平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

鬼畜 松本清張

2007年06月17日 | 短編小説
 探偵小説を謎解きのパズルでなく心のドラマとして描いた松本清張。
 それはこの「鬼畜」でも同様。
 身ひとつで印刷会社を興した宗吉。
 会社は順風満帆で調子に乗った彼は愛人を持ち、愛人の子3人をもうけたが、そこから転落の人生が始まった。
 きっかけは印刷工場の火事。
 これで印刷機械を失った彼は仕事を減らしていく。
 そして押しつけられる愛人の子供3人。愛人が逃げてしまったのだ。
 宗吉は妻と愛人の子3人と暮らすことになるが、困窮は彼を鬼畜にする。
 最初は一番下の子の布団の圧死。
 この死は事故で片づけられたが、実際は妻がやったことらしい。
 妻にしてみれば、愛人の子3人は憎しみの対象でしかない。生活の困窮もある。
 しかし人を殺すという罪の意識は妻を苛んだらしい。
 下の子を殺した夜、妻は宗吉を激しく求めた。
 まず、この心理描写が巧みだ。
 「わるいやつら」にも夫に毒薬を飲ませた後、戸谷に激しく身体を求める女の姿が描かれたが、これも同様。
 松本清張は人間心理の作家だ。

 この心理描写は二番目の子・良子の時も描かれた。
 東京のデパートに置き去りにする宗吉。
 食堂で食事をさせ、他の子が旗を持っていると「後でもらいにいこうな」と言う。屋上で猿を喜んで見ている良子の姿を見て、この子は猿も見たことがなかったのかと思う。ここは涙を誘う親の情。
 しかし宗吉は良子を捨てる。
 「父ちゃんはちょっと用事があるから、ここで待っておいで」
 そう言ってその場を離れるが、いざとなるとふり返らざるを得ない。
 この葛藤。
 ふり返ると今まで喜んで猿を見ていた良子までが自分の方を見ているというのはドラマチックだ。
 宗吉は迷子のアナウンスなどに動揺するが、捨てた自分に言い聞かせる。
 「あれは、おれの子供ではない」
 宗吉は3人の子供たちが自分に似ていないことを言い訳にして、自分を正当化しようとしていたのだ。
 この正当化せずにはいられない人間の弱さ!
 正当化、言い訳は「弱さ」の現れであることを松本清張は知っている。

 そして長男の利一。
 この子は頭がいい。
 妻の作った毒入り饅頭を食べさせられるが、「きらい」と言って吐き出してしまう。ならば東京で外食させて食べさせようということになり、売っている最中に毒を入れる。しかし鋭敏な利一は毒の入っている最中だけを吐き出す。宗吉は無理やり口の中に入れようとするが、吐き出してしまう。
 このやりとりは壮絶だ。
 宗吉はさらに利一を殺そうとする。
 伊豆の海岸に連れて行き、崖から落とそうとする。
 この時に言い訳も「おれの子供ではない、おれの子供ではない」という言い訳だ。
 そして崖から突き落とされる利一。
 奇跡的に利一は助かるが、警察に事情を聞かれても突き落とされたことは言わない。
 利一はすべてを知っていて宗吉をかばったのだ。
 この利一のかばうという心理がまた巧みだ。
 実に泣ける。

 愛と憎、こうした人間の様々な心理を一編の中篇に凝縮した松本清張。
 宗吉の動機は『貧困』で松本清張の作品はもはや現在に合わないと言われてきたが最近はそうでもない様だ。
 格差社会。
 宗吉は火事という事故で『負け組』になった。
 貧困が犯罪の動機になる時代が再び訪れようとしている。
 また犯罪の動機を描くことは社会の現状を描くことでもある。


コメント
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