ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

雑談・応仁の乱02 fukushima50

2021-04-02 | 歴史・文化


 「戦後民主主義」について考えてるうちに「応仁の乱」まで至るってのも、われながら気の長い話だと思うけれども……ふつうは「大正デモクラシー」とか、「明治前期の自由民権運動」くらいのとこでしょうね。行ったとしても、せいぜい安藤昌益とか……。応仁の乱なあ……。内藤湖南先生の説に従えば、ここが現代につながる日本史上の画期なんで、とりあえず当面はこれ以上遡らないと思いますが。


 『Fukushima50』が早くも地上波初放送ってことで、「金曜ロードSHOW!」でやったのをビデオに録って観てるんだけど、凄いねどうも。臨場感というか、事故当時の再現性が真に迫ってる。9・11以降を生きる日本人なら最低1度は見とかなきゃいけない。見とかなきゃいけないんだけども、ただ佐野史郎演じるあの「内閣総理大臣」の描き方ってものはないね。全編ただもうヒステリックに喚き散らしてるだけという……。「これは実話にもとづく物語です。」ってことで、この人だけが固有名ではなく「内閣総理大臣」って肩書でぼかされてるんだけど、それにしてもねえ……。当時は民主党政権で、首相は菅直人だったわけで、ぼくはもとよりあの政党(今は無くなっちゃったんだっけ? どうだっけ?)にも菅さんにも何ひとつ思い入れはないし、どっちかっていえば嫌いだったけども、それでも映画としてあの描き方はないね。そりゃ対応は間違ったのかもしれないけど、あの人にはあの人なりの考えや苦悩があったわけでしょう。あんな人物描写をしたせいで、肝心の作品そのものも薄っぺらくなっちゃいましたね。
 でもあの作品では、東電の本社(作中では「本店」と呼ばれる)と原子力発電所の作業員の皆さんとの齟齬ってものがまざまざと描かれていて、そこは身につまされました。あれは「司令部」と「現場」との格差ってやつで、いわば人間のつくるすべての組織の病弊ですね。太平洋戦争だってもちろんそう。インパール作戦なんてね、とんでもない話だ。そんな大きな例を出さなくっても、だれだって現場に立つ人だったら日々経験してることでしょう。「民主主義」の問題ってものも、結局はそこに尽きるんだよね。政治家とか官僚っていう「司令部」と、われわれ庶民っていう「現場」との格差。ぼくが言おうとしてるのも、つまりはそういう話なんだけど……。


 応仁の乱の話でしたね。
 これが「日本史における画期」とされるのは、このあたりから「民衆」ってものが歴史の前面にあらわれてくるからでしょう。それまではなんだかよくわからない。平安朝なんてね、やれ勅撰和歌集だ、やれ源氏物語だっていうけども、それってみんな宮中の話ですからね。殿上人のお話なんだから。ぼくたちの先祖なんてのは……まあ、少なくともぼくの先祖なんてものは、そんな雅(みやび)事とはいっさい何のかかわりもなく、地べたを這いずるように生きてたんじゃないかと思うわけでね……まあ、「地べたを這いずるように」ってイメージもひとつの紋切り型で、じつは案外楽しんでたかもしれないけども、とりあえず、今日まで残るような「平安文化」とは関わりなく暮らしていたのは確かですよね。
 平安の末期はいわゆる院政期で、このへんから公家に代わって武士が台頭してくる。そして平氏滅亡のあと、いよいよ「武家の世」がきて、いわば鎌倉と京との二重政権みたいになって、社会がさらに武張ってくる。やがて北条氏が倒れ後醍醐帝も敗れて、尊氏が京に幕府をひらく。これが武家の本拠たる鎌倉じゃなく京だったってのがミソですね。そこから全盛期の義満をはさんで、応仁の乱までほぼ130年。
 むかし歴史の本を読んでて不思議だったのは、応仁の乱で京の都が焼け野原になって、そこに折からの飢饉も重なり、8万とも9万ともいわれる数の人が亡くなったっていうんでね、「それでどうして都が廃墟にならなかったんだろう。」と不思議でならなかったんですよ。ちなみに、統計もないのになぜ数がわかったのかっていうと、卒塔婆を立てたんで、その数だっていうんだけども、いずれにせよ、当時の人口がどれくらいあったのか知らないが、8万だ9万だって数は明らかに尋常じゃない。そんな状況なんだから、流亡を余儀なくされた人たちや、都から逃げ落ちる人たちもとうぜん沢山いたでしょうしね。


 その反面、「室町期は現代の生活につながる様々な趣味や様式や文化が生まれた時代だ。」ということもよく聞いた。お茶とかお花とかお庭とか、その他もろもろですけども、しかし一方に8万だ9万だって数の卒塔婆が立っててだよ、それで趣味も様式も文化もへちまもあったもんじゃないと思うんだなあ。そのあたりの兼ね合いがよくわかんなくて、どうも室町期ってのは、うまく像を結びにくかったですね。それで何冊か本も読んだりしたけども、やっぱり長らく釈然としなかった。
 それでも少しずつわかってきたのは、「乱世とは多大なる犠牲者を出す悲惨な時期ではあるが、いっぽう、逞しく・荒々しくなければ生きていけないという点で、人々の底力を引き出す活気あふれる時代でもある。」ってことでしょうか。
 つまり、弱い層は否応なく滅びざるを得ず、そこはまことに苛烈なんだけど、しかし少しでも気概なり才覚なり腕っぷしを持っている者は、ありとあらゆる手段を弄して生き延びていく、のみならず、悪辣な手を使ってでも、社会の階梯をのし上がっていく、ということですね。
 それのスケールの大きいやつが「下剋上」で、それが蔓延するきっかけをつくったのが応仁の乱なんですね。



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