明治期の小説のタイトル(題名)は簡潔なものが多かった。たとえば夏目漱石(1867/慶応3~ 1916/大正5)のばあい、『倫敦塔』『坊ちゃん』『草枕』『夢十夜』『二百十日』『野分』『虞美人草』『坑夫』『三四郎』『それから』『門』『彼岸過迄』『行人』『こゝろ』『道草』『明暗』といった塩梅だ。
異色なのはデビュウ作の『吾輩は猫である』くらいか。これがもし『私は英語教師である』だったら面白くも何ともないわけで、いかにも当時の書生が愛用しそうな「吾輩」ときて、しかも語り手が「猫」だというのだから(それも比喩ではなくて本物の猫なのだ)、いかにホフマン(エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン。ドイツの作家・作曲家・法律家。1776/安永5 ~1822/文政5)の『牡猫ムルの人生観』という先蹤があったにせよ、卓抜なことをやったものである。
(注・19世紀末のフランスで『蚤の自叙伝』という春本がよく売れており、漱石はイギリス留学中、「牡猫ムル」ともども、その『蚤の自叙伝』をも英訳版で読んでいたのではないかとの推測がある。「蚤」の冒頭が「猫」のそれと酷似しているのだ。「牡猫ムル」と『蚤の自叙伝』では、ずいぶんと品が下がってしまうが、下品で通俗的だからこそ強いインパクトを受けるというのもよくある話だ。影響関係とは誠に複雑なものである。)
その「猫」以外のタイトルは前述のとおり簡潔なのだが、では地味なのかというとそうでもなくて、こちらが内容を知っているせいもあるかもしれぬが、それぞれに陰翳に満ちた豊かな象徴性を湛えているように映る。詩的といってもいいかもしれない。
とはいえ簡潔なのは間違いない。これは江戸期の歌舞伎の外題がどれも長くて賑々しかったことへの反動ではないか。西欧文化を規範と仰ぐ近代の小説家たちは、歌舞伎的なもの、戯作的なものからの脱却を(意識的にか無意識的にかはともかく)目指しており、そのあらわれがタイトルの付け方にも出たのではないか。ぼくはそう思っているのだが、このことについて権威ある筋の論文なり考察なりを読んだ覚えがないから定かではない。あくまでも私見であり、仮説である。
もうひとりの文豪・森鷗外(1862/文久2~ 1922/大正11)はどうだろう。『舞姫』『うたかたの記』『文づかひ』『半日』『青年』『雁』『妄想』『百物語』『山椒大夫』『高瀬舟』『寒山拾得』『堺事件』『阿部一族』『大塩平八郎』『渋江抽斎』『北条霞亭』。
やはり簡潔である。新政府の要職にある役人(軍医)という職業柄も与ってか、漱石よりも実証的で手堅い印象がある。詩的というより散文的だ。後年になると実在の人物の名をそのままタイトルに冠した評伝を手掛けるようになってその印象は更に強まるのだが、しかし作家・翻訳家としての鷗外は奇譚や怪奇・幻想ものも好んでおり、上記のホフマンやあのE・A・ポーなどを訳してもいる。実作では『百物語』や『寒山拾得』あたりにその薄気味悪さの片鱗がうかがえる。こういった奥行きの深さが文豪の文豪たる所以であろう。
そんな中でぼくが面白いと思う鷗外タイトルは、『ヰタ・セクスアリス』『かのように』『じいさんばあさん』、並びに『興津弥五右衛門の遺書』『最後の一句』だ。
ヴィタ・セクスアリスとはラテン語で「性的生活」の意味だが、明治42/1909年のニッポンで、これをそのまま日本語タイトルにしたら出版は不可能だ。初期の大江健三郎かよ?という話である。もとより内容はポルノなどであるはずもなく、極めて真面目に一男性の性欲のありようを描いた作品なのだが、それでも掲載誌「スバル」は発禁処分を受けたのだ。明治末あたりなら、一級の知識人にとっては、かえって今日よりもラテン語は身近だったかもしれないが、それでも大多数の読者にはこのタイトルは珍紛漢紛、それでいてハイカラに響いたろう。内容にふさわしい意欲的なタイトルではあった。
異色なのはデビュウ作の『吾輩は猫である』くらいか。これがもし『私は英語教師である』だったら面白くも何ともないわけで、いかにも当時の書生が愛用しそうな「吾輩」ときて、しかも語り手が「猫」だというのだから(それも比喩ではなくて本物の猫なのだ)、いかにホフマン(エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン。ドイツの作家・作曲家・法律家。1776/安永5 ~1822/文政5)の『牡猫ムルの人生観』という先蹤があったにせよ、卓抜なことをやったものである。
