ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

24.08.01 読んで読んで読みまくれ。

2024-08-01 | 物語(ロマン)の愉楽
 これまで「小説の書き方」みたいな本もけっこう読んだが、いちばん実践的だと思えたのはディーン・R・クーンツ著、大出健(訳)の『ベストセラー小説の書き方』(朝日文庫)だった。出版は1996(平成8)年で、さっき調べたら、いまも新刊で入手可能らしい。
 巻末に「わたしのすすめる作家別読書ガイド」なるリストがある。英語圏の名だたる現代エンタメ作家のリストだが、原著が書かれたのは1980年なので、正直いって顔ぶれは古い。トム・クランシーもジョン・グリシャムもネルソン・デミルもトマス・ハリスもいない。
 そんなぐあいに古びているところはあるにせよ、「ストーリーラインの組み立て」「アクションの入れ方」「キャラ設定」「動機づけ」「背景設定」「文体」などのテクニックにかんしては、これは基本に属することだから、じゅうぶん有益なのである。
 とはいえ、この本の要諦をひとことで述べるなら、「読んで読んで読みまくり、書いて書いて書きまくれ。」に尽きる。クーンツ氏本人もじっさいにそう書いておられるし、ぼくが読み終えたあとに抱いた感想も「うん。それしかないな。」であった。
 早い話、いま巷でよく聞く「語彙力」はもとより(「語彙力」という造語は日本語として明らかに変なのだが)、「表現力」や「構成力」、その他もろもろ、文章を書くうえで必要なことは、
「読んで読んで読みまくり、書いて書いて書きまくる。」
 ことによって自ずと培われるし、また、そうやって培う以外に方法はない。
 言い換えれば、インプットとアウトプットということになる。これを相互にどんどん繰り返すことで、速度も上がるし、質も上がる。
 シンプルな話だ。
 とはいえ、現代人は忙しすぎる。業務上の資料を読んだり、文書を作成することはあっても、それ以外で、幅広いジャンルにわたる書籍を渉猟するのはたいへんだ。どうしたってリソース(時間や労力や金銭的な出費など)が足らない。
 まして、X(旧ツイッター)やブログていどの短文ならともかく、まとまった論考をものするとなると、困難さはいや増す。
 小説というのも、いまの文脈でいえば、「まとまった論考」に属するであろう。星新一さんみたいなショートショートもいいけれど、やはり小説の醍醐味は長編にこそある。よっぽど精魂込めて書きたいテーマとか題材があるならばともかく、仕事のかたわら長編小説をこつこつ書き上げるのは至難の業だ。
 しかしそれでもクーンツ氏は、
「余暇というのは作るものだ。多忙なようでも、生活の中には無駄に費やしている時間が必ずある。それをできるだけ生かして読んで読んで読みまくり、書いて書いて書きまくれ。」
 という趣旨のことを書いている。
 また、
「人生経験はいうまでもなく必要だが、経験ばかりいくら積んでも作家にはなれない。単調なバイトで心身をすり減らすくらいなら、当面の経済的困窮を甘受してでも、とにかく読んで読んで読みまくり、書いて書いて書きまくれ。」
 という趣旨のことも書いている。これなどは、むかし読んだとき感銘をうけたところである。たしかに、苦労をすれば良い作品が書けるというものではない。
 クーンツ氏のいう「ベストセラー小説」とは「とにかく読んで面白く、現代人の求めに応える小説」のことだ。そういう条件を満たしていれば、ベストセラーまでいくかどうかはともかく、「売れる」ことは間違いないというわけである。
 「売れる」というのが「出版社に買ってもらって、商品として流通する」という意味なら、それはそうだろう。ただ、「めちゃめちゃ売れる」となると、当然ながらこれはまた別の話だ。
 ぼくなんかこの齢になってようやくエンタメ小説に目覚めたクチだが、ブックオフの百均の棚に並んでる海外のちょっと昔(90年代から00年代初頭くらい)のミステリーやスパイものなどを読むと、
「いや、どれもこれもずいぶん面白いではないか。中身もこってり詰まっているし……。」
 と、舌を巻いてしまう。
 どれも面白いし、いちおう「現代人の求めに応え」ているとも思うのだが、みんながみんな、クランシーやグリシャム、ジェフリー・ディーヴァーほどの読者をもっているわけではない。
 「商品として流通しうるレベルに達している」作品と、「めちゃめちゃ売れる」作品とのあいだには、明らかに懸隔がある。その懸隔をもたらすものが何であるかは、ていねいに考察すれば言語化もできると思うが、自分で小説を書こうという人なら、
「読んで読んで読みまくり、書いて書いて書きまくる。」
 ことによって、おのずから体得したほうがよさそうだ。
 いやもちろん、その前に、「商品として流通しうるレベル」の作品を、とりあえず一本仕上げることが、なによりも先決なのだけども。
 ところで、この『ベストセラー小説の書き方』と並んでよく読まれている入門書として、スティーブン・キング『書くことについて』(小学館文庫)がある。これも面白いのだが、キング特有の偏執的な書きぶりのせいで、有益さにおいてはクーンツ氏のものに劣ると思う。
 この本の中でキング氏は、長編小説を書くことを、化石の発掘になぞらえている。「巨大な恐竜の骨格を丸ごと掘り起こすような作業」と言っているのである。
 「大きな建物をたてる」というのではなく、「巨大な化石を掘り起こす」ことに準えているところが、とても興味ぶかい。
 このことは、クーンツ氏の本でいえば、
「君が読みまくった小説のなかの語彙や表現、プロットやストーリー展開、キャラの言動、人物の出し入れ、各シーンの描写の仕方、アクションの描き方、細部と全体との関連性、伏線の張り方、書き出しとエンディング……などなどのテクニックは、知らず知らずのうちに君の無意識に蓄えられて、君が創作をするさいのバックボーンになっている。」
 という趣旨の主張と重なっているように思う。
 なお、さっきから「クーンツ氏のいう趣旨」として書いている部分は、正確な引用ではなくて、ぼくが自分なりに編集・加工したものである。『ベストセラー小説の書き方』のなかに、そっくりそのまま同じ文章があるわけではないので、ご注意のほど。
 ともあれ、
「これまで読んできた小説のなかの語彙や表現、プロットやストーリー展開、キャラの言動、人物の出し入れ、各シーンの描写の仕方、アクションの描き方、細部と全体との関連性、伏線の張り方、書き出しとエンディング……などなどのテクニックは、知らず知らずのうちに意識の底に蓄えられて、創作をするさいのバックボーンになっている。」
 ということは、自分でエンタメ小説を書いてみると、身にしみて実感される。
 もっとも、ぼくなどは、そういった事柄は小説よりもマンガやアニメから学ぶことのほうがずっと多かった。されど、自分でマンガを描いたり、アニメを作ったりするのではなく、小説という表現手段をとる以上、結局のところ頼りになるのは小説ってことになるわけである。




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