ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

中東の文学 ① ペルシャの詩人たち

2020-01-09 | 雑読日記(古典からSFまで)
ハーフィズ。画像はウィキペディアより拝借


 たいそうなサブタイをつけたが、中東の文学について何ほどのことを知っているわけでもない。いつものとおり思いつくままの漫談でござる。
 鈴木紘司氏の『イスラームの常識がわかる小辞典』(PHP新書 2004)にはこう書かれている。


「『千夜一夜物語(アラビアンナイト)は19世紀からヨーロッパでもてはやされ、日本でもアラビア文学の代表作と思われているが、アラビア文学の中での地位は極めて低いのが真相である。それはアラビア詩をはじめ、膨大な文献と資料をもつアラブ文学の世界には、奥深いイスラーム文学が目白押しに存在するからであり、その中でペルシャ・インド的な要素を含み、非イスラーム的な習慣がかいま見える昔話は評価されない。』


 『アラビアンナイト』を持て囃すのはヨーロッパ人の東洋趣味のあらわれで、イスラーム圏での評価は低い、という話はよそでも目にした覚えがあるが、民衆レベルではそんなことなくて、「愛読」というより飲食店などで語り部によって「愛誦」され、客たちが楽し気に耳を傾けている、という話も一方で聞いたことがある。ぼくは現地に行ったことがないからどのみち明言はできないが、あれだけ面白いんだから(それこそ「物語の宝庫」というべきものだ)、暮らしの中に息づいていても不思議じゃない。
 とはいえ、「アラビア詩をはじめ、膨大な文献と資料をもつアラブ文学の世界には、奥深いイスラーム文学が目白押しに存在する」のは事実だし、つけ加えれば、ぼくらがそういったものにほとんど馴染みがないのも事実である。


 そもそも、先の引用の中の「ペルシャ・インド的な要素を含み」に引っかかった人もいるのではないか。インドはともかく、ペルシャが混じってなんでダメなの?そういうのまとめてアラブじゃないの?とか思った方はいませんか。ペルシャとはざっくり言って今のイランのことだけれども、これは「中東」であり「イスラーム圏」ではあっても「アラブ」ではない。語族も違えば歴史も違う。そんな基礎的なことさえも、うっかりしてると、あやふやだったりする。


 イスラーム文化は豊穣にして奥深い。哲学・思想の面でも先鋭にして深遠な学者を輩出したし、優れた詩人も多く出た。ただ、歴史上高名な詩人となると、「アラブ」よりも「ペルシャ」のほうにどうしても目がいく。岩波文庫から選詩集が出ているアブー・ヌワース(762 天平宝字6~ 813 弘仁4)みたいなユニークな詩人もアラブ系にはいたけれど、なんといってもペルシャには、ハーフィズとオマル・ハイヤームという凄い人たちがいるからだ。


『ルバイヤート  RUBA'IYAT』
オマル・ハイヤーム 'Umar Khaiyam
小川亮作訳


青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000288/files/1760_23850.html


 この小川亮作さんのまえがきにこうある。

 詩聖ゲーテはその有名な『西東詩集』の中で、人も知るごとく、ペルシア語の原文さえも引用して、古きイランの詩人たちを推称した。彼は言った――「ペルシア人は五世紀間の数多い詩人の中で、特筆に値する詩人としてわずかに七人の名しか挙げないと言われている。しかし彼らが斥ける残余の詩人の中にさえも、私などよりは遙かに傑れた人々がたくさんいるのにちがいない」と。自負心の強いこの詩人にしてこの言をなした、もって傾倒のほどが知られよう。

 ぼくのほうから敷衍しておくと、ゲーテが心酔したのはハーフィズ(ハーフェズとも表記。1325/1326~1389/1390)のほうで、このハイヤーム(1048~1131)のことは(おそらく当時まだ未紹介だったため)知らなかったのである。
 それで、

 もしも彼にしてハーフェズの創作上の先師であったオマル・ハイヤームを知っていたならば、この東方に深く憧れた詩人の『西東詩集』には、さらに色濃いオマル的な懐疑の色調が加えられたかも知れない。

 
 と、小川さんは附言しておられる。

 この「まえがき」をちょっとスクロールすると出てくる、


もともと無理やりつれ出された世界なんだ、
生きてなやみのほか得るところ何があったか?


自分が来て宇宙になんの益があったか?
また行けばとて格別変化があったか?


 といった詩篇を見れば、小川さんのいう「オマル的な懐疑」の何たるかがよくわかるであろう。ちなみにワタシ、この内向的な感じけっこう好きですが。


 いっぽうハーフィズの詩の邦訳は、あるにはあるが、今のところ文庫サイズのお手頃価格では手に入らない。むろん青空文庫にもない。
 ものの本によると、
「宮廷詩人であると共に神秘主義者でもあったため、抒情詩を神秘主義的に表現している。」
 とのことで、
「そこでは酒、酒杯、拝火教徒、美女、恋人などは表面上の意味のほかに神の愛、神の唯一性、神の啓示、神そのものを意味し、たとえばもっとも有名な詩の開句、


 もしシーラーズの美女がわが心を受け入れるなら、その黒きほくろに代えて、われは与えん、サマルカンドもブハーラーも、酌人よ、残れる酒を与えよ、天国においてもルクナーバードの流れとムサッラーの花園は得られぬだろう。


 ……は、神と詩人との関係の表現とも解される。」そうだ。




 なお世界文学最高峰の文豪(のひとり)ゲーテが『西東詩集』のなかでハーフィズを讃えた詩句は以下のとおり。




よしや全世界が陥没しようとも
ハーフィズよ 君を 君をひとり
競いの友にしよう 双生児のぼくら
苦しみはひとつ 楽しみもひとつ
恋も酒も ぼくは 君のさまで
ぼくの誇り ぼくの命 この生き方が




 ここまで惚れこむってのは並大抵ではなく、たんに思想上の共鳴とか技巧のうまさへの感銘といったことでは説明がつかぬ気がする。やはり「神」のことが関わってくるんじゃないかと思うんだけど、かんじんのハーフィズさんを読んでないから、今のところぼくのほうからはこれ以上のことは何もいえない。