坊主の家計簿

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ヒステリー状態

2011年06月16日 | 坊主の家計簿
 丸山照雄が死んだ。え~。。。日蓮宗的にはどういうのだろうか?まあ、死んだ。

 http://mainichi.jp/select/person/news/20110615k0000m060042000c.html

 丸山照雄といえば、僧侶になる前後ぐらいより先輩達に教えられた名前であり、本も数冊読んだ。
 で、どういう人であったかというと、『東京電力の本社前で祭壇を組み、呪詛のデモをして、で、実際に東京電力の幹部が次々と死んで行った』みたいな事をやった人である。
 え~。。。過激である。過激であるのだが、その過激さが若い私の血にマッチングして「おお、カッチョエエやんけ」なんぞと思ったりしたもんだ。
 
 大谷派の同朋会運動にも深い関心を持っておられ、え~。。。いつ頃から離れたのかは知らないが、当初は結構応援していたはずである。っちゅうか、らしい。
 
 んが、そういう「過激な極左」のイメージしかなかったのだが、よく考えてみると、これまた読んだには読んだのだが、内容を一切憶えていない『不安に立つ 親鸞・日蓮の世界と現代』という本になって出版されている、大谷派の高僧(そんな言葉はないが、まあ解り易く)・安田理深先生と、日蓮宗の高僧・ 茂田井教亨氏の対談をセッティングしたのが丸山照雄だった。
 そう考えると、この『運動』は凄い。
 日蓮は主著である立正安国論の中で法然門下をボロクソに批判している。法然門下も日蓮を襲撃していたりする。その両方の立場の教学のトップ(?)が対談したわけだ。それをセッティングしたのが丸山照雄である。この運動は凄い。丸山照雄死んだ記念に本を買って(母校の図書館で読みました)読んでみたいのだが、まあ、一晩寝れば忘れているだろう。

 今日は御仕事忙しい日。夕方までみっちり。
 合間、合間の休憩にツイッターをチラホラ。何やら枝野官房長官が先日未明の4号機の火災を認めたとかなんとか。で、それを「なんでマスコミ各社は報道しないのか!」とかなんとか。この「何故、マスコミ各社は報道しないのか!」がある時は、だいたいにおいてデマの場合が多いのだが、帰宅して調べる。
 え~。。。今日(6月15日)のニュースでなく、3月15日のニュースね。どうやら『軽く』調べた程度の話では、誰かがソースなしに「枝野が発表した」と情報を流して、そのツイッター情報がソースになって情報が流れまくった。その上に3月15日の記事が「これかな?」みたいな感じで加わった。で、3月15日の記事を日付や服装(当時は作業着)も確認せずに流れまくった。

 え~。。。これを『集団ヒステリー状態』と言わずして。。。(笑)

 何やら

【「集団ヒステリー」発言を批判=福島社民党首】(http://www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa&k=2011061500352

 らしいが、

【「自民党は命を大事にしたい人々の気持ちを全く理解できない利権政党だ。生身の生き物の感覚から本当に遠くなっているのが自民党政治だ」】(上記リンクより)

 らしいが、上記リンクの記事だけでしか知らないが、何故、石原幹事長の言葉を自民党の言葉にすり替える。ヒステリー状態なのか(笑)河野太郎は自民党でっせ。

 まあ、社民党・福島瑞穂は、あ、この『福島瑞穂』って、天皇みたいな名前やな。『福の島の瑞穂』って、モロ天皇の名前やんけ。まあ、ご本人は絶対にイヤだろうが。
 あ、福島瑞穂は政治家なので、政治家的発言である。社民党は民主党に近いし、っちゅうか、合併してもエエような気もするのだが、支持者の複雑な人間関係なんぞもあるのだろう。よう解らんが。

 福島瑞穂は政治家的発言なので、「まあ、いつもの事やのぉ。。。」である。
 なんだが、え~。。。集団ヒステリー状態っちゅうのは、まあ。

 ツラツラとツイッターを眺めてたら、「鼻血や下痢が心配なら病院に行け」なんぞという非常に冷静な意見が。あ、放射能汚染の心配でね。

 まとめサイト。
 http://togetter.com/li/149654

 え~。。。「低線量被爆の経験のある医師は少ない」から病院に行くのがイヤならば、松田優作の連れ合いの所にでも行くのか(笑)広瀬隆とか(笑)
 まあ、私的には「んなもんはホルモン喰って、天下一品のこってりラーメン喰って、酒でも飲んで治せ。」なんだが、え~。。。大真面目に新手の危険なカルト系新興宗教が流行だしそうな気がする。だって、んなもん、高価な壷を買うとか、高価な御札を買うとか、高価な祈祷をして貰うとか、そういう路線が今までのスタンダード(え~。。。言葉の使い方、多分間違っています)だったのではないのか?

 まあ、自民党の石原幹事長はイタリアから抗議を受けたらエエ。
 あと、国内の反原発・脱原発の動きを『集団ヒステリー状態』と呼ぶのも、「そういう方々が居ている」なんぞと言った方が適確だろう。福島瑞穂とかずっと反原発・脱原発をやっていた人は、特に飯田哲也なんぞはヒステリーの欠片もなく冷静に運動しとるやんけ。「最大のチャンス!」でっせ。

 で、これも原発被害なのだ。間違いなく。
 「そんなの知らん。勝手にヒステリー起こしとるだけやんけ」では、多分、済まない。精神的苦痛だ。精神的苦痛、不安で、ヒステリー状態にならざるを得ないのではないのか?

