ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

宇宙よりも遠い場所・論 64 行きて帰りし。09 そして、きっとまた。

2019-02-01 | 宇宙よりも遠い場所
 行きて帰りし。あるいは、往きて還りし。
 それはファンタジーの文法。定型。いいかえればすなわち、物語の定型だ。
 慣れ親しんだ日常から離れ、「ここではない何処かへ」と旅立った主人公は、「境界」を越え、「異界」に赴き、友達の力を借りて、そしてまた、友達に力を貸して、自らの課題をはたし、友達が課題をはたすための手助けをし、もういちど日常のなかに、「何処かではないここ」へと帰ってくる。
 そのとき、慣れ親しみすぎたあまり、「澱み」ともみえていた日常が、また別の相貌をおびて目に映る。
 そのなかにおける自分のふるまいも、周りとの接しかたも、自ずからかわってくるだろう。
 旅ってものは、そのためにこそ、あるのではないか。
 いずれまた、その新しく得た日常も、どんよりと澱んでいくだろう。その時はまた、旅に出よう。
 「喪の仕事」は、ひとが近親者の死を乗り越えるための大切な課題。「過去との訣別」も、時としてその後の一生を左右しかねぬほどの大きな課題。
 「友達がほしい」だって、すこし意味合いは違ってくるけど、大きな課題に違いない。
 しかし、「ここではない何処かへ」は、それらのうちのどれにもまして、「物語」にとって、ということはたぶん「人間」という存在にとって、より本質的かつ普遍的な課題なんだろう。
 たとえ比喩的なものであれ、「ここではない何処かへ」と赴かぬかぎり、ひとは誰かとかかわることもできないし、何事かを為すこともできないのだから。
 だからこの作品の主人公は、やはり報瀬ではなくキマリなのだ。
 そしてその主人公には、忘れちゃいけない、3人とはまた別の関係性で結ばれた、もうひとりの友がいるのである。



 エンディングテーマ「ここから、ここから」が流れつづけている。



ひとりで電車を待つキマリ。

 3人とは空港で別れたのだ。それは一人だけ北海道へ帰る結月への配慮だったのかもしれないが、いかにもキマリらしい、さわやかな決断だった。

 キマリ「ねえ、ここで別れよう。」


 日向「え……。」
 報瀬「キマリ……。」
 結月「もう、一緒にいられないってことですか?」
 キマリ「逆だよ。一緒にいられなくても、一緒にいられる。だって、もう「私」たちは「私たち」だもん。」
 結月「なんですその名言? 日向さんですか?」


 日向「でも、わるくない。」


 「でしょ?」

(これは空港ではなく、駅にいる今のキマリがみている光景)


 報瀬「やらなきゃいけないこと、たくさんあるもんね。」


 キマリ「うん。それが終わったら、また旅に出よう。この4人で。」
 結月「この4人でですよ。」
 日向「まあ、報瀬は百万あるし。私も貯金してる……」
 報瀬「あれはもうない。」


 3人「えっ。」


「置いてきたの。」

「宇宙(そら)よりも遠い場所に!」
凍った手袋が台座になっている。「母が言ってた南極の宝箱をこの手で開けた」ことの証なのだろう


 3人「えええええええーっ。」




 キマリ「旅に出て、初めて知ることがある」


 報瀬「この景色が、かけがえのないものだということ」





 結月「自分が見ていなくても、人も世界も変わっていくこと」



 日向「何もない一日なんて、存在しないのだということ」






 キマリ「自分の家に、匂いがあること」




 報瀬「それを知るためにも、足を動かそう。知らない景色が見えるまで、足を動かしつづけよう」



 日向「どこまで行っても、世界は広くて、新しい何かは必ず見つかるから」



 結月「ちょっぴり怖いけど、きっとできる」

 
 キマリ「だって……」

ベッドから始まり、ベッドに帰ってきた

めぐっちゃんにラインで報告


間髪いれぬ即レス



南極と北極とでは、同じ時間にオーロラがみえる。ここでめぐっちゃんの背景に架かっている極光は、十中八九、あのときキマリたちが船上で見たのと同じものである。


「なんで……なんで……」

 「なんで?」は、あの5話の「旅立ちの朝」のさい、キマリがめぐっちゃんに繰り返し投げかけた問いだ。
 あの時の「なんで?」は、当惑と混乱にまみれた問いだった。対してこれは、それとは真逆。むろん吃驚してはいるけれど、歓びに輝いている。


