坊主の家計簿

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 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

「敵」の声

2020年06月06日 | 坊主の家計簿

大阪府に高速道路以外に1km以上信号や「とまれ」がない道路って何ヶ所ぐらいあるのだろ?そんな事を名古屋尾鷲の帰り道に、ふと思いました。


久々の県外ツーリングは、とても気持ち良くて、かなりのストレス発散になったと思います。大阪は狭く、人口密度も高く、渋滞も多く、バイクで走っていてもストレスが溜まるだけです。他に趣味があれば良いのでしょうが、子どもの頃より「どっか行きたい」と、自転車に始まり色々な旅行が最大の楽しみであった私にとっては、地味に大変なコロナ禍でした。かつ、ほぼ引き篭もりで動けない状態が多く、動けるようになっても「県外に出るな!」という事は物凄くストレスが溜まります。


でも、これは他の人たちも違う形で感じている事だと思います。


何やら、つるの剛士が「普通の声で」とツイートした事が話題になっているみたいです。


怒っている人にとっては激しい言葉が「普通の声」なので、何が「普通の声」なのかは不明ですが、「穏やかな話し方」と仮定します。でも、怒っている人は、怒らざるを得ない状況下にあるから怒っているワケであって、「怒っている人に対して『普通の声で』という意見こそ暴力的だ」という意見もあったりします。


私はひょっとすると元々の感情がかなり壊れている部分があり、一応、文学なり宗教なりで後付はしているのですが、今もかなりあると思います。

その上での話なんですが、弱い連中や利害関係がない人たちが怒ったとして何か影響ある?と素朴に思います。

例えば、ヤクザが怒ったら私はビビリます。ええ、純粋に怖いです。また、好きな人に怒られると素朴に怖いです。嫌われたくないですから。今は無職ですが、職場の上司や同僚などもこの中に含まれます。あとは怖くありません。

目の前で激しく怒られた事も何度もありますが、感情が欠如しているのか、「だって、お前、俺を殺せないやろ?」と思います。当然、腹が立ちますが、変な話、私を殺す覚悟がない人間に怒られても怖くありません。


故に、怖くない人間の言葉に説得力が無ければ聞く必要がありません。ただ、私は議論が好きですし、私とは違った意見であったとしても納得出来れば賛同します。

ネット上ならば特に顕著で、ほぼ見知らぬ人たちですから、全く怖くありません。純粋に論として納得出来るかどうかだけの話です。激しい言葉は「あ、ムキになってるwww」だけの話です。そんな事でビビっていたら、ネットなんか出来ません。「私を説得したいのならば、キチンと論を立てて話せ」だけです。


それは人によって色々と違う事だと思います。ただ、激しい怒りの声を上げても、「通用しない相手がいている」という事も確かです。そんな事は歴史が証明しています。仮に相手に通じたならば、そこに何かしらの利害関係が生じただけです。いわゆる権力者なんて、そんなものです。数万人が激しくデモで怒りの声を上げても、民主主義国家はその他圧倒的多くの「声なき声」があるワケであって激しい言葉に従う必要はあってはなりません。それは、テロに屈する事です。


当然、怒った感情を隠す事も良くないと私は思いますし、怒りの声はナンボでも上げるべきです。ただ「相手に解って欲しい」ならば、話は別です。相手が納得出来るような話し方をすべきであり、相手との妥協点も探るべきです。それが出来ずに怒っているのは、単なる議論出来ずにプライドだけ高いガキです。

そして、同意見のガキが集まって一つのセクトになり、カルト化して行くだけです。そこでストレス発散をしているだけです。故に、様々な妄想が広がり、「マスゴミ」と呼んだり「日本では真実が隠蔽されている」とカルト化が進んで行っています。


「ネトウヨ」

「ブサヨ」

という言葉がありますが、レッテルを貼った人からの賛同を得ようとせずに、所詮は「私(たち)は正しい」という内部向けの言葉でしかありません。

そして、それがコロナ禍というストレスで益々悪化しているように思います。


阪神大震災からのオウム事件で「敵」「味方」というカルト化が進み、東日本大震災福島第一原発事故で悪化しました。そしてコロナ禍で益々悪化しているように、私は感じます。


10の意見を聞いた後に、11目の意見を作り出すのか、それとも10の意見の中での大きな勢力を占めている所に意見を合わせるのか?


「異議なし!」という言葉が昔に運動系で流行りましたが、「異議なし!」を安直に使うからカルト化して、集団リンチなりテロが行われたわけだったりする。


自分で考える事が出来る脳味噌は誰にもあり、それは拙くても何でも構わずにあるワケであって、1112と、どんどん増えて行く事が、とても大切だと思う。人格の数だけ「異議あり!」が大切だと思う。

そして、「個」があり、故に、同意見の部分は連帯する、と。違う意見の人たちをみとめつつも、その違いに優劣はなく、故に、自分の意見に賛同して貰いたければ、相手に合わさないと。


僕の話を聞いてくれ

笑い飛ばしてもイイから

by『チェインギャング』真島)


だと思う。


「この教えが絶対に正しいんや!」と大上段からいう坊主には、同じ信仰であっても「そんなもん知らんわ」と、私は言う。ただ、私を尊重し、丁寧に話かけて来た人たちが多くいたから聞く耳を持てただけの話。他人のストレス発散の犠牲になる筋合いを私は一切感じない。