ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

皆川博子(の小説)について02

2023-05-13 | 物語(ロマン)の愉楽


「少年の日に夢見た「本物の文学」という幻に、今日、出逢ってしまいました。
パンドラの匣に残された最後の希望のような言葉の冒険。」


☆☆☆☆☆☆☆


 これは歌人の穂村弘さんによる、皆川博子最新作(2023年5月刊)『風配図 WIND ROSE』のための推薦文なんだけど、「パンドラの匣」うんぬんはともかく、「長らく夢に見ていた『本物の文学』という幻に出逢ってしまった。」という感慨はわかる気がする。すでに数年まえ、『聖餐城』(光文社文庫)を読んださい、「あっ。これこそオレがずっと読みたかった小説じゃないか!」と思ったからだ。のっけから引用ばかりになって恐縮だけど、先ごろ逝去された大江健三郎が、かつて山口昌男『本の神話学』の中公文庫版(昭和52年刊。高校の帰りにいつも寄っていた書店街の本屋で買ったこの本を、ぼくは何度読み返したかわからない)の解説の冒頭で「僕は山口昌男の『文化の両義性』」に豊かな刺戟をあたえられた。読みすすめながらしばしば茫然として、この書物こそがこの十年近い間、はっきりとそう対象化してではないが、それゆえにより根底から待ち望み、必要としていたものだと感じた。」と書いていらした。『聖餐城』を半分くらいまで読み進めたあたりで、その一文がしぜんと脳裏に浮かんできたのを覚えている。




記録に決して残らない「が、あったはず!」の歴史的瞬間。
虐げられし者たちが織り成す、魂の生存を賭けた「智」の連鎖。
時を超えて掘り出されるその昏き光彩、まさに圧巻!


☆☆☆☆☆☆☆


 こちらは、ドイツ人の翻訳家/文筆家マライ・メントラインさんによる、同じく『風配図 WIND ROSE』への推薦文。さすがに鮮やかなもので、簡潔ななかに皆川ロマンの魅力をほぼ言い尽くしている。ひとびとの……それこそ「名もなき」庶民の日々の営み、苦しみ、ごく稀に訪れる仄かな歓び。皆川博子の筆先は、歴史の教科書はもとより、月並みな歴史小説さえけして届かないような細やかな襞の奥にまで及ぶのだ。そして主人公に選ばれるのは、その中でもとりわけ「虐げられし者たち」……。ぼくは『風配図 WIND ROSE』はまだ読んでいないのだけれど、『聖餐城』の主人公アディにしても、これと同じくらい好きな『海賊女王』のアランにしても、少年のころより戦闘の中に身を投じ、血みどろになって日々を送り、齢を重ねていく。否も応もない。そうしなければ生き延びられないからだ。そのぎりぎりの限界状況は、生々しいリアリティに満ちた歴史の1ページでありながら、同時にまた、濃縮され、いくぶんか戯画化されたぼくたちの生の暗喩でもある。だからこんなに惹きつけられる。


☆☆☆☆☆


参考資料


 「皆川博子コレクション」初刊行時の帯に付けられていた惹句の数々。錚々たる面子による名文ぞろいなのだが、なぜか今はネットから消え失せているので、参考のためにここに写しておきます。






「成熟した大人と、恐るべき子供の、双頭の女流作家。
読みながら、翻弄されて、自分が何者なのか──大人か子供か、男か女か──さえ、どんどんわからなくなってしまう。
苦しくて。甘くて。
そして、魔物に魅入られた村人のように、わたしは彼の人の本をまたフラフラと手に取るのだ。」


桜庭一樹




「長い間、図書館の開架に押しこめられていた恐るべき傑作が戻ってきた。
 1976年第76回直木賞、栄光の落選作。
 選考委員の器を完全に凌駕していた。
 再読し、作品世界の大きさ深さに、あらためて打ちのめされる。」


 篠田節子
(これは、「夏至祭の果て」に附されたものです。)




「少年たちの運命を目撃せよ。
 歴史という災厄になすすべもなく引き寄せられていく彼らは、
 卑小な我々の身代わりとして、幾たびも神に捧げられる供物であり、
 皆川博子が人間という宿命に献じた祈りなのだ。」


 恩田陸
(これは、「海と十字架」に附されたものです。)




「巨大な虚無を覗き見よ。
 登場人物は、女も男も子供も、正気を逸して孤独に生きる。
 狂気のみが、死という虚無に抗えることを知っているから。
 この逆説を説く皆川博子の裡には、茫漠たる荒野が広がっているのだろう。」

桐野夏生




「口を閉ざせ。
 目を見開け。
 今ぞ我らが夜の女王の再臨のとき。
 あらゆるロジックを無化する黒き翼に、ひらめく天衣は七彩、メビウスの帯。
 闇に咲くは紅の────
 椿、牡丹、
 否よ。
 あれは聖杯より滴る血潮、
 あふれる蜜。」


篠田真由美





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