 キマリ「……同じ思いの人は、すぐ気づいてくれるから」



 もちろん、めぐっちゃんが「同じ思いの人」だとわかったからこその歓びである。

「なんでーっ」





 この素晴らしい作品に携わったすべてのスタッフ、および声優の方々に心からの称賛を送ります。ありがとうございました。




7 コメント

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よりもい論考お疲れ様でした。 (qrye)
2019-02-01 15:13:44
大好きな作品を取り上げて有難う御座いました。
大変興味深く、楽しく読ませていただきました。


4人組が特別な場所で特別な目的を果たした特別な親友として、
めぐっちゃんは帰って来てお互いにこんな事があったんだよと報告し合う家族のような気の許せる親友なのだと思います。
4人組が帰って来てから一旦別れたのはその対比を際立たせるためかなと思いました。


そして しゃくまんまえん
南極に行くための手段であった しゃくまんえん は
最後に再び戻ってくる為の目的 -おたから- になりました。
これは百万円という経済的価値よりというより
母親を想って しゃくまんえん を稼いだ日々の昇華でもあり
しゃくまんえん を巡って起こった様々な出来事の思い出が
何より価値の在る おたから になった証だと言うことなのでしょう。

報瀨は来る度に新しい しゃくまんえん を稼いであの場所に
天文台貯金するのかもしれません。(笑)


それではまた
機会が御座いましたらコメントさせて頂きます

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 (eminus)
2019-02-01 17:41:03
 全文のラストに「ね」を付けたかったのですが、年齢を考えて自重し、タイトルに持ってきました。
 このコメントは本文の補足にもなっていますね。ありがとうございます。
 たくさんのコメントを頂いて、いくつも発見があり、ぼく自身も作品への理解が深まりました。
 それでもまだまだ読み切れてないところがある気がするし、めぐっちゃんのあのジェスチャーの意味など、書ききれなかったことも少なからずあります。
 あけすけに言ってしまうと、じつはぼくは、3人がひたすら館林でわちゃわちゃやってる1・2話と、結月がくわわる3話、この序盤がいちばん好きなんですよね。
 沿線の駅の夜の情景がやたらリアルで懐かしくてね……。あ、そうそう、「歌舞伎町鬼ごっこ」も大好きですね。今回は南極での話に傾注したかったので、そのあたりはぜんぶ割愛せざるを得なかったんですが。
 ほかにブログで扱いたい件も溜まってるので、ここでいったん置いといて、今後は「補遺」として、書き残したこと、新たに思いついたことなどをちょくちょく記していけたらと思っています。

