ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

ブログ「世に倦む日日」さんの「瀬戸内寂聴の『美は乱調にあり』を読む – 青鞜の群像とスキャンダリズム」への反論

2021-11-28 | 純文学って何?
 ぼくがブログを始めたのは2006(平成18)年のことだ。ocnブログというサービスだったが、2014年にgooブログと統合され、こちらに越してきた。2006年にはまだnoteなんてものもなく、ブログ人口は今よりずっと少なかった。Twitterもなければ、むろんyoutuberなんて人々が存在すべくもなかった。
 ブログはもともと公開日記として出てきたメディアだが、ぼくは身辺雑記を書く気はなかったので、当初はコラムとも読書メモとも付かぬ短い文章を書いていた。Twitterをいくぶん長くしたていどのものだったろうか。クラウドというサービスもまだなかったが、今から思えばクラウド代わりの気分であった。自分のパソコンに保存していると、紛れたり、故障の際にデータ自体が失われたりする。ウェブ上に置いておけばその心配はないし、誰かの目にふれて何かの参考になるかもしれない。一石二鳥ではないか。
 「世に倦む日日」を見つけたのは2009年だった。映画『ダヴィンチ・コード』が初めてテレビ放映され、それを観たあとネットでこの作品について調べた。そのときに辿り着いたので、日付を覚えているわけだ。
 「世に倦む日日」氏は2004年にブログを始めておられるが、開始して間もない頃に『ダヴィンチ・コード』についての記事を上げている。映画ではなく原作のほうだ。さらに2006年には映画版についての記事も上げている。ぼくがそのとき辿り着いたのは2004年の記事のほうで、5年遅れで「世に倦む日日」を発見したことになる。ちなみにこれらの記事は今も閲覧可能だが、先ほど12年ぶりに読み返したらやっぱり面白かった。
 『ダヴィンチ・コード』(角川文庫)そのものは通俗小説に過ぎないが、キリスト教圏外のわれわれがキリスト教にふれるきっかけになるのは確かだ。手頃なところで、もっといいのは佐藤優の『私のマルクス』(新潮文庫)。マルクスと銘打ってはいるが、プロテスタント神学の勉強になる本である。
 「世に倦む日日」に出会ったとき、まず驚いたのはその長さで、「ブログでこんな長文がやれるのか。」と思った。迂闊にも、当時のぼくは「wordで下書きをつくってコピー&ペーストで移す」という方法を知らなかったため、編集画面の枠内にぽちぽちと文字を打ち込んでいたのである。手間もかかるし、途中で誤って送信したり、消してしまうことも度々だった。
 長さに一驚したあと、内容の濃さに感心した。冒頭で述べたが、当時まだnoteはない。個人ブログであそこまで濃厚なものはさほど多くなかったはずである。
 それからはぼくも、きちんと草稿を練って長めの記事を上げるようになった。
 「世に倦む日日」氏は誰の目にも明らかな左翼であり、それはブログの最初の記事から一貫している。対してぼくにはそういう意味での政治的定見はない。げんに去年(2020年)は、「コロナを全世界に広めた中共許すまじ!」の一念から、毎日のようにネットで「虎ノ門ニュース」を見て、トランプや安倍晋三に肩入れしていた。
 しかるに今年に入ってからは、コロナ禍での五輪強行開催に呆れ果て、さらに安倍・菅内閣の9年間でわがニッポンがいかに国際的に凋落したかを勉強し直して、がぜん「反自民・反安倍」へと急旋回した。近ごろは「猫のリュックくん」さんのtwitterを追いかけるのが日課になっている。
 ぼくは「自由」が好きなのである。さらにいうなら「民主主義」も「日本」も好きだ。その点に関しては揺るぎない。しかし、「では自由をいかにして実現するか?」となると、その道筋は簡単ではない。
 ひとつの国が国際的な独立(≒自由)を得るためには軍事力が不可欠(必要悪)だ。しかし、福利厚生をそっちのけにして、軍事にばかり傾きすぎたら国民が幸せになれるはずがない。その兼ね合いが難しいのである。むろん、特定の人物やら政党やら企業が縁故主義で結びついたり、陰に陽に権力を誇示して関連機関や個人に圧力をかけたりするのも論外だ。それくらい「自由」を蔑ろにする行為もない。
 そういう意味で、今のぼくは「自由」と「民主主義」と「ニッポン」を愛するがゆえに「反自民・反安倍」にならざるを得ないわけだけれども、どうもこの道理がなかなか通らないので困る。「自民党≒安倍≒ニッポン」といった感じのおかしな等式がまかり通っている。それは多分に「日本会議」のせいかもしれないが、この歪んだ等式を何とかしなければならない。このままでは二大政党制など望むべくもない。
 話が逸れた。「世に倦む日日」のことだった。
 「世に倦む日日」氏の博識と分析力には学ぶところが多いが、そのいっぽう、率直に言わせて頂ければ、意外なほどに知識が偏っているように思えて戸惑うことも少なくない。ことにぼくの専門である文学やサブカルにおいては首を傾げる……というより申し訳ないが思わず笑ってしまうこともある。もともと氏は嫌いなもの、敵対するものについては仮借ない罵詈を浴びせる反面、好きな対象については過剰なまでの称賛を惜しまないのだが、「村上春樹は神である。」という揚言を目にしたときは実際ほんとに笑ってしまった。村上さんは確かに重要な文学者ではあるが、いくらなんでも「神」はなかろう。いかに本邦が八百万の神々の賑わう国とはいえど、さすがにこれは言い過ぎだ。