 自民党石原幹事長がどういう気持ちで発言したのかは知らないが、どうせなら『自民党幹事長』として、「今回の原発事故で集団ヒステリー状態の方が居られます。これは全て民主党政権による原発事故処理の不手際の証明ではないのでしょうか?総理、今現在、こういうヒステリー状態の方が居られる事をどうお考えなのですか?」なんぞと国会で質問すりゃ良かったのに。

 夜のニュースで自分でガイガーカウンタを買って、子どもが遊ぶ公園なんかを調べてはった人が居てはった。そりゃ、不安やろ。あ、領収書は置いといた方がエエぞ。

 弱いのだ。アッタリ前ながら。
 私は『集団ヒステリー状態』という言葉ではなく『プチ・パニック』という言葉を使っていたが、弱いのだ。んなもん。弱いし、怖いし、どうしようもなかったりするだろう、んなもん。そんなもんなんじゃないのか?

 ちなみに私は大阪市内在住なので、まあ、大阪市内にも放射性物質は飛んで来ているらしいが、当然、少ない。個人的に調べた結果、もんじゅがナトリウム爆発を起こしても急には『それほど』飛んで来ない。

 でも、まあ、昨夜、結構ハマって見てしまった津波の映像(http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-1586.html)も、『体感』として大地震を感じた人と、爆睡してて「え?地震があったん?」なんぞという私とでは全く経験が違う。
 まあ、当然、個々のそれまでの人生経験も含めた話なんだが、やっぱし、地震を体感して、かつ、余震を体感して、「そろそろ来るのではないのか?」と言われている最大余震の不安の上での放射能の怖れなのだし。そら、集団ヒステリー状態になってもエエやろ。んなもん。

 「丸山照雄が生きてたら」なんぞと思ってしまうのだが、え~。。。丸山照雄も地震も原発事故も遭遇したわけであって、何かコメントしてないのかな?
 もう一度、呪詛をしたのかな?

【問題意識を重視するのは、現代日本の宗教<者>たちが、今日の<危機>をどうとらえているのかを見通しておくことが、きわめて重要であると考えるからである。少数の宗教者を除くならば、この際大半の宗教業務にたづさわる人々の日常生活のなかに、時代への危機意識は全くといいほどにみられない。】(丸山照雄『現代日本の宗教状況 天皇制の復権をめぐって』 194ページより)

 丁度、大谷派の同朋会運動に関する論文の所なのだが、この本は1983年出版である。また、丸山照雄は日蓮教学であり、私は親鸞教学である。っちゅうか、単に個人が違うだけなのだが。
 今の私は丸山照雄の

【少数の宗教者を除くならば、この際大半の宗教業務にたづさわる人々の日常生活のなかに、時代への危機意識は全くといいほどにみられない。】

 という言葉を徹底批判する。
 それはエリート意識である。『危機意識』というが、ではその『意識』を持てない人はどうするのだ?その『意識』を持てない人に救いはないのか?今なら原発事故等に危機意識を持てない人に救いはないのか?
 「それは宗教者としての堕落だ!」
 なら、全く構わない。堕落している。堕落している中で、念仏しか救いの道がないから、念仏しているのだろうが。
 また、だいたい、誰がその判断を下す事が出来るのだ?「あなたには危機意識があります」なんぞと。

【宗教における<救い>とは、現実的危機を心理的世界において解消することだとする錯覚がある。あるいは精神的解放が現実的解放に優先し、あるいは先行するとする考えがある。<平和>の実現を求めているとき精神の平安や家庭の平和を代置するやり方である。それが問題のすり替えであることを本人も気づいていないか、あるいは気づきたくないらしい。宗教者の側が<救い>をこのように考えているために、外部からの宗教への期待も同じ質のものとなる。】(同書201~202ページより

 反原発・脱原発は当然の事として、精神的な不安を問題にせずして、あるいは、この自殺(自死)が3万人を越える中での、まあ、イヤな言い方だが「弱い人」が多く居ているのが『今』という時代である。また、自死を選ばれる人の中で経済的問題も多いだろうが、基本は孤独ではないのか?役に立たない。生きていても仕方がない。なんぞと。だったら、それが何故、『宗教者』と呼ばれる人達の中では例外なのだ。「あなた達は何も出来なくてもイイのよ。生きているだけでイイの。」という同じ口で「宗教者は何をしているのだ!」と能力主義になるのは何でや?何故「誰に対しても」にならない。

 「原発に反対する事が真宗門徒の救いである」なんぞと親鸞が言うとは絶対に思えない。あ、日蓮は知らん。日蓮よりも丸山照雄の方がよく知っている。

【私の問題提起にたいして当然別な立場からの見解や批判が起ってくるべきであろう。教学上の立場が異れば問題の把握も異なるはずである。】(同書202ページより)

【ともあれ、現代の危機的現実を媒介とするならば、対立する教学と教学の間に、創造的で生産性のある論争と対話が成りたつはずである】(同書203ページより)

 そうか、やっぱり、それが故の『不安に立つ 親鸞・日蓮の世界と現代』やってんな。

 『集団ヒステリー状態』、まあ、私的には『プチ・パニック』なんだが、そういう言葉を使う時に、まあ、さっきも書いたが、「私は別」になっている。ちゃうな、これは。震災&原発事故での優生思想やな。それは良くない。間違っている。
 これはまあ、震災&原発事故以前からの事なんだが、それを契機に出たわけだ。

【さるべき業縁のもよほさばいかなるふるまいをもすべし】

 やな。

 と、まあ、丸山照雄が死んだ事によって、ヒステリー状態になってます。まあ、心が奪われる。関心がそこを中心に働く。

 っちゅうか、普段から、何かしらのヒステリー状態には間違いないのだろうが。気づかんし。