ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

吉本隆明について。

2015-10-24 | 純文学って何?
 このところ、古いブログからブンガク関係の記事を引っ張ってきてるんだけど、まとめて読み返してみると、なんか必ず自分のことを書いてるんですよね。高2の夏にブンガクに嵌まって理系の成績が急落したとか、そればっか書いてて、われながら「もうええ!」という感じですね。「いつまでおんなじことを言うとんねん。だれもお前のことなんか聞いてへんぞ」というね。なぜか大阪弁でツッコミを入れたくなりますね。やっぱツッコミは大阪弁のほうが効果的やろ。ともあれ、これはどういうことかといいますと、もとのブログではべつに文学の話ばかりじゃなくて、政治とかドラマとか、いろいろ扱ってたわけですよ。で、文学ネタにせよそれに纏わる自分の思い出話にせよ、そういった話題はほどよく間をあけて点在してたわけ。それがここではまとめて並べられてるもんで、どうしてもくどくなっちゃってるんだな。
 でまあ、あとふたつ、吉本隆明さんと丸谷才一さんへの追悼記事を引っ張ってきます。これでだいたい、旧ブログでやってた「作家案内」シリーズはほぼ網羅したことになりますね。ここでもまあ、例によって高校時代の話をやってますけど、上記のごとき事情ですんで、そのてんはどうかご寛恕を願います。では。




吉本隆明について。①
初出 2012年03月16日


 高校に入る頃には読書欲が爆発的に膨らんでおり、年がら年中、書籍費の捻出に苦慮することとなるのだが、本格的な文学青年と化したのは高2の夏休み前くらいである。それまでは理系志向で、小説などはいかに面白くとも所詮は暇つぶしであると思っていたのが、がぜん「文学こそ我が天職なり。」といった勢いになってしまった。やはりそれだけ屈折し、内面が過剰になっていたのであろう。学校の図書館にあった「新潮現代文学」全80巻を片端から読み耽り、自分でも何やら創作めいたものをノートに書き綴ったりもし始めるのだが、その一方、小説ならざる「評論」「批評」といった文章への関心も高まっていた。ところがしかし、どうにもこれが、何を読めばいいやら分からない。

 かるいエッセイ風のものはあっても、骨っぽい評論や批評は図書館にもさほど見当たらなかった。当時、文庫で手軽に買えるその手の文章といったら小林秀雄くらいだったが、この人はたしかに達人だとは思うけど、気取りまくって肝心なことを語ろうとしないあの口ぶりにはいつも苛々させられた。いまだにぼくは小林秀雄が好きになれぬし、あのような人がニッポンの近代評論における神と崇められていることは、わが国の文化の大いなる歪みを示していると思う。むしろ中村光夫のほうが地味な分だけ偉いのではないか。ともあれ、いずれにしても小林秀雄は扱っている対象があまりも古くさかったし狭すぎた。少なくとも当時のぼくにはそう思えた。もっと現代世界を丸ごと把握し、解析するような文章が欲しかったのだ。

 「世界を丸ごと把握したい。解析したい」という切望に駆られるのは知的好奇心に目覚めた十代の若造ならば必ずや一度は通る道であり、まあ高2病と言ってもいいかと思うが、しかし思春期にこの種の熱狂を経ずして、人間、何が万物の霊長かとも思うわけである。70年代初頭辺りまでのまじめな学生であれば、あるいはここからマルクスに行ったのかもしれないが、幸いにしてこちとらが高校生活を謳歌していたのは80年代バブル前夜、政治の季節は過ぎ去っていた。その頃に高校の最寄りの書店で出っくわしたのが小松左京『読む楽しみ 語る楽しみ』およびその続編たる『机上の遭遇』(共に集英社)の二冊である。これがおそらくぼくが最初に「同時代のもの」として夢中になった評論文だ。

 今にして思えばあれは、小松さんが親しい作家の文庫巻末に書いた「解説」を中心に編んだ書評集であり、まあ安直と言っちゃあ安直な企画だったのだが、当時のぼくにはそのようなことはわからない。座右に置いて繰り返し読んだ。実際、とても勉強になったのである。ほかに何冊か買ってよく読んだのは青土社が出している「ユリイカ」のバックナンバーだ。これも大いに勉強になったが、しかしこれらはいずれも小説でいえば「アンソロジー」であって、一冊まとめてひとつの確固たる世界観を表した書物ではない。高3の時分には、その点に物足りなさを感じてもいた。

