ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

『スター☆トゥインクルプリキュア』第46話 前回記事の補正・蛇神必ずしも邪神に非ず。

2020-01-06 | プリキュア・シリーズ


akiさんからのコメント
2020/01/06
蛇神、ナーガ、八岐大蛇


 ダークネスト様、男っぽい合成音声が女性声に変化した辺りから、「おっ!」と思いましたよ。鮮やかに予測的中ですね。(^^)


 元蛇遣い座のプリンセスにどんな絶望があったのかは次回以降のお楽しみというところでしょうが、まあちと身も蓋もないことを言うと、現在の宇宙物理学では、この宇宙は膨張と共に冷えていき、やがて各恒星はそのエネルギー源である核融合の材料を使い果たして(つまり軽い水素などの物質がなくなってしまう)、ブラックホールを除いて宇宙は暗黒の空間となり、やがてそのブラックホールもエネルギーを放出し尽くして消滅し、宇宙は真の暗黒世界となる、と推測されています。プリンセス、気長に待ってりゃ願いは叶うのにw


 まあそうなるまでには10の何十乗年という気の遠くなるような長い時間が必要ですが。さらにこの宇宙にはまだ解明されてないダークエネルギーの存在が予測されてますので、それら未知の力がどんな振る舞いをするのかも全く分かっていません。実は「宇宙が冷え切る」ことはないのかもしれない。創造神たるプリンセスであればその辺は判っているでしょうから、「こんなんやったら壊したれ!」と思ったのかもしれませんけどね。


 それと、彼女が身にまとっている蛇ですが、八岐大蛇との解釈は妥当だと私も思うんですが、実は世界には、純粋に神聖な存在として蛇を崇めている例も結構あるんですよ。
 例えば中国古代の「三皇五帝」の「三皇」に数えられる伏羲と女媧は「蛇身人首」の神ですし、インドの神話では「ナーガ」と呼ばれる蛇神が複数登場します。日本でも白蛇が祀られた神社が多数ありますし、蛇が脱皮した後の抜け殻は「ラッキーアイテム」としても知られています。wikiで調べてみると、ギリシャ神話でもヘルメスやアスクレピオスが持っている杖に蛇の姿が意匠されており、(アスクレピオスはまさに「蛇使い座」の主人ですがw) 蛇は神性を持った生き物として見られていたことが判ります。
 キリスト教では、イブを誘惑して知恵の実を食べさせたのが蛇ということになっていて、蛇と言えば悪魔の化身と見なされますが、この蛇も実は堕天使ルシファーだと見る説もあるそうですね。とすると、元は神聖なる存在であった蛇遣い座のプリンセスが、なんらかの理由で堕天(≒スターパレスから去る)した結果、禍々しい邪神となって現れてしまった、という結果を表すために「蛇」というモチーフはうってつけである、とも言えそうです。


 さらに彼女が憎んでおられる想像力についても、突っ込もうと思えば突っ込めるんだけど、さすがにそこまでやるのは野暮てなもんですね。まずは彼女の言い分を聞いてみないことにはw
 というわけで、次回も楽しみにしたいと思います。・・・・今回は意地悪なツッコミコメントになっちゃいました。(笑)




☆☆☆☆☆

ぼくからのご返事。




(旧)蛇遣い座のプリンセス。「すべて消し去る。」と言い切った時の目。いっちゃってますね


侮蔑


嘲り。たまりませんね






 今回たまたま記名欄が空白だったんですが、文体と内容ですぐakiさんだと確信できるのがすごい(笑)。
 いやプリキュアのラスボスは数あれど、いくらなんでも「創造神(の一柱)にして破壊神を兼ねる」ほどの傑物は前代未聞なんで、コーフンしてしまいました。さすが宇宙を舞台に据えるだけあるわー。
 本来であれば、いっけん「正義」にみえる「星空連合」の艦隊と、いっけん「邪」にみえるノットレイダー軍とが、いずれも「歪んだイマジネーション」に囚われた同じ立場に過ぎないことを見切って、「みんなみんな、同じ宇宙に住む宇宙人でしょ!」と割って入るキュアスターの器のでかさを取り上げるべきなんだろうけど、蛇遣いさんの存在感と、あとアイワーンちゃんの可愛らしさに思考の大半をもってかれちゃって(笑)。
 宇宙の末期については、ぼくは長らく「ようするにエントロピーが増大して熱的死でしょ?」と思ってたんですが、近ごろの理論ではそんなシンプルな話でもないらしく、いまいち理解が及んでないです。リサ・ランドールの本をちょこっと齧りかけたんだけど、「えっこれって何のSF?」みたいな感じで、近年稀にみる珍紛漢紛でしたねえ(もちろん、ランドールさんが悪いんじゃなく、こっちの頭がザルなんですが)。
 そのあたりのことは、このたびのコメントの中の「ダークエネルギー」と関わってくるんじゃないかと思うんだけど、これはこれで大変な話になるんで、宇宙の件はいずれまた何かの折につっこみを入れて戴くとしまして、今回はなんといっても蛇ですよ蛇。


