エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

ホビット・・・決戦のゆくえ

2014年12月21日 | ポエム
映画館に出かけた。
ホビットに会いに出かけたのであった。



3部作のラストだという。
で・・・観たいと思ったのである。







「銀幕の世界を覗く竜の玉」







IMAX3Dのスクリーンである。
音も画像も極め付きの立体である。

戦いのシーンの迫力はさすがだけれど、その迫力に頼りすぎていないだろうか?
少し、疑問符が付く。

ラストだという筋書きが、浮き彫りになっていない。
従って、次のラストがあるだろうな!
そう思わせてしまう。



戦いのシーンは、既に陳腐化してしまっている。
けれど、IMAX3Dの音質と画像の立体化の見事さに救われている。

それと、もう一つの救いはロード・オブ・リングからのキャラが生きている。
とりわけガンダルフは、重要な役割を担っている。
けれど、馬に跨がり駆け抜けるシーンは同じである。

黄泉の国から這い上がってきた、悪の軍団の存在もキャラも同じである。
一捻りが有るのかと思ったけれど、無い。
従って、もう一度戦いをしなければなるまい!

そこは、素直に期待したい。



      荒 野人

水仙咲く

2014年12月20日 | ポエム
水仙が咲き始めた。
誠に楚々と咲いているのである。

口をしっかりと閉じていたのだけれど、少しづつ唇を開いてくれる。
官能的な花である。







「マンドリン爪弾く白き水仙花」







場所によっては、まとまって咲いている。
我が家の周辺では、まだまだ少ない。



年明けには、下田の爪木崎に出かけてみようかとも思っている。
爪木崎の水仙は、羅性で群生している。



水仙は、マンドリンを連想させる。
マンドリンと云えば、萩原朔太郎。
前橋、である。



この手回しのオルゴールは、朔太郎の作曲した曲が奏でられる。

ぼくは、俳句につまるとこのオルゴールをゆっくりゆっくりと回す、
心が安らんで来る。
単音で奏でるメロディーは、不思議に安らぐのである。



       荒 野人

豊島園周辺

2014年12月19日 | ポエム
豊島園周辺は、時間のタイムカプセルである。
16日に吟行した「白山神社」は、平安の時代の創建である。



正体は分からないけれど・・・ぼくの知識では読み解けないし理解を越える石柱である。
おそらく、道票であろうと思われる。
しかし、刻まれている文字が読めない。

文字が薄れている。
風化の進行は、かなり古いものであると知らせている。



この石柱は・・・なんだろうか?
「駒止(こまどめ」」であろうか?

人の往来の多かったと云う、証左でもあろうか。







「冬桜古き寺院の甍かな」







雪囲いである。
冬牡丹がひっそりと隠されていたり・・・すると楽しい。



豊島園周辺を歩くと、寺通りがある。
江戸府内から疎開した寺が多いと聞く。
また、先の大戦で焼き出されてしまった結果とも聞く。



その通りを歩いていると、甍のこちら側に寒緋桜が咲いていた。
冬の桜である・・・。
冬の花見と洒落込んだものであった。




       荒 野人

「フューリー」を観た

2014年12月18日 | ポエム
前評判を裏切らない。
さすがは、ブラッド・ピットである。

フューリー・・・FURYという映画である。
憤怒といった意味である。
戦車の愛称である。

その憤怒の色は・・・。
かつて、高橋和己は社会への怒りを「褐色の憤怒」と表現した。



所々に、聖書の言葉が散りばめられている。
凄惨な戦闘場面だからこそ、聖書の言葉が胸に響くのだ。
主と共にあり、洗礼を受けた群像が殺戮をする。
戦争の惨さが伝わってくる。



この映画は、ナチと闘う米軍の一小隊を率いる軍曹の物語である。
また、全くの素人である若者が軍人へとならざるを得ない悲劇をも又描いている。

映画を見ながら、シーン毎に自戒をこめた言葉が紡ぎだされていく。

阿鼻叫喚の地獄にあって、死体にも更に小銃を撃ちこむ。
死体が活き返らないために撃ちこむのだと、古参兵が言う。

戦車の内部を、洗い清めながら嘔吐する新参の若き兵士。
だがしかし、殺さなければ自分が殺され、仲間が危機に陥る。
頭で理解しつつも、人としてそうはなりきれない苦悩が描かれる。







「映画への時間配分冬深む」







蛇足だが、キャメラワークが素晴らしいと言いたい。
ブラピの、存在感は圧倒的である。

戦争の罪と罰が、鮮烈に描かれるのである。
あらすじを感嘆に云うと「ブラッド・ピットの主演・製作総指揮で、第2次世界大戦下、たった一台の戦車で300人のドイツ軍部隊と渡り合った5人の兵士たちの姿を描いた戦争アクションドラマ」となろう。

今こそ、日本の為政者に観て頂きたい映画の一つである。
「戦争を知らない、子どもたちさ!」などと気楽に歌っていたぼくたちの世代。
団塊の世代とか云って、得意満面だった。

いま、その世代は何を成すべきなのか。
厳しく問われているのかもしれない。

帰宅して、午前零時半。
いま、この記事を書いている。

俳句は明日の朝、改めて映画を反芻して詠みたい。
そろそろ寝床に入ろうと、思っている。
風呂は、明日の朝・・・。

おやすみなさい。



        荒 野人

欅黄葉踏ん張る

2014年12月17日 | ポエム
欅黄葉が踏ん張っている。
黄葉は少なくなっているけれど、日差しに美しいのだ。



そのキラキラ感が良い。
命の「ほのほ」が、まだ燃え尽きていない。

欅黄葉程、建物に合う現象は少ない。







「けやきもみじ枝を支える青き空」







欅黄葉は、葉を落とすと空の青さで枝を支える。
そう見えるのだ。



建屋だとか、青い空だとか森羅万象が枝を支えるのだ。
欅の枯れ切った枝の周囲には、不思議と存在感がある。

過日・・・欅に生き様を見た。



幹を被っていた樹皮が、剥げ落ちつつあった。
欅の脱皮である。

この成長すると云う業が、愛おしいではないか。
幹が太り、より逞しさを増してゆく。

年年歳歳、ぼくもそうありたいものである。



    荒 野人