ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

『スタートゥインクル☆プリキュア』第48話「想いを重ねて!闇を照らす希望の星☆」②さよならは言わない。

2020-01-21 | プリキュア・シリーズ



 キャンベルさんの『神話の力』、手元にあるのは文庫版じゃなく単行本なんだけど、読んでいて、妙にシンクロするんだなァ。ちょうどジョン・レノンに言及しているくだりへ差しかかった時に付けっぱなしのラジオからビートルズの曲が流れてきたりね。今回だって、年明けからのスタプリの展開のことを考えながらページを繰ってると、「12に1を足して13になると世界が動き出す。」だの「古い女神はよく蛇を伴った姿で描かれる。」だの、そんな文章がぱっと目に飛び込んできて……。本を読んでりゃ、そういうことはよくあるし、さほどフシギとも思わないけれど、こうやってエッセイを書くうえでは、重宝は重宝ですね。


 この本は単著じゃなくて、すでに大家となったキャンベルさんにジャーナリストのビル・モイヤース氏がインタビューしたものなんだよね。で、前回の記事をアップしてから、「じゃあ続きを。」ってんで本を手に取ると、モイヤース氏が、
「おとぎ話は、われわれを現実に適応できない人間にするんじゃないでしょうか?」
 なんて訊いている。キャンベル先生答えていわく、
「おとぎ話は楽しみのための話です。社会と自然の秩序という点から見ての人生の重大事を語る神話と、たとえ神話と同じモチーフを持っているとしても、娯楽のためのおとぎ話とは区別しなくはいけません。」
 だそうな。
 さらに、「おとぎ話は子供のためのものです。おとぎ話には、おとなの女性になりたくない女の子の話が大変多いですね。」とも仰っていて、どうも先生、おとぎ話にキビしいぞ……なんて考えてると、次のページで、
「おとぎ話は子供の神話です。人生の節目節目にふさわしい神話がある。年をとるにつれ、より強固な神話が必要になってきます。」と、くわしく敷衍している。やっぱり、おとぎ話をアタマから否定してるわけじゃないんだな。そこには大事なものがたくさん詰まっている。ただ、聴き手の年齢に応じて、お話のほうも、それなりに深まっていかなきゃいけない。そういうことでしょう。インタビューだから、相手の質問に合わせつつ、少しずつ核心に迫っていくわけね。




☆☆☆☆☆


 プリキュア・シリーズも、16年間の積み重ねの中で、ちょっとずつ「より強固」なものにバージョンアップしていってると思う。ことにここ数年は、各タイトルの締めくくりに際して、「別れ」と「成長」をいかに描くか。に心を砕いてるようだ。


 「ひとつの望みを叶えるためには、それだけの対価を払わねばならない。」
 ってのは、いちばん幼い子どもに向けたおとぎ話(ファンタジー)においてさえ外してはならないルールだろう。それに縛り付けるのもどうかとは思うけど、ここだけは押さえとかないと、やりたい放題になっちゃうもんね。


 フワを復活させるには、プリキュアの力を対価にせねばならなかった。もう変身することはできない。それに、フワが蘇ったとしても、ワープの能力も失っているし、記憶もなくしているだろう、とプリンセスが告げる。


 ひかる「それって……(手にしたトゥインクル・ブックを見つめながら)もう……宇宙には……」
 ララ「それでも……(トゥインクル・ブックの上に、そっと手を置いて)フワに会いたい。ひかるなら、そういうルン。」
 ひかる「ララ。でも……。」
 えれな「(その手に自分の手を重ね)プリキュアになれなくても、大丈夫。」
 まどか「(そこに自分の手を重ね)ええ。この宇宙には、キラやば~なイマジネーションがありますから。」
 ユニ「(さらに自分の手を重ね)私も……」
 ひかる「ユニ?」
 ユニ「故郷(ほし)のことなら大丈夫ニャン。アイワーンが、元に戻す方法を研究したいって。」
 ひかる「みんな……うん(最後に手を重ねる)。」




 「宇宙に行けなくなる。」のは、冒険好きのひかるにとっては辛いこと。それより何より、ユニ、そしてララ、異星からきたふたりの朋友(とも)との別れを意味する。
 ことに相方のララ。
 歴代タイトルにおいて「別れ」という主題を初めて前面に打ち出したのは2015年の『Go!プリンセスプリキュア』で、やはりあれは画期であったと思う。翌2016年の『魔法つかいプリキュア!』は、「別れ」にまつわる悲哀と、「再会」の歓びを、とても丁寧に扱っていた。
 2017年の『キラキラ☆プリキュアアラモード』の宇佐美いちかは、母の崇高な志と自らの「大好き」とを「まぜまぜ」して、稀にみる職業を選び取った。成長を遂げ、社会人として活躍する後日談がここで初めて描かれた。
 そのうえで、2018年の『HUGっと!プリキュア』は、「別れ」の後に「成長」を経て「ふたたび邂逅する。」までを見事に描いてみせた。シリーズとしては、ひとつの達成を果たした……といえるかもしれない。
 前半に肩入れしすぎて、後半の展開が不満だったせいで、ぼくは「HUGプリ」にとかく辛辣な意見を述べてきたけれど、ここにきて、「別れ」と「成長」の観点から、再評価すべきかなあ……と思い直してます。
 「HUGプリ」でも、最終話、幼児の姿で蘇ったルールーが、えみると過ごした楽しい日々の記憶を保っていた(それもまた「歌(デュエット)」で表現されていたけれど)。本来ならば覚えているはずのない記憶。いや、本当にそうなのか。意識の表面からは抜け落ちたとしても、身体の奥に刻まれたもの、ほんとうに大切なものは、忘れることなどできぬのではないか。


 「忘れるはずがありません。」と、ララのAIがまるで人間みたいな情感のこもった声音でいう。それに呼応するかのように、「ひ……か……る……?」とフワがつぶやく。ワープの能力は失っていても、ひかるたちの記憶は、フワのなかにちゃんと残っていた。




 いっぽうで、ペンダントの光が薄らいでいく。夢の時間は間もなく終わる。別れの時が迫っている。




 まずユニが。

「みんな……今まで、ありがとうニャン。……みんなと一緒にいられて、とっても、キラやば、だったニャン。」
まどかさんに続き、ここにきてユニも「キラやば」に陥落(あるいは彼女のことだから、別れに臨んだらこの言葉をいおうと前もって決めていたのかも知れない)


 そして……。




「私も、サマーンに帰るルン。私、地球で学んだことを、サマーンのみんなに伝えたいルン。」
ここではまだ気丈にふるまっているが……




「私、また、きっと行くよ。自分の力で……宇宙に。」




「ひかる……。」



 「また、きっと行くよ。……宇宙に。」を脳内にて直ちに「ララに会いに。」と正しく変換して滂沱の涙をながすララ。しかしペンダントの力が薄らいだため、もう言葉による滑らかなコミュニケーションはできない。
 それでも、この2人には、真情を伝え合う手立てがある。




「ひ……か……る……。ア・リ・ガ・ト」





「うん……ありがとう。」







 へびつかい座の残した力を(ガルオウガ経由で)使って穿たれたワームホール(的なもの)を抜けて地球へと帰還し……。







「またね……。」




 だれひとりとして「さようなら。」とは言わなかった。言ったのは、「ありがとう。」と「またね。」だけだ。まだ一回、最終話が残っている。スタプリは、どのような「再会」と「成長」を描いてみせるのだろう。