平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

パフューム ~ある人殺しの物語~

2007年06月28日 | 洋画
 世界にふたつとない嗅覚を持ったグルヌイユ。
 彼は『至福の香り』を求めて生きていく。
 しかし『至福の香り』を持つ赤毛の少女はグルヌイユが声をあげられまいとして口を塞いだ時に謝って殺してしまう。

 この作品は天才の狂気を描いている。
 至福の香りを得るためには殺人をも厭わない。
 グルヌイユが分析するに『至福の香り』を作り出すには人間の体臭が必要らしい。しかし体臭を香りのエキスとして定着するには皮膚に油を塗り殺さなくてはならない。
 次々と殺人をしていくグルヌイユ。
 至福の香りを得ることが人生の目的である彼には何の道徳も罪の意識もない。
 天才の偏執である。

 さてこの作品がエンタテインメントとして難しいのは誰に感情移入していいかわからないことである。
 グルヌイユは嗅覚の天才だが、殺人者・モンスターだ。
 殺人をすることにためらいも葛藤もない人物に感情移入できない。
 観客は彼の狂気に距離を置いて見る。
 では彼に殺される人物たちはどうか?
 残念ながら彼女たちは作品ではあまり深く描かれていない。
 ローラという『至福の香り』を持つ少女が中盤現れるが、父親の愛を受けていること、侯爵のプロポーズを受けていること以外、人物造型に深みがない。
 だから殺される瞬間は怖くてもそれ以外は観客は距離を置いて見る。

 またこの作品は『天才の狂気を描いた悲劇』なのか『ホラー・サスペンス映画』なのかがはっきりしない。
 どちらかと言えば前者なのだろうが、作品のコンセプトがどっちつかずで曖昧なのだ。
 「ほんとうのジャクリーヌ・デュプレ」の様な深さもない。それは自らの狂気に対する怖れや葛藤がないからだ。狂気に対する葛藤がなければジェイソンになってしまう。

 この作品がやっとドラマになるのは後半だ。
 ここでやっとグルヌイユが人間になってくる。感情移入できるようになってくる。
 それは「彼が誰にも抱擁されたことがない」「誰にも愛されたことがない」ということがわかった瞬間だ。
 グルヌイユはパリの魚市場で産み捨てられて母親に抱かれた記憶がない。
 その後は施設と過酷な労働の革のなめし工場。施設では異常な嗅覚を持つグルヌイユを気味悪がって子供たちは迫害した。
 彼は人間を拒み、赤毛の少女の持つ香りだけを愛した。
 そして香りの狂気に取り憑かれ、やがて自殺。
 この孤独。

 それにしても人間というのは奇妙な生き物だ。
 この作品のクライマックスシーン、CMや予告編などでもインパクトがあったが、裸の男と女が折り重なって抱き合う。
 これはグルヌイユの至福の香りがもたらした官能の結果だが、人間は時として非日常に生きる。
 この作品にはドラマがないと書いたが、グルヌイユやこうした人間たちの姿を目の当たりにするだけでも意味があることではないかと思えてしまう。

★追記
 小道具としての猫の使い方がうまい。
 ある娼婦を殺害するグルヌイユ。
 娼婦は猫を飼っているのだが、カメラは殺害シーンを直接描かずに、音と驚く猫の顔をアップにする。
 次に娼婦の体臭のエキスを作り出すことに成功したグルヌイユ。液を手に落とすとその猫がやって来る。飼い主だと思ったのだ。これでエキスを作り出したことに成功したことが伝わる。
 ラストはグルヌイユが殺人鬼であることがわかるきっかけ。
 猫が土を掘っていると女性の髪の毛が。
 グルヌイユが埋めたものだ。

★追記
 カットバックの手法も効果的だ。
 グルヌイユの殺人シーンと町の人間が対策と恐怖に脅えるシーンがテンポ良くカットバックで描かれる。

★追記
 18世紀フランスの死刑ってすごい。
 衆人監視の中の公開処刑。神父が破門を宣言する。十字架に作りつけられ鉄の棒で12回殴られ骨がくだける。その痛みの中で絞首刑。
 おそろしい。


コメント
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