村上春樹『職業としての小説家』を読む - あらためて村上春樹は神である2015-11-04
https://critic20.exblog.jp/24896979/



 氏がこの記事で引き合いに出しているのは辺見庸だが、辺見さんに留まらず、比較対象としてより多くの作家をもっていたなら、こんな過賞が出てくるはずがないのである。大江健三郎を(保守派を自認する連中がやるように)単なる戦後民主主義の擁護者として矮小化するのではなく、現代文学の巨人として時代を追って体系的に読み込んでいれば、間違ってもハルキさんにそこまでの評価を下せるはずがないのだ。
 「世に倦む日日」さんには文学の素養が乏しい。もっと言うなら、「文学とは政治に従属するもの」という古い社会主義リアリズム文学理論のシッポが残っていて、文学を軽く見ておられるようにも映る。そこが以前からぼくには不満だった。
 そのほか、よく気になるのは、「今の日本は社会のみならず論壇の隅々までもが新自由主義に毒されていて、もはや社会主義を奉じる学者がいない。」というフレーズ。いろいろな記事で氏はかたちを変えてこのことを強調されるのだが、たしかに東浩紀みたいな若手(とはいってももう50だが)を見ればそう言いたくなるのもわかるけれども、けしてそんなことはない。
 たとえば的場昭弘(1952/昭和27生)氏がいるではないか。ハードカバーの高価な専門書のほかに、新書や文庫サイズでマルクス主義の入門書や解説書をたくさん出している。祥伝社新書の『超訳「資本論」』全3巻などはとても面白かった。商売上手の内田樹さんのマルクス入門本はうまく毒気を脱色している感があるけれど、的場氏にはマルクスを武器に本気で新自由主義と切り結ばんとする気概が見られる。これだけ著作が多いということは、若い読者もそれなりに付いているのだろう。
 ほかにも、ぼくも最近知ったのだが、薬師院仁志(1961/昭和36生)という方もいる。光文社新書の『社会主義の誤解を解く』はおおいに勉強になった。
 つまり、新自由主義が猖獗を極める現代ニホン社会にあっても、社会主義を奉じる学者がいなくなったわけではない。「世に倦む日日」氏がよく名前を挙げられるのは、上野千鶴子、本田由紀といった「リベラル派」の方々である。しかし、そういったリベラルの他に、はっきりと社会主義を標榜している書き手もまだまだ少なくない。そういったあたりに目配りが及んでおられぬのではないか。


 さて。世に倦む日日さんの最新記事は、「瀬戸内寂聴の『美は乱調にあり』を読む – 青鞜の群像とスキャンダリズム」2021-11-26である。
https://critic20.exblog.jp/32389764/
 この記事の出だしに、先ごろ逝去された瀬戸内寂聴さんが、
「四百冊を超えているらしい自作の中で、ぜひ、今も読んでもらいたい本をひとつあげよと云われたら、迷いなく即座に、『美は乱調にあり』『階調は偽りなり』と答えるであろう。」
 と記していたという話が置かれている。ぼくはこれを読むまでそのことを知らなかったけれど、「やはりそうか。」と思った。つい先日、11月11日にアップした記事の中で、