 そうそう。中国神話の伏羲と女媧ですね。こういう話を補足としてつっこんで頂けるからありがたい。兄妹とも夫婦ともいわれ、いずれも下半身が蛇体で、絡み合った姿でよく描かれる。龍もそうだけど、中国では蛇体のものを聖化する傾向がありますね。
 「上半身が人間で下半身が蛇」というビジュアルは面白いと思ったんで、まえに調べたんですが、ギリシア神話の「アテーナイの初代の王ケクロプス」、同じくアテーナイ王の「エリクトニオス」という人(正確には半神ですが)たちがそれに該当するようです。ほかには残念ながら見当たりませんでした。いや別に残念ってこともないけど。
 中村光のギャグマンガ『聖☆おにいさん』で、何かにつけてブッダに絡む「かまってちゃん」のマーラがこの姿で描かれるんだけど、仏典には特にそう明記されてるわけではなく、これは「ナーガ」を模して中村さんがそのようにキャラ設定したみたいですね。
 コメントにもあったそのナーガですけども、ウィキ先輩の記述には、
「上半身を人間の姿で表し、下半身を蛇として描く構図を用いる例もあるようだが、一般的なものではなく、経典等の記述においては、コブラなかんずくインドコブラ自体の容姿を思わせる記述としてあり、インドや南伝仏教圏においては純粋に蛇として描かれることの方が多い。東南アジアのインド文化圏では、頭が7つある姿が多い。(……略……)釈迦が悟りを開く時に守護したとされ、仏教に竜王として取り入れられて以来、仏法の守護神となっている。特に法華経の会座に列した八大竜王は有名で、その多くがもとはインド神話でも有名なナーガの王(ナーガラージャ Nāga Raja)であった。」
 とありました。たしかに蛇神ナーガは、けっして負の存在ではなく、釈迦を守護するものとして仏教にも取り入れられたわけで。
 日本だと、仰るとおり、白蛇をご神体とする神社がたくさんあるし(うちの実家のそばの神社にも、楠の大樹にシロヘビが棲んでいて、よく拝みに行きました)、何といっても三輪山の大物主神というお名前どおりの大物がいらっしゃいます。
 崇拝の対象ということでは、アステカ神話の文化神・農耕神たるケツァルコアトル。この方はテスカトリポカと並ぶ二大主柱ですが、「羽毛を持つ蛇」の姿で描かれることが多い。ほかにもおられるんだろうけど、いま思いつくのはこれくらいかなあ。


 そう。ギリシア神話の医学の神・アスクレピオスはまさに「へびつかい座」ご本人ですね。いやご本人ってのも変か。この方は蛇の巻き付いた杖を自らの象徴として手にしており、この「蛇杖」は今日でも医療・医術のシンボルマークとして世界的に広く用いられているとか。そこはさっきウィキ先輩から教わったばかりですが。
 みんな知ってるメデューサとか、ヘラクレスに退治されちゃうヒュドラとか、ギリシア神話には「蛇」が否定的に扱われるケースも多いけど、いっぽうでは上記のケクロプスやエリクトニオス、それにこのアスクレピオスさんの例もあって。

 総じていえば、蛇は「原初の根源的な宇宙の力」をあらわすのでしょう。そこから「再生を司るもの」にもなる。だからアスクレピオスはその力を借りて死者をすら蘇らせてしまう。そこで冥界の王ハデスがゼウスに苦情を言い、人間同士の相互扶助を快く思わないゼウスが(どうもこの主神は料簡が狭いように思います)雷霆で彼を殺める。のちにそれを反省し、天界にあげて神々の列に加え、星座にするという流れですね。
 「原初の根源的な途轍もない力」ってことでいえば、北欧神話のヨルムンガンド、そのまