ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

大河ドラマ「平清盛」は文学史の勉強にもなるぞという話。

2016-06-18 | 歴史・文化
初出 2012年02月05日


 今年の大河は『平清盛』ということで、年始には百人一首について少し考えていた。公家(貴族)の独占していた権力が武士の手によって簒奪され、やがて宮廷文化が終焉を迎えて、後鳥羽院が壱岐へと流される。百人一首とは、天才歌人にして天才批評家にして天才編集者の藤原定家が、そのような時代の趨勢のなかで王朝を葬送するために編んだ長大にして華麗な挽歌なのであり、清盛こそ、その「武士の世」を日本にもたらした嚆矢にほかならないからだ。今年の大河は文学史の勉強にもなるぞと楽しみにしていたのである。先週(1月29日)放送の第4話にて、早くも期待に違わぬ面白いエピソードが見られた。

 待賢門院璋子(壇れい)の居室の庭に、若き「北面の武士」たちが控えている。佐藤義清(藤木直人)の姿も見える。新参の清盛(松山ケンイチ)はうんざりした顔で末席にいる。侍女たちは、堀河(りょう)を中心に、彼女の詠んだ和歌の話で盛り上がっている。「長からむ心も知らずわが袖の濡れてぞ今朝はものをこそ思へ」というのがその歌だ。「そなたたちはどう思う?」と意見を問われ、武士のひとりが「後朝(きぬぎぬ)の別れのあとで、男への愛しさと不安に惑って着物の袖を涙で濡らす女性の心情が伝わってきます。」といったようなことを言い、脇の一人が、「わたくしもぜひ、女性からそのように思われてみたいものでございます。」と言い添える。適格な感想であり、社交辞令としてはいずれも百点に近い。まんざらでもなさそうに頷く堀川と、楽しげに笑いさざめく侍女たち。にこやかにそれを見守る待賢門院。

 清盛だけは、この場の雰囲気にまったく馴染めず、「何じゃこりゃ」という顔で横を向いている。そこへいきなり「そなたはどうじゃ?」と問いかけられる。およそ雅に無縁なこの男にすれば、これはまさしく「ムチャ振り」である。案の定このアホは、「濡れている」というのを寝小便のことだと思い込み、こともあろうにジェスチャー付きで、珍解釈を披露して満座の失笑を買う。呆れて冷笑を浮かべる堀河。しらけムードが漂うなか、おもむろに待賢門院が、「そちはどう思う?」と佐藤義清に訊く。ここからの展開がすごい。義清、「みなの申すとおり、よい歌と存じます。」と前置きしたうえで、「されど……」と続け、「長からむ、と始めたからには、わが袖の、は、黒髪の、とされてはいかがでしょうか。」と、元歌に朱を入れてみせるのだ。

 ほう、と嘆声を漏らしてざわめく侍女たち。待賢門院も身を乗り出し、「では、濡れてぞ、はなんと致す?」と訊くと、義清は一礼し、「乱れて、としてはどうかと」と鮮やかに応じる。あっ、という顔で彼を見た堀河は、「ほう。なんと佳い歌ではないか、のう?」と待賢門院に促され、「はい」と一礼をかえす。百人一首80番、あの鮮烈にしてエロティックな名歌「長からむ心も知らず黒髪の乱れて今朝はものをこそ思へ」の誕生である。爽やかな藤木くん演じるこの佐藤義清こそ、「三夕の歌」の作者の一人としても名高い、のちの大歌人・西行。つまり百人一首に採られた堀河の歌は西行の添削によって出来上がったという趣向であり、まあ堀河女御にとってはかなり失礼な話なのだが、ドラマの上での脚色としてはじつに面白い。義清は文武両道に秀で、将来を嘱望された立派な武士だったのだが、若年のうちに務めを辞して出家してしまい、諸国を行御して過ごす。一説には、その原因となったのが、高貴なる待賢門院との道ならぬ恋だとされている。つまりこのエピソードは、待賢門院璋子が彼の存在を心に焼き付けるきっかけであったわけだ。

 百人一首に採られたその西行自身の歌は、86番、「嘆けとて月やは物を思はする かこち顔なるわが涙かな」である。この「月」はたんに中天に輝くあの月ってだけではなくて、待賢門院璋子のおもかげが重ね合わされている、というのが詩人・高橋睦郎さんの秀逸な解釈であり(中公新書『百人一首』)、ぼくもこの意見に賛同する者だが、鑑賞に当たってこの「月」に、壇れいさんの清楚にしてちょっと妖しい美貌を重ねて思い浮かべてみれば、歌の魅力がいやがうえにも倍増するってもんである。大河ドラマの愉しみのひとつはここにある。無味乾燥な教科書の記述の中の人物に、生々しい肉付けを与えてくれるのだ。だいたい大河は視聴率その他の関係で戦国と幕末ばかりをほとんど交互に取り上げており、平安朝が舞台になっているだけでもたいそう貴重なことなのだ。主役の清盛、義朝(玉木宏)の二人はもちろんのこと、脇役では例えば阿部サダヲ演じる藤原(高階)通憲はのちの信西であり、この人の今後の運命からも目が離せない。前の「江」はメルヘンもしくはファンタジーとして気楽に観ていたが、今年の大河はけっこう本気で楽しみにしております。

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