 角川文庫で、杉浦康平+赤崎正一による荘重な装丁の『共同幻想論』『言語にとって美とはなにかⅠ・Ⅱ』『心的現象論序説』の四冊が刊行されたのはその頃である。言わずと知れた吉本隆明の代表作だ。吉本隆明の名を目にしたのはそれが初めてではあったが、店頭で内容を一読し、それがたいへんな書物であり、今の自分にとって何よりも必要なものであることはすぐに分かった。しかもそれらが、一冊当たり五百円で数十円のお釣りが返ってくる程度の値段で買えるという。夢ではないか、と首をひねりながらレジへと急いだものである。

 ひとことでいうとこの四冊は、それまでに読んだどのSFやミステリや純文学よりも面白かった。脳のまったく異なる部分を活性化させられている感じとでも言おうか。とくにこのうち、中上健次の卓抜な解説の付いた『共同幻想論』は、文字どおりページの端が擦り切れるまで読み返した。あの時の吉本さんとの出会いによって、ぼくはいよいよ深みに嵌り込み、分際も弁えずにニーチェだの現代思想だのといった厄介なものに惹きつけられる羽目にもなって、30年近くののちにこのようなブログを書き綴ることにもなるわけだが、今朝のニュースでその吉本さんの訃報を聞かされた。それで取り急ぎ、時間を見つけてこんなものを書いた次第である。ご冥福をお祈りいたします。次回はもうすこし長く吉本さんのことを書きたい。


吉本隆明について。②
初出 2012年03月23日


 こんなことを書くのは不謹慎だと言われるならばお詫びするけれど、各新聞社は、もうずいぶん前から吉本隆明さんの訃報の草稿を用意していたんじゃないかと思う。見出しは「戦後最大の思想家」で決まり。サブで「全共闘世代の教祖」と附ける。本文はまあ、時代ごとに「転向論」だの「共同幻想論」だの「言語にとって美とはなにか」だの「最後の親鸞」だの「マス・イメージ論」といった単語を散りばめてむにゃむにゃやって、「若い世代にはよしもとばななさんの父親としても知られ」とか「つねに庶民の中に身を置き」なんて下らないこともついでに添えて、あと、弟子筋に当たるあの人とこの人とその人とに三行コメントをもらって一丁上がり、といった感じだ。ぼくは昨年の四月から新聞を取ってないので定かでないが、おおむねそんな按配だろうと想像はつく(だからこそ、新聞を取るのを止めたわけだけど)。

 吉本さんが「教祖」としていちばん輝いていたのはニッポンが貧しかった時期だ。つまりソ連型のマルクス主義がわが国においてもまだ「ありうべき選択肢」としてリアリティーを保っていた頃だ。吉本さんは「そんなものは虚妄だよ」と言挙げし、その言挙げを裏打ちすべく理論的な著作と政治的発言を量産することで、主に「新左翼」と称された人たちのあいだでカリスマ的な人気を誇った。「政治の季節」が過ぎ去って、ニッポンがバブル景気に沸き立つと、だから吉本さんは何も言うことがなくなった。80年代半ば以降の吉本さんは、ぼくに言わせりゃ「ばななパパ」というよりむしろ「バカボンパパ」である。バブル経済に対しても「これでいいのだ」、消費社会も「これでいいのだ」、原発に対しても「これでいいのだ」。結局はそれ以外のことは言ってない。なんといっても親鸞上人ですからね……。ただ戦争に対してだけは「賛成の反対なのだ」と言っておられたようだが、それも「国が軍隊を持つのは良くない。ただし、国軍が解散して、人民が自衛のために軍を持つ、つまり人民軍なら全然OKだぜ」みたいなことを言い出して、小林よしのりさんあたりに嘲笑される始末であった。なんというかもう、頭の内部で「知の解体」が始まっていたというよりない。それが晩年の吉本隆明という人なのだった。