(注・19世紀末のフランスで『蚤の自叙伝』という春本がよく売れており、漱石はイギリス留学中、「牡猫ムル」ともども、その『蚤の自叙伝』をも英訳版で読んでいたのではないかとの推測がある。「蚤」の冒頭が「猫」のそれと酷似しているのだ。「牡猫ムル」と『蚤の自叙伝』では、ずいぶんと品が下がってしまうが、下品で通俗的だからこそ強いインパクトを受けるというのもよくある話だ。影響関係とは誠に複雑なものである。)
その「猫」以外のタイトルは前述のとおり簡潔なのだが、では地味なのかというとそうでもなくて、こちらが内容を知っているせいもあるかもしれぬが、それぞれに陰翳に満ちた豊かな象徴性を湛えているように映る。詩的といってもいいかもしれない。
とはいえ簡潔なのは間違いない。これは江戸期の歌舞伎の外題がどれも長くて賑々しかったことへの反動ではないか。西欧文化を規範と仰ぐ近代の小説家たちは、歌舞伎的なもの、戯作的なものからの脱却を(意識的にか無意識的にかはともかく)目指しており、そのあらわれがタイトルの付け方にも出たのではないか。ぼくはそう思っているのだが、このことについて権威ある筋の論文なり考察なりを読んだ覚えがないから定かではない。あくまでも私見であり、仮説である。
もうひとりの文豪・森鷗外(1862/文久2~ 1922/大正11)はどうだろう。『舞姫』『うたかたの記』『文づかひ』『半日』『青年』『雁』『妄想』『百物語』『山椒大夫』『高瀬舟』『寒山拾得』『堺事件』『阿部一族』『大塩平八郎』『渋江抽斎』『北条霞亭』。
やはり簡潔である。新政府の要職にある役人(軍医)という職業柄も与ってか、漱石よりも実証的で手堅い印象がある。詩的というより散文的だ。後年になると実在の人物の名をそのままタイトルに冠した評伝を手掛けるようになってその印象は更に強まるのだが、しかし作家・翻訳家としての鷗外は奇譚や怪奇・幻想ものも好んでおり、上記のホフマンやあのE・A・ポーなどを訳してもいる。実作では『百物語』や『寒山拾得』あたりにその薄気味悪さの片鱗がうかがえる。こういった奥行きの深さが文豪の文豪たる所以であろう。
そんな中でぼくが面白いと思う鷗外タイトルは、『ヰタ・セクスアリス』『かのように』『じいさんばあさん』、並びに『興津弥五右衛門の遺書』『最後の一句』だ。
ヴィタ・セクスアリスとはラテン語で「性的生活」の意味だが、明治42/1909年のニッポンで、これをそのまま日本語タイトルにしたら出版は不可能だ。初期の大江健三郎かよ?という話である。もとより内容はポルノなどであるはずもなく、極めて真面目に一男性の性欲のありようを描いた作品なのだが、それでも掲載誌「スバル」は発禁処分を受けたのだ。明治末あたりなら、一級の知識人にとっては、かえって今日よりもラテン語は身近だったかもしれないが、それでも大多数の読者にはこのタイトルは珍紛漢紛、それでいてハイカラに響いたろう。内容にふさわしい意欲的なタイトルではあった。
『かのように』は、とても柔らかな表題で、これは当時はおろか今日でもなお新鮮に響く。故・森田芳光監督の劇場デビュウ作『の・ようなもの』(1981/昭和56)を思い起こさせる。
『じいさんばあさん』も、ひらがなの表記と相俟って、どこか民話ふうの趣を持ったタイトルだ。
『興津弥五右衛門の遺書』と『最後の一句』は、どちらも封建制の下での武家の悲劇を扱ったものだが、「〇〇の〇〇」と単語を二つ重ねると、がぜん劇的になって想像が膨らむ。単語(あるいは熟語)ひとつで構成されたタイトルは今でも数多いが、「〇〇の〇〇」というタイトルもそれに劣らぬくらい多い。だが「硝子戸の中」「趣味の遺伝」「琴のそら音」のような随筆めいた短編を除けば、漱石はその手のタイトルを付けなかった。
『じいさんばあさん』も、ひらがなの表記と相俟って、どこか民話ふうの趣を持ったタイトルだ。
『興津弥五右衛門の遺書』と『最後の一句』は、どちらも封建制の下での武家の悲劇を扱ったものだが、「〇〇の〇〇」と単語を二つ重ねると、がぜん劇的になって想像が膨らむ。単語(あるいは熟語)ひとつで構成されたタイトルは今でも数多いが、「〇〇の〇〇」というタイトルもそれに劣らぬくらい多い。だが「硝子戸の中」「趣味の遺伝」「琴のそら音」のような随筆めいた短編を除けば、漱石はその手のタイトルを付けなかった。