「(……前略)……訃報を聞いてぼくが即座に思い浮かべたのは、伊藤野枝の生涯を描いた『美は乱調にあり』と『諧調は偽りなり』だ。」


 と書いていたからだ。瀬戸内さんでいちばんいいのはやはり伝記文学だと思うが、なかでもこの二作(前編・後編)が白眉といえる。もう一作というなら岡本かの子を描いた『かの子繚乱』だろうか。ほかに管野須賀子を描いた『遠い声』、金子文子を描いた『余白の春』もあり、「かの子」以外は岩波現代文庫に入っている。
 世に倦む日日さんは、訃報に接するまで瀬戸内さんにも近代女性史にもさほど大きな関心を払っていなかったようで、このたび初めて『美は乱調にあり』を読まれたらしい。その感想として、


「この小説で勉強になるのは青鞜社の歴史であり、青鞜に集まった個性的で魅力的な「新しい女」たちの群像である。私はこの周辺にほとんど無知同然だったので、大いに蒙を啓かれ、関心の端緒を持つこととなった。ジェンダーの時代、この時期の女性解放運動史と人間模様の理解は現代人の必須の教養の如くであり、それを仕入れることが読書の動機の一つだったと言える。もう残りの人生の時間も多くないから、とにかく、知るべきことで欠けていることは早く吸収して(自己満足であっても)養分にしないといけない。」


 と記事の中で述べている。じゅうぶんに博識でありながら、こうやって書生のように初々しい向学心を吐露されるあたりが「世に倦む日日」の魅力の一つであって、こういうところは見習わせて頂きたいものだ。そうお思いであればぜひ、ぼくが11月11日の記事で紹介した、まだ「晴美」であった頃の瀬戸内さんが編者を務めた「人物近代女性史」(全8巻・講談社文庫)をお勧めしたい。タイトルどおり、近代の日本をつくった女性たちの小伝を、簡潔かつ生き生きとまとめた列伝集である。著者のほうもすべて女性というのがポイントだ。
 瀬戸内さんは編者というか、「大看板」みたいな役どころで、各巻巻頭の解説のほか、ご自身が筆を執ったのは金子文子と田村俊子の小伝だけだが、他の書き手たちの文章もまったく引けを取ってはいない。1980年(親本となった単行本の出た年)にはノンフィクション界にこれだけの錚々たる才媛が揃っていたわけで、平成以降むしろ層が薄くなったようにさえ感じる。しかしそれは別の話だ。ともかくこのシリーズ、紙媒体は絶版で、電子書籍化もされていないので古書か図書館で読むしかないが、ここまでコンパクトで内容の詰まった「近代日本女性史」は今でも見当たらぬはずである。
 それはそれとして、ぼくが今回言いたかったのはまた別件なのだった。表題からも知られるとおり、この記事のテーマは「スキャンダル」なのだ。
 『美は乱調にあり』と『諧調は偽りなり』の主人公・伊藤野枝は1912(大正元)年、17歳で「青鞜社」の同人となり、ここから知的世界へと足を踏み入れていくのだが、その青鞜社の主宰者が9つ上の平塚らいてうだった。
 この「青鞜」内部のスキャンダルについてもあれこれ書かれているのだが、詳しいことは本記事のほうで読んで頂くとして(もちろん無料公開である)、ぼくがこの記事を看過できぬと思ったのは、夏目漱石に対する誹謗めいたくだりが見られたからだ。世に倦む日日氏はこう書く。