 ネットで見た吉本評の中でかなり秀逸だと思ったのは、「吉本隆明は、かつての新左翼たちが現状肯定の新自由主義者に移行するモデルケースとなり、しかもその《転向》を理論武装した。だから糸井重里のような男があれほど持ち上げたのだ。」というものだった。その通りだと思う。朝日や毎日の中にその程度の指摘ができる記者がいたなら、ぼくも新聞購読をやめたりなんぞしなかったんだけど。ともかく、はっきり言って、その肉体の医学的な衰滅のずいぶん前に、思想家としての吉本隆明は死んでいた(ただ、ご本人の名誉のために申し添えておくと、文芸批評家としてはいくつか良い仕事を遺されている。書評集『新・書物の解体学』などは、いろいろと示唆に富む文章を含んだ好著だと思う)。吉本さんが「戦後最大の思想家」と呼ばれるに値する著作家であるとするならば、それは70年代後半までの仕事に対してである。ごく簡単ながら、そのことについて考えてみたい。

 前回の記事でも書いたとおり、ぼくは高3のときに学校の最寄りの書店で角川文庫版の『共同幻想論』に出くわして、ほんとうに大きな影響を受けた。あの時に『共同幻想論』に出会ってなければ今頃は……いやまあ、どうなっていたかは分からないけれど、少なくともこんなブログをやってなかったことは間違いない。しかしいま、ほぼ十数年ぶりに書棚の奥から引っ張り出して読み返してみると、正直、よく分からなかった。ウィキペディアの「共同幻想論」の項に、「難解というより曖昧な書物」と書いてあるのはまったく言いえて妙だと思う。「国家は幻想である」というテーゼは確かにショッキングに違いないけれど、しかし、この論考によってそのことが真に立証されていると言えるのだろうか? 柳田國男の『遠野物語』と『古事記』だけにテクストを依拠して、それで国家の本質が暴けるのか? もし仮に「国家の起源は共同体の幻想にあった」ということが証明できたにせよ、それが数千年という歳月を経て、われわれの住まうこの近代社会にまで適用できる保証はあるのか?

 また、実際にこの近代国家が幻想の産物だとしても、それでもやはりぼくたちは、この国の法律や政治や制度や教育や市場や環境によって拘束を受けているわけで、ただ幻想性を喝破しただけでは、たんに認識の転回にすぎない。現実に立ち向かう力をそこから得られるわけではないだろう。そんなことも考えた。つまり、あまりにも初歩的なところでいっぱい疑問にぶつかっちまったわけである。こうなると、以前この本のどこにそれほど感動したのか、自分がいささか不安になってくる。思い返せば、高3のぼくが感動したのは、この本の内容それ自体よりも、ひとりの人間が自分の脳髄だけを頼りにここまで広くて深い考察を繰り広げているという、その営為そのものに対してであったようだ。その志の高さと腕力に感動したのだ。こんな試みは前代未聞だろうと思っていた。マルクスの相棒エンゲルスが『家族・私有財産・国家の起源』という論考を残しているのだが、そのことを当時のぼくは知らなかった。

 ひとつ言い添えておくと、だいたい「岬」くらいから後の中上健次はこの『共同幻想論』からものすごく影響を受けている。むろん中上の場合はそこから遡行して柳田や折口信夫を貪り読み、じっさいに熊野の深奥にも踏み入って、巨大な物語世界を繰り広げていったわけだが、それをも含めて、「オリュウノオバ」が登場する彼の一連の作品は、「共同幻想論」なしには考えられない。つまり『共同幻想論』はやっぱり文学書としてはたいへんなものだし、ぼくも小説を書く人間としては今もなお確かに刺激を受けるのだが、しかし、これが政治学ないし歴史学ないし民俗学の論文として世界に向けて翻訳されるべきものかと訊かれれば、どうにも首を傾げざるをえない。そもそも翻訳が可能だろうか? 吉本さんの文章は用語が我流で論旨に独特の飛躍がある。例えば丸山眞男や加藤周一の文章ならばほとんどそのまま欧文脈に移調できると思うのだが、吉本さんはそうではない。たぶん翻訳はされてないだろう。「世に倦む日日」さんが、「なんで吉本隆明が世界水準の思想家なのか。世界水準なら、欧米の学者が競って訳しているはずだ」と難詰しておられたけれど、それは確かにそうだと思う。吉本隆明が世界レベルなんて、日本人しか言ってないだろう。「黒澤明が世界レベル」とか「イチローが世界レベル」というのとは違う。海外における実績がない。