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彼女たちの道標 (茶トラ)
2019-02-01 19:48:31
12話まで私はどうか終わらないでほしいと思ったけど最後はそっと背中を押し出してくれた感じがしましたね。
恥ずかしながら南極作品はこの作品で初めてですけどこれをきっかけに南極関連に手を出しています。
本当にこの作品と出会えてよかったと心から思います。
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皇帝ペンギン (eminus)
2019-02-01 20:07:25
 いちばん有名なのは、メガヒットになった健さんの『南極物語』(1983年)だと思うんですが、生憎ぼくは見てないんですね。堺雅人の『南極料理人』(2009年)はテレビで見ました。隊員がみんな、あれだけ料理に舌鼓をうっていながら、「美味しい」のひとことだけはぜったい言わない。そこが面白かった記憶があります。
 ドキュメンタリーでは、『皇帝ペンギン』(2005年)でしょうか。シンガポール行きの飛行機の中で報瀬がみてナミダにくれているのはこの映画だという話をネットでみました。
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T・Kさんへのご返事。 (eminus(当ブログ管理人))
2019-02-12 00:35:42
 昨日(2月11日)の朝8時ごろにコメントを頂戴したT・Kさんへのご返事です。わりと私的な内容が含まれていて、お名前を出して良いものかどうかわからなかったので、イニシャルとさせて頂きました。同じ理由で、コメントの本文も、ひとまずは非公開の状態に留めております。
 公開しても差し支えなければ、あらためてコメントを頂けましたらうれしく思います。
 まずは当ブログに目をとめてくださり、『宇宙よりも遠い場所』についての記事を高く評価してくださったことにお礼申し上げます。
 そのうえで、まず申し上げなければならないのですが、私の方針として、訪れてくださる方との交流は、あくまでも「当ブログのコメント欄を介して」ということで、個別での意見のやり取りはご遠慮させて頂いているのです。これまでにも、ほかの方からメールアドレスなどを頂いたことがありますが、一貫してそのようなご返事をして参りました。
 理由はまことにシンプルで、「それやってるとブログ書く時間が無くなる。」ってことに尽きますね。広く浅く、できるだけ多くの方に向かって私見を申し述べる「ブログ」という形式を大事にしたいのです。
 偏屈なことで申し訳ないのですが、その旨ご了承いただけましたら幸いです。
 それはそれとして、現役の高校生にこの優れたアニメを観てもらうのは、意義のある試みだと思います。ただ問題は、ぼく自身が今のリアルな十代との交流をまるで持っていないことですね。だから、彼ら彼女らがこの今日のニッポンにおいてどのような感情生活を送ってるのか、そこがさっぱりわからない。手ごたえというか、実感というか、とにかくそういう取っ掛かりがない。それゆえに、ご相談の件についてお役に立てるかどうか、はなはだ心許ないかぎりです。
 ごくごく素朴な意見ですが、報瀬の担う「喪の仕事」という課題は、これは実際に近親者を亡くした経験がなければなかなかわからないんじゃないか……という気はしますね。自分の来し方を思い返すと、高2の時にクラスメートが父親を喪い、葬儀に参列もしましたが、そのあと、とてもキマリや日向や結月みたいには、彼に接することはできなかった。もっとずっと粗雑というか、無神経だったと思います。それくらい、死というものは他人事だったし、ひとの悲しみにも無頓着でした。あくまでもぼく自身の十代の頃の話ですが。
 キマリの抱える「ここではない何処かへ」という課題は、たぶん当時の自分がみても共感できたと思うのですが、じっさいには「最初の一歩」を踏み出すことができぬまま、3年のあいだ「澱んだ水」のなかで漂っていたと言わざるを得ません。じつに凡庸な高校生でした。
 総じていえば、高校時代のぼくは、キマリたち4人の側でなく、いやめぐっちゃんも含めて5人かな、とにかく「行動派」とは縁遠くて、あきらかに、彼女らの周りで無責任なうわさに興じてるような、圧倒的多数(だと思うんですが)の側でした。だから、11話で報瀬がモニターの向こうに怒ってたとき、おおいに溜飲を下げつつも、もう半面では、自分が叱られてる気分になったもんです。
 このアニメでは、キマリたち4人+めぐっちゃんと、ほかの多数の生徒たちとが、かなり対比的に描かれてると思うんですよ。そのなかで、1話にて報瀬をカツアゲしようとしていた上級生ふたりは、これは未遂とはいえ犯罪なので論外としても、そのほかの生徒たちは、そんなむちゃくちゃ悪質とも思えないんですよね。一歩間違えれば高校時代の自分もそっちに与してたよなあ……というような……。
 アドバイスとか、そんな大層なことは身に余るのですが、率直なギモンとして、いまの高校生の皆さんがそこのところをどう感じるのかということは、お伺いしてみたい気はします。
 ここまで書いて読み返してみたら、なんともとりとめのない、間のぬけたことを述べちゃったような気もしますが、自分としてはこれくらいしか思いつきませんでした。こんなことで、ご返事になっておりますでしょうか。
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相談の件 (T・K)
2019-02-12 21:55:27
コメントの反応ありがとうございます。私の質問「「よりもい」を高校生の授業の中で使いたいのでアイデアをいただきたい」という問い合わせに対して、「時間の都合上、個別のやりとりではなく、常に不特定多数に発信をしたい」との旨、よくわかりました。私自身としては私個人に送っていただいても、不特定多数に発信していただいても、アイデアや貴殿の視点を学べるのであればどちらでも構わないのでだいじょうぶです。
 コメントで記載いただいたような内容「多数派の考え」「少数派の考え」の内容に関して、十分高校生に問いかける内容に値すると私は考えます(少なくとも、問いかけるに値するか、しないかは相手(高校生)の反応で決めるので、問いかける価値はあると思います)。
 今の想定としては「50分授業」を13コマ使って「高校生への問いかけ+1話分」で50分を構成しようと考えていますので、対象話の前もしくは後にその内容に対する問いかけができればと思っています。例えば記載いただいたようなコメントは4話~5話あたりを見る前に問いかける(また、発問が1つだけだと時間が余りそうなのでもういくつか…)と考えています。もしよろしければ他の話に関しても「こんな問いかけをしてみたらどうだろう」というアイデアがありましたらご教授いただければ幸いです。