(……前略……)この時期、青鞜だけではないが、文芸雑誌は何やら今の女性週刊誌の中身を併せ持った気配があり、文士たちは恰も芸能タレントの如くで、自分たちのプライベートな自由恋愛を奔放に誌上に暴露し、醜聞の抗弁や批判や論評を演じ合う。恥も外聞もなく。平野啓一郞も怪訝に紹介していたが、現在とはずいぶん時代が異なっていて、不思議な感覚にさせられる。/それは、ある種、大衆の俗情に寄り添って市場の部数を稼ぐビジネスの論理と思惑からの必然性だったのだろうか。よく分からないが、彼らは絶え間なくそれをやり、痴情悶着の暴露応酬をエスカレートさせ、青鞜はおそらくその影響で本来の価値を減価償却して行ったと思われる。近代女性の理念理想にフォーカスした文芸同人誌から、よりラディカルな社会変革思想の方向に旋回し、政府官憲の治安上の干渉と取締りを受けたことに加えて、男女の醜聞ネタの要素が全開になったことが、青鞜が急速に支持を失って衰えた原因ではないか。寂聴の筆からはそう読み取れる。だが、実際、青鞜の女流文士たちだけでなく、自然主義や白樺派の文豪巨匠たちも同じことをやっていて、それが当時の文学文壇のリアリティそのものだった。




 「青鞜」にかんする評価はともかく、その余勢を駆っての「だが、実際、青鞜の女流文士たちだけでなく、自然主義や白樺派の文豪巨匠たちも同じことをやっていて、それが当時の文学文壇のリアリティそのものだった。」がまず勇み足である。論旨が飛躍しすぎている。「文学文壇」なる言い回しも変だが、何にせよ明治後期から大正にかけての文壇ってものをそう安直に片付けられては困る。西欧に学んだ「自然主義」が日本に土着して「私小説」へと変質していく過程はたいそう複雑微妙なもので、こんなふうに荒っぽく(しかも悪意を込めて)纏めてしまっては肝心なところを見誤ってしまう。
 しかも世に倦む日日氏は、この上さらに「不可解で倒錯としか思えない日本文学の悪習と病癖。なぜこんな奇態になっているのだろうか。どうも、そこには夏目漱石の影があるのだ。」と続けるのだ。おいおい、と思わず口にせざるを得ないではないか。
 平塚らいてう(当時はまだ女学生・平塚明(はる)であったが)は1908(明治41)年、22歳の時に栃木の塩原で心中未遂事件を起こす。相手は通っていた文学講座の教師・森田草平(当時27歳)。まぎれもないスキャンダルである。これはのちに塩原事件、ないし後述の理由から煤煙事件と呼ばれることになる。
 この森田草平が漱石の弟子のひとりだった。
 森田草平、今ではまったく読まれておらず、それこそ「漱石の弟子のひとり」として文学史に名前を留めているていどだが、当時はそこそこ有力な作家だった。このように「今ではまったく読まれていないが当時はそこそこ有力だった作家」というのが沢山いるから文学史というものは一筋縄ではいかぬのである。
 この辺の時代状況を知る上での最適かつ不可欠の資料は伊藤整(19巻からは瀬沼茂樹)の『日本文壇史』(講談社文芸文庫)なのだが、これは全24巻だから目を通すのも大変だ。若い人なら関川夏央/谷口ジロー(『孤独のグルメ』の絵を描いている人)のマンガ『坊ちゃんの時代』が手っ取り早いかと思う。電子書籍あり。
(注・ここまで書いて、2015/平成27年のNHK連続テレビ小説「あさが来た」で、当時の事情がかなり詳しく(むろん潤色がたっぷり加えられているのだろうが)描かれていたことを知った。だったら平塚明のこともお茶の間にわりと知られているのではないか。ふだんテレビを見ないのでこういうところが疎くて弱る)


 「世に倦む日日」氏の言い分はこうだ。




この事件を門下の弟子の森田草平に小説にして書けと指導したのは漱石だった。/なぜそのように指示したかというと、森田草平に才能がなく、創作の題材を見つけて物語を織り上げる力がなかったからである。手っ取り早く私的な情痴事件を書いてみいと指導した。漱石一門で東大文学部の文学エリート(文学官僚)である以上、売れない作家というわけにはいかなかったからだ。おそらく、こんな感じで「日本文学」の「業界」が組み上がっていて、太宰治は典型的にその延長上にある。それがスタンダードだったのだ。手頃な標的を見つけて恋文を書きまくり、返信を友人に見せびらかし、その後のラブゲームの波乱と顛末を小説化して売文する。新聞記者にリークして醜聞を囃させ宣伝する。という、それが文壇と業界の標準スタイルだったのだ。




