ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

中東の文学 ② ガッサーン・カナファーニーほか。

2020-01-10 | 雑読日記(古典からSFまで)





 話は中世から一挙に現代へ飛ぶ。ほんと、中東の文学については資料が乏しすぎるんで、どうしても粗くなっちゃうのである。


 2015(平成27)年に『サラバ!』で第152回直木賞を取った西加奈子さんは、親御さんの仕事の関係で誕生から2歳までをイランのテヘラン、小学1年から5年までをエジプトのカイロで過ごした。
 その西さんが、河出文庫から2017年に出たガッサーン・カナファーニーの短編集『ハイファに戻って/太陽の男たち』の解説を書いている。冒頭はこうだ。




 中東について知りたい、と思った。数年前だ。少しの間だけど自分が暮らしていた地域でもあるし、昨今のニュースを見て胸を痛めるたびに、まず彼らの感情を知らないことには何も理解出来ないと思った。
 そういうとき手に取りたくなるのは小説だ。
 もちろん優れたルポルタージュも海外のニュースも、私に「知る」手立てを教えてくれた、おそらくとても正確に。そしてそれは前述のように私の胸をこれ以上ないほど痛ませた。
 でも、何かを「知りたい」と思うとき、その「知る」が情報や知識だけではなく、芯のようなものに触れる感覚を求めているものであるとしたらなおさら、私は小説を読みたい。




 そう。小説ってのはまさしくそういうもので、或るひとつの文化圏について、そしてまた、その文化圏のなかで生きるひとりの人間について、「情報や知識だけではなく、芯のようなものに触れる感覚を求めて」知りたい! と切に感じたとき、そこで暮らす優れた作家の手になる小説を読むのは最良の手立てだと思う。




 文庫になったのはたった3年前だけど、著者のガッサーン・カナファーニー氏はとっくの昔にこの世の人ではない。1972(昭和47)年に亡くなっている。享年36歳。どのようにして亡くなったのかはあえてここには書かないが、「パレスチナ人」といえばおおよその見当はつくのではないか。興味がおありの向きは検索してみてください。ウィキにも項目が立ってます。




 ぼくがこのカナファーニーを知ったのはバブル華やかなりし頃、1980年代半ばのことである。創樹社という出版社から出ていた『現代アラブ文学選』の中に、代表作「ハイファに戻って」が収録されていた。級友のI君から借りたんだけど、そのとき彼には代わりにこっちから3冊貸した。わりと貴重な本だった。ぼくとしては「交換した」つもりでいたのだが、その後まもなくI君はやいのやいのとせっついて、『現代アラブ文学選』をぼくから取り返していった。ところがI君、こっちから貸した3冊のほうは一向に返そうとしない。何度催促してもむにゃむにゃと言うばかりであった。いかんなあ。そういうとこだぞI君。このブログ読んでたら返しなさい。
 とはいえI君、貸してくれる際、「どれも凄ぇが、とくにこのカナファニちゅうのがごっついからのう、とりあえずお前、このカナファニだけは読んどけや。」と推していたから、その慧眼は誉むべきである(じっさいにはこんな喋り方ではなかったが)。
 『現代アラブ文学選』の初版は1974年で、ぼくが借りたのはその版だが、1988年に重版がかかり、そのとき自分で買い直した。重版がかかったのは、収録作家のひとりエジプトのナギーブ・マフフーズ(1911 明治44 ~ 2006 平成18)がノーベル賞を取ったからである。エジプト初のみならず、アラブ圏初の快挙であった。しかしもしカナファーニー存命なりせば、彼もまた候補に挙がったことは間違いない。
 野間宏の責任編集になる『現代アラブ文学選』は、中東うんぬんを別にしても、一冊の文芸アンソロジーとして今読んでも面白い。資料として、目次を書き写しておきましょう。






序 現代アラブ文学の胎動 : 『現代アラブ文学選』に寄せて / 野間宏


小説
呪文 / ムハンマッド・ディーブ著 ; 木島始, 荒木のり訳
さそり / アブドゥッ・ラフマーン・アッ・シャルカーウィー著 ; 谷正則訳
彼女の新年 / ミハイール・ヌアイマ著 ; 池田修訳
靴直し / ユースフ・アッ・シバーイー著 ; 木島始, 荒木のり訳
狂気の独白 / ナジーブ・マフフーズ著 ; 塙治夫訳
すばらしい旅 / ユースフ・アッ・シバーイー著 ; 木島始, 荒木のり訳
クッファじいさん / イブラーヒーム・アブドゥル・カーディル・アル・マーズィニー著 ; 池田修訳
ハイファに戻って / ガッサーン・カナファーニー著 ; 奴田原睦明訳


戯曲
狂いの川 / タウフィーク・アル・ハキーム著 ; 堀内勝訳



われらの問題と月の探検 / アブドゥール・カリーム・アン・ナーイム著 ; 高良留美子訳
静かな恐れの歌 / マフムード・アル・ブライカーン著 ; 木島始訳
ぼくの国の人民 / サラーフ・アブド・アッ・サブール著 ; 中本清子, 中本信幸訳
タタール人どもが攻めてきた / サラーフ・アブド・アッ・サブール著 ; 中本清子, 中本信幸訳
パレスチナの恋人 / マフムード・ダルウィーシュ著 ; 池田修訳
黒猫たち / アブドゥル・ワッハーブ・アル・バヤーティー著 ; 関根謙司訳
ぼくは君たちに言った / アドニス著 ; 高良留美子訳
ある老いたイメージの章 / アドニス著 ; 高良留美子訳
聴いてくれ、ぼくはきみを呼ぶ / マーリク・ハッダード著 ; 中本清子, 中本信幸訳


