なのかと思って調べてみたところ、救世軍と言うのはキリスト教の教会の名前であって、その組織の編成に軍隊のような仕組みを採用しているらしいです。 即ち、教会を小隊、小隊の責任牧師を小隊長、信徒を兵士と呼称して活動するというもの。 ・・・中途半端に調べてみたところますます分からなくなってしまいました。  島根県奥出雲町横田924  05年09月下旬
 
 ※現役の教会ですので見学の際は充分なご配慮を願います。

小鹿谷公民館

2006-11-25 06:11:19 | 島根・鳥取





 小さな集落のはずれにかつての鳥取家庭裁判所の建物(昭和3年築・1928)が移築されています。 この日は子供達の集まりがあるらしくスピーカーがそのことを告げている。 傍らで写真を撮るここでは異邦人でしかない私に、臆面も無く朝の挨拶を投げかけ建物に飛び込んでいく子供たち。 朝の静寂を打ち破る彼らの賑やかな喚声が外にも漏れ出している。 ここには忘れかけていた昔ながらの日常があるのかもしれない。 こんな情景がいつまでも続けばいいと心から願った。  鳥取県湯梨浜町小鹿谷(おしかだに)261  06年11月上旬他

山陰合同銀行根雨支店

2006-11-07 07:39:53 | 島根・鳥取




 昭和4(1929)に雲陽実業銀行根雨支店として建てられ、昭和6(1931)年に松江銀行、昭和16(1941)に現在の山陰合同銀行となりました。 鳥取の「県民の建物100選」にも選ばれている立派な建物です。  鳥取県日野町根雨466  06年11月上旬他

 ※本文に加筆修正、写真の追加変更を行いました。