 世に倦む日日さんが『美は乱調にあり』『諧調は偽りなり』以外にどのような資料に依拠しているのかはわからぬが、『日本文壇史』全24巻を読破しておられぬことは確かであろう。限られた情報を元に想像力を駆使して憶説を立て、その臆説がどんどん加速して膨らんでいくのがこのブログの真骨頂ではあるのだが、ぼくとしても、自分の専門分野でここまで放埓なことを述べ立てられたら黙っているわけにはいかない。
 森田草平が平塚明との心中未遂事件を元に小説を書いたのは事実だ。タイトルは『煤煙』。1909(明治42)年の1月から5月まで東京朝日新聞に連載された。ふつうであれば社会的に葬り去られるはずだった森田草平は、まさに起死回生というべく、この小説によって逆に新進作家として認められた。
 日本版wikiの「煤煙(小説)」の項には、「漱石は『東京朝日新聞』の文芸欄を担当していたことから草平にこの事件を書くことを勧め、森田は平塚家の許可を得て、小説として1909年1月1日から5月16日まで127回にわたって連載した。」と書かれ、出典は荻原桂子『夏目漱石の作品研究』(花書院)となっている。世に倦む日日氏はこのwikiの記述を参考にされたのだろうか。
 ぼくはさすがにこの本を読んではいないため、荻原さんがどんな資料に基づいてそう書かれたのかは不明だけれど、『日本文壇史』の13巻『頽唐派の詩人たち』の当該部分を見ると、漱石はけして森田草平に向かって「手っ取り早く私的な情痴事件を書いてみい。」などと指導も指示もしていない。森田草平が自らの意思でその体験を書こうと決めたのだ(むしろ最初からその気で道行きに赴いた節さえある)。漱石がしたのは朝日新聞に発表の場を設けてやったことと、明(はる)の母が苦情を言いに来たとき間に入って弁明をしてやったことくらいである。
 それはもちろん弟子なのだし、一時は家に居候までさせてやっていたらしいから、この体験を文学として昇華したらどうか、という示唆はあったのかもしれないが、だとしてもそれは、けして大衆の俗情に媚びて安っぽい人気を得ようというのではなかった。あくまでも「平塚明」という新時代の女性の個性が新時代の日本文学の題材として描くに値するものだと思ったからこそのことなのである。文学への敬意に乏しい世に倦む日日さんにはその辺の機微がわかっていない。これでは漱石がなにやらチンピラ文士の元締みたいではないか。
 大文豪だからといって神格化する必要はないが、その裏返しのように、殊更ちんけな俗物扱いするのもおかしい。
 じっさい漱石は、平塚明本人には一面識もなかったけれども、森田から聞いた彼女の印象をもとにあの『三四郎』の里見美禰子を造形している。『煤煙』はもう読まれないけれど、『三四郎』は美禰子の魅力もあって今もなお青春小説の名品として読み継がれているのは周知のとおりだ。また漱石は、「『煤煙』の序」という短文において、小説の出来に苦言を呈してもいる。この「『煤煙』の序」はタイトルどおり森田草平の『煤煙』が出版された時の序文なのである。序文で作品の出来栄えに苦言を呈するわけだから、いかに師弟とはいえ大胆な話だとは思うけれども、しかしそのこと一つ取っても漱石が、「一門で東大文学部の文学エリート(文学官僚)である以上、売れない作家というわけにはいかなかった。」などと、しょうもない思惑を持って弟子や作品や文学に向き合っていたわけでないのが知られるであろう。


「『煤煙』の序」
https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/4684_9470.html



 というわけで、ふだんは「あれ?」と思う部分があっても適当に読み飛ばし、勉強になる所、参考になる所だけを記憶に留めるようにしているが、今回はどうにも酷すぎたのでこのような記事を書いた。失礼の段はご容赦願いたい。ただ、漱石の意図は別として、この「煤煙事件」が「醜聞の作品化~商品化」というべき事態を結果的に招聘した。少なくともその端緒をつくった。かもしれぬ。という仮説であれば、それなりに頷けないでもない。そのことは改めて考えてみたい。
 いずれにせよ、ぼくがいちばん言いたかったのは、近代日本文学とスキャンダルとの関係うんぬんよりも、もっともっと重要なのは「近代の日本における文学と社会主義思想との関係」ではないかということだ。近代日本を解く鍵はむしろこちらのほうである。世に倦む日日さんならば、とうぜんこの主題をこそ追究されるべきではあるまいか。




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