ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

天気の子・2021.01.03 テレビバージョン感想

2021-01-04 | 君の名は。/天気の子/すずめの戸締まり




 雨が横溢する。かつて『言の葉の庭』(2013)で新宿御苑の東屋(あずまや)のまわりをしめやかに濡らしていた雨は、『君の名は。』(2016)を経て、いま東京(≒セカイ)を覆う。覆い尽くす。水没させる。
 作品の主人公は帆高でもなければ陽菜でもない。雨だ。新海誠は雨に恋している。繊弱なものから暴戻なものまで、窓を伝い落ちる雫から、塊となって襲い掛かる豪雨まで、雨のもつさまざまな相貌、あらゆる様相、ほんのささいな変化も見逃さず、あますところなく描きつくす。リアルから虚構に昇華させ、映像として定着し、観客に向けて提示する。そのために持てる情熱と才能のありったけを傾けているようにさえみえる。
 雨に隈なく浸された画面はいうまでもなくロマン主義の舞台だ。ロマン主義の舞台にしかなりようがない。そこでは少年と少女とが青春を生きる。社会から断絶した2人きりのセカイ。しかし、あまりに純粋すぎてそこに性の匂いはない。だからこそ2人のあいだには、どこか両性具有的な「弟」がいる。彼(≒彼女)の存在が2人の純潔を保証する。性愛による合一にはけして至ることのない、硬質で清冽で、どこまでも青いロマンティシズム。これぞ新海誠ワールド。
 死別によって失われた。耐えかねて逃亡した。いずれにしても彼女と彼の傍に両親はいない。家庭がない。社会の中で自立するには若すぎる。社会との断絶、あるいは疎外。孤立の底で少女が少年にめぐんだマクドナルドのハンバーガーは、かつて千尋がハクから手渡されたおむすびにも似て、少年に社会とのかすかな繋がりを蘇らせる。
 帆高が須賀を頼ろうと決めるのは、陽菜からハンバーガーをもらった翌朝だ。
 須賀は、文字どおり「手を差し伸べる」者。フェリーの甲板で少年が海に投げ出されるのを救い、都会では、少年が進退窮まったところを救い(掬い)上げる。
 堅気とはいいがたい。しかしアウトローではない。離れて暮らす娘を想い、事故で(小説版では交通事故と明記)亡くした愛妻を一途に偲びつづけている。彼は少年と社会とのあいだに立つ者だ。リアリストとして少年の逸脱をたしなめ、法規の枠内に押し留めようとするけれど、最後の最後、ぎりぎりのところで少年の……すなわち「青春」のがわに付く。それは老練な刑事が「人生を棒に振ってまで会いたい相手がいるというのは、羨ましい。」と口にしたとき、彼が思わず涙を流した理由でもある。
 「青春」の純潔さは暴力との親和性をもつ。社会に満ちる「悪意」に抗して、愛するものを護る/救うためにはどうしたって力がいる。しかし少年はあまりに無力だ。無力すぎる少年が切実に欲する力は、摘発逃れで隠されていた拳銃として、作品の中に具現化され、彼の手に落ちる。それを使って少年は少女を「汚辱(現実)」の側から「純粋(ロマン)」の側へと引き戻す。
 剥き出しの暴力を目の当たりにした少女は混乱し、怒りを見せ、そのあと2人は和解する。
 2人+弟は仕事をはじめる。他人とかかわり、社会とかかわる。そうすることで少しずつ、社会に足場を築いていく。はかない足場ではあるが。
 されど、やまない雨をほんのひととき、かぎられた範囲で晴らす力は暴力ではないのか? それは誰かに笑顔をもたらし、ひとの流れを円滑にするものかもしれない。しかし、自然の理(ことわり)を捻じ曲げ、人間の営みに影響を与える強大な力は、理不尽なまでに強大なものというしかない。そして、悪意の有無にかかわらず、われわれは理不尽なまでに強大な力を暴力と呼ぶのだ。それは落雷というかたちで可視化されもする。
 力の行使には相応の代償を伴う。これは古今東西、あらゆる物語を貫く鉄則だ。
 少女は「人柱」として天に召される。『君の名は。』では鮮やかな成功をみた「現代と前近代との融合」だけど、彼女の「消失」は、劇場の大スクリーンならいざ知らず、お茶の間のテレビサイズではいささか苦しくみえた。全編が透明なロマンティシズムに染め上げられていなかったら、あるいは荒唐無稽の印象は拭えなかったかもしれない。
 しかし、ともあれ、もっとも大切なものが目の前から失われた。奪われた。もちろん少年は、少女を取り返さねばならない。
 かくして帆高(CV・醍醐虎汰朗)は、夏美(CV・本田翼)、須賀(CV・小栗旬)、そして凪(CV・吉柳咲良)の助力を得て、官憲の追走を背にひたすら疾走し、廃ビル(旧・代々木会館)まで辿り着き、屋上に行き、鳥居をくぐり、空を昇り、雲のうえの彼岸へと至って陽菜(CV・森七菜)を奪還する。「僕には、全世界よりも、君のほうが大切なんだ。」とはロマン主義的恋愛の要諦である。だから彼のその選択は当然至極であり、ここに賛否を分かつ余地はない。
 「異界」からの2人揃っての帰還は、物語のルールからすれば異例である。ふつうは「見るなの禁止」を侵すことによって失敗に終わり、奪還を目論んだ者は独りですごすごと、時には命からがら逃げ戻ってくるところだ。
 少年は少女を伴ってぶじ帰還した。その代償を払うのは2人ではなくセカイのがわだ。須賀と立花冨美(CV・倍賞千恵子)がそれぞれのことばで彼のその選択を肯ってやる。
 少年が愛する少女と引き換えにしたセカイは、雨の降り続く世界に戻った。ふたたび頭上を雨雲が覆い、青空は失われた。しかし滅びたわけではない。保護観察を終えた少年は「青年」となって都会へと戻り、高校生になった少女に再会する。少女は世界を改変してしまった責を負い、今も天に向かって祈りを捧げている。青年は涙を流し、「大丈夫。」と力強く告げて、彼女の背負った責を分かち持ち、ともに歩みだすことを決める。
 新しいドラマがそこから始まるだろう。




 コロナ禍のなか、テレビバージョンには特別なエンディングが附された。


世界はあっという間に変わってしまった。
もう元の世界に戻ることはないのかもしれない。
それでも、僕らは、この世界で生きていく――
生きていくしかない
だから、せめて、
食べて、
笑って、
恋をして、
泣いて、
怒って、
喧嘩して、
それでも、
ただ一瞬でも多く笑いあって、
その瞬間を愛おしく思えたら、
だいじょうぶ。
僕たちは、僕たちの世界をきっと、
乗り越えていける。




WEATHERING WITH YOU
(意味:あなたと嵐を乗り越える)




 2021年の幕開けにふさわしいアニメを見せて頂きました。そしてワタシは、読書と勉強に専念するため、しばらくアニメ断ちをいたします。





コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。