※ お気遣いいただいた通り、「お送りさせていただいたコメント」は非公開のままでお願いします。
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T・Kさんへのご返事 その② (eminus)
2019-02-13 01:35:40
 前回のコメントは、保留のままだといつか間違って公開してしまいそうなんで(私はそそっかしいのです)、wordに移して保存のうえ、削除しておきました。今回のコメントは、とくに差し支えないようなので公開させていただきます。問題があればすぐ非公開にしますので、ご一報ください。
 当ブログにおける全64回の「よりもい」論は、どちらかというと「自分で物語をつくってみたい若者のための講座」みたいな感じで、つまりは「物語を読む=つくる」ことにまつわる、(ぼく自身の勉強も兼ねての)レッスンのつもりでした。
 むろん、「物語を読む=つくる」ということは、たんなる暇つぶしの娯楽ではなくて、必ずや「人生」を学ぶことにも繋がってると思います。ただ、そこにはワンクッションあるわけですね。
 しかし「学校の授業」となると、これはワンクッションを飛び越えて、じかに「倫理」や「人間性」を扱うことになるような気がして、そんな大事なお話に、ぼくなんかがアドバイスしていいものかと、気後れしているのです。
 たとえば1話の冒頭で、電線に止まる4羽の鳥が出てきますね。それからずっとストーリーが進んで、キマリが報瀬と一緒に南極へ行くと決意したとき、4羽のうちの2羽がさっと飛び立つんですよ。クラスの中の何パーセントくらいのひとがそこに気が付くか、何パーセントくらいのひとが気付かずに素通りしてしまうのか、「物語」にかんする今どきの若い人の感受性を測るうえで、そんなことには興味がありますが……。
 まあ、そういうのはトリヴィアルな興味なのでしょう。やはり授業の教材ならば、「登場人物の心理の動き」とか「キャラ同士の関係性」なんかを追っていくのが定跡になりますか。
 とはいえ、ぼくは小学校から大学まで、ずっと学校が苦手だったし、たとえ想像の中でも「先生」の立場に成り代わることはできないので、あくまで個人的な興味になってしまうんですけども。
 「喪の仕事」とか「ここではない何処かへ」とか、大きなテーマに関わることは前回の返事で述べたので、もっと細かい点で言いますと……。
 1話であれば、「キマリはなぜ呉に行くまえ部屋をきれいに片づけたか?」とかかなあ。これは簡単すぎますか……。
 2話ならば、「歌舞伎町鬼ごっこ」のさいのキマリの涙、あれにどれくらいのひとが共感できるか(これは女子と男子によっても変わってくると思いますが)については訊いてみたい気がします。
 3話であれば、やはりホテルでの結月の夢と、その時の「窓のストッパー」ですね。そもそも「窓のストッパー」が暗喩としての意味を担ってることに気が付くかどうか、ちょっと訊いてみたいですね。
 5話はなんといってもめぐっちゃんの心情でしょうね。
 6話だと、「報瀬がしゃくまんえんを払ってでも失いたくなかったもの」とは何か?といったところでしょうか。
 「大人組」と合流して、南極に行く7話以降は、たいそう深くなってくるので、むしろ訊きたいことがありすぎて、とても書ききれません。まあ、それを言ったら、1話から6話まででも、いっぱい訊きたいことはあるんですけど。
 やっぱりどうも、とりとめのない話になってますね。いま気が付きましたが、ぼくは言いたいことを綿々と書き綴るのは好きだけど、だれかに質問を投げかけるのは、あまり得意じゃないようです。
 とりあえず、こんなところでいかがでしょうか。
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