 「世界レベル」はともかくとして、ではしかし「戦後最大の思想家」というキャッチコピーはどうなのか。そのまえに、そもそも「思想家」ってなんなのよ?という問題がある。和英辞典で「思想家」と引くと「thinker」だと書いてある。しかし英米の辞書をひもとけば、たとえばサルトルは「実存主義を唱えたマルクス主義哲学者」である。フーコーは「哲学者・社会歴史学者・政治的実践家で、後年には、クィア理論のアイコン」だ。アドルノは「文化批評家・哲学者、フランクフルト学派の主要メンバー」、サイードなら「文芸批評家・ポストコロニアル理論の主導者」といった按配となる。ぼくが調べたかぎりでは、「thinker」などというたいそうな肩書きを明記されている著作家は、かのマルクスとヘーゲルの二人しかいなかった。ニーチェですら、「哲学者」に留まっている。それくらい、「思想家」という呼称はハードルが高いのだ。

 近代ばかりか中世・古代の昔から、海外からの輸入によって文化を発展させてきたわが国のばあい、話はさらに輪をかけて厄介である。ニッポンにおいて思想家とは何か、さらにまた、ニッポンにおいて思想とは何か、という問題になってくると、とてもじゃないがブログ二、三本分の記事で扱えるものではない。ただ、吉本隆明について考えていくと、どうしても話がそこまで及んでしまう。

 たとえば戦後日本を代表する知識人といえば先に名を挙げた丸山眞男、加藤周一といった方が思い浮かぶ。戦後日本を代表する碩学といえば井筒俊彦、大塚久雄あたりだろうか。しかし皆さん、どこか「思想家」という呼称にはそぐわない気がする。アカデミズムの枠内(もしくはその近傍)に身を置き、節度を保っておられたがゆえに、やはりこれらの方々は「学者」であり「評論家」なのだ。吉本隆明はもっとずっと下世話で雑駁だった。大和書房という出版社から80年代の半ばに出た「吉本隆明全集撰」は、「共同幻想論」「言語にとって美とはなにか」「心的現象論」などの主著を除いているにも関わらず、一巻当たり600ページ前後に及ぶ全七巻のボリュームである。吉本さんはここで、詩を論じ、宮沢賢治や横光利一や小林秀雄を論じ、政治を論じ、マルクスを論じ、聖書(マタイ福音書)を論じ、天皇を論じ、西行を論じ、マスメディアを論じている。それらの考察のすべてが的を射ているとは思わぬけれど(むしろ異議を呈したい考察のほうが目に付くけれど)、それでもやっぱりこのエネルギーは驚異的だ。

 いま大学で思想をやっている20代の俊英などから見れば、「言語にとって美とはなにか」はソシュール以前の、「心的現象論」はラカン以前の幼稚な議論としか思えないだろう。「共同幻想論」は類書がないのでよく分からないけれど、マルクスの唱えた《上部構造》の概念を批判した論考として見るならば、「それならフランクフルト学派がはるかにきっちりやってますよ。」という話になるんじゃなかろうかと思う。つまり、吉本さんの全盛期、すなわち70年代後半までの仕事はほとんど乗り越えられてしまっていて、あとはただ、バブル経済を「超―西欧的」と見なしたバカボンパパだけが佇んでいる、ということにもなる。

 しかし、かつて『共同幻想論』一冊によって《知の快楽》に目覚め、なんとなく道を誤ってしまった往年の高校生としては、どうしてもそれだけで話を終えたくはないのだ。吉本さんの「とにもかくにも自分のアタマで考える。自分ひとりの力で世界を丸ごと把握する」という異形の情熱は本物だったし、その情熱の強度において吉本さんは傑出していた。「戦後最大」かどうかは留保するにせよ、このニッポンにあって、思想家、と呼ぶに値する稀な著作家だったとは思いたい。


 追記) その後、ウィキペディアで確認したら、『共同幻想論』は日本人の手によってフランス語に訳されているそうな。ちょっとびっくり。



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