評論
アラブ小説の新世代 / ガーリー・シュクリー著 ; 菊池章一訳
アラブ文学遺産のヨーロッパ文学に及ぼした衝撃 / アフマッド・ハイカル著 ; 木島始, 荒木のり訳
現代のアラブ詩人-自由への三つの状況 / アドニス著 ; 菊池章一, 関根謙司訳
民衆のための文学 / サラーマ・ムーサー著 ; 池田修訳
占領下パレスチナにおける抵抗文学 / ガッサーン・カナファーニー著 ; 奴田原睦明, 高良留美子訳


紹介・解説
アラブ現代詩の歩み / 池田修
アラブ現代散文文学の諸潮流 / 関根謙司
現代アラブ文学の紹介をめぐって / 竹内泰宏




 同じころ、河出書房新社から「現代アラブ小説全集」なるシリーズ企画も出た。ついでにこちらもコピペしておこう。






アフリカの夏
ディブ 著 篠田 浩一郎/中島 弘二 訳
百年余の植民地主義がもたらした無気力と停滞。アラブ的時間のなかで徐々に熟してくる変化――アルジェリア革命をその内部から表現し、北アフリカの生活と風土を斬新な手法で描く!巻末論文=野間宏




阿片と鞭
ムールード マムリ (著), 菊池 章一 (翻訳)
7年にわたるアルジェリア独立戦争をFLN兵士たちの運命をとおして描く。極限状況におかれたアルジェリア人の苦悩にひしがれた生活、闘いと魂の深奥が劇的構成で示される!巻末論文=金石範




オリエントからの小鳥
ハキーム 著 堀内 勝 訳
パリ滞在中のアラブ青年とフランス娘の恋――理論偏重の西欧からイスラム的心性への回帰をうったえ、ラディカルに西欧文明を批判するハキームの代表作。巻末論文=いいだもも




北へ遷りゆく時/ゼーンの結婚
サーレフ 著 黒田 寿郎/高井 清仁 訳
北に象徴される西欧への憧憬と、南に象徴されるアフリカ的野性の葛藤。白人女性を渉猟する主人公サイードの漂泊、その形而上的な死から再生へ。故郷喪失の精神が葛藤を超えて回帰する!巻末論文=小田実




不幸の樹
ターハー・フセイン (著), 池田 修 (翻訳)
家の中に〈不幸の樹〉を植えることになると、息子の結婚に反対して逝った母――ハーレド一家三代の歴史をたどりながら、19世紀末から20世紀初頭にかけてのエジプト社会の変遷を描く。巻末論文=高史明




海に帰る鳥
バラカート 著 高井 清仁/関根 謙司 訳
1967年の6日戦争に直面したアラブ人。「さまよえるオランダ人」のような祖国パレスチナ。性と死、性と政治、戦慄と流浪――主人公ラムズィーの苦悩をとおして6日戦争を詩的に表現する!




大地
シャルカーウィー 著 奴田原 睦明 訳
エジプトの農村社会に焦点を合わせ、悪政で名高いシドキー政権下に生きる農民の姿を、生活慣習や風俗とともに真正面から大胆に描きあげた問題小説。エジプト現代文学の代表作。巻末論文=竹内泰宏




太陽の男たち/ハイファに戻って
ガッサーン・カナファーニー 著 黒田 寿郎/奴田原 睦明 訳
パレスチナの終わることなき悲劇にむきあうための原点。20年ぶりに再会した親子の中にパレスチナ/イスラエルの苦悩を凝縮させた「ハイファに戻って」、密入国を試みる難民たちのおそるべき末路に時代の運命を象徴させた「太陽の男たち」など、世界文学史上に不滅の光を放つ名作群。




バイナル・カスライン 上下
ナギーブ・マフフーズ (著), 塙 治夫 (翻訳)
カイロ旧市街、バイナル・カスライン通りに住むアフマド一家の日々と激動する社会を緊密な構成で描くアラブ近代文学の最高傑作!




 つまり文庫版の『ハイファに戻って/太陽の男たち』は、このシリーズの中からほぼ30年ぶりに甦ったわけである。






 なお、大学書林というところから、『対訳 現代アラブ文学選』なるアンソロジーが1995年に出ている。生憎こちらは手に取ったこともないが、収録作品リストはこうなっている。




はしがき
あの匂い  スヌアッラー・イブラヒーム
ハミースが先に死ぬ  アリー・ゼーン・アーブディン
塩の町  アブドル・ラフマーン・ムニーフ
女王の来訪  マムドーフ・アドワーン
監獄の手紙  アブドル・ラティーフ・ラアビー
アッカーの難民キャンプへ行く  ラドワー・アーシュール
憲章  ガマール・アブドル・ナーセル


 「対訳」とのことなので、アラビア語を学ぶテキストも兼ねているのだろう。


 カナファーニーの文庫化は喜ばしいが、あれから30年あまりを経て、かの地の激動は収まらぬどころかより複雑となり、ぼくたちが中東を知る必要性もいっそう増してるはずなのに、アラブ現代文学の紹介はまったく進んでいない。グローバリズムグローバリズムといいながら、その内実がいかに偏ったものかが知れる。
 とりあえず、『ハイファに戻って/太陽の男たち』を読んでみませんか。定価880円+税。おなかの底にズシンと来ますよ。