坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

北朝鮮に自衛隊

2014年07月02日 | 坊主の家計簿
 「拉致被害者を救出する為に北朝鮮に自衛隊を派遣せよ!」という意見があるが、実質、それは戦争になる。故に、自衛権を解釈したとしても、現状は歯止めがかかっている。故に外交の問題で解決して行くしかない。

 だが、拉致被害者救出の為の法改正として

【例えば、自衛隊法八十四条の三に「在外邦人等の輸送」とあるのを「邦人の救出」に変えるとか】
http://www.yobieki-br.jp/opinion/araya/ara_zie_rachi.html

と、元自衛隊の荒谷卓氏は仰っている。
 今回の閣議決定は

【(イ)自衛隊の部隊が、領域国政府の同意に基づき、当該領域国における邦人救出などの「武力の行使」を伴わない警察的な活動を行う場合には、領域国政府の同意が及ぶ範囲、すなわち、その領域において権力が維持されている範囲で活動することは当然であり、これは、その範囲においては「国家に準ずる組織」は存在していないということを意味する。】
http://www.huffingtonpost.jp/2014/07/01/right-of-collective-self-defense_n_5549648.html?utm_hp_ref=japan

と歯止めがかかっており、また、韓国政府も

【朝鮮半島の安保や韓国の国益に影響を及ぼす事案では、韓国の同意がない限り、日本の集団的自衛権行使は「決して容認できない」と強調した。】
http://www.asahi.com/articles/ASG716FJBG71UHBI032.html

と。
 当然、日本が米韓の同意なく拉致被害者を救出しに自衛隊を派遣する事など不可能であるが、

【安倍首相に提出された有識者懇談会の報告書では、在外自国民の保護・救出に関連し、「領域国の同意がない場合にも(中略)ほかに救済の手段がない場合には、自衛権の行使として許容される場合がある」と記述された。これは自衛隊による北朝鮮の拉致被害者救出を念頭においているとされる。】
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/05/19/2014051901845.html

という議論があった事や、今回の閣議決定でもわざわざ決定された「動き」だある事は注意すべきだと思う。

座から問われる

2014年07月02日 | 坊主の家計簿
 『ブットンくんぬりえ』という素敵なものと一緒に帰敬式の冊子が送られて来た。

【せっかく人間に生まれてきたのです。ただ自分の思いだけに生きて夢幻のごとく老い死んでいくのではなく、仏・法・僧に帰依し聞法していくことによって、自我の妄執に縛られ振り廻されていることに目覚め、思いを転じて、量りなきいのちと光の世界へ生まれ変わっていく、明るく生き生きとした人生への入門式である「帰敬式」を、できるだけ早く受式されますようお勧めいたします。】(冊子より。藤井善隆先生)

 仏弟子としての名告り。
 単なる「私は南無阿弥陀仏に帰依します」だけでも構わないが、あとは業だと思う。私には「南無阿弥陀佛に帰依します」だけでは弱かった。それが故に得度し、僧侶になった。当時よく思い出していた言葉は長州力の「誰か俺を縛ってくれ!」だった。そして僧侶という名告りを上げる、社会的身体として周囲からも『僧侶』として見なされる。「あんた坊さんやねんからもっとしっかりせなアカンで」と。そういう時に「いや、真宗は僧侶も門徒も同じですから」というのは逃げであって、あくまでも自分が名告った、自分自身が座っている座から問われる。

 念仏は学業ではない。だが、多く学んで居られる方々を見ると、当然それは社会的な仕事としての側面もあるのだろうが、「この人はどこまで深い業があるのだろうか?」と感じてしまう。それが故に教えを聞かざる学ばざるを得ないのだろう。

 今の私は住職である。住職修習の時にうろ覚えだったが反芻していた言葉は

【我々は寺の住職というわけですが、その住職は正覚阿弥陀法王の善力住持というところからくるわけです。すなわち住持職です。よく大衆を住持することのできる者のことで、これは阿弥陀如来のことです。だから、我々が住職を名告るとか呼ばれるとかいうことは実は値しないものが、その名を名告りその名で呼ばれるということで、そこには深い懺悔があることです。】(竹中智秀先生『いのちの願いに聞く七章』142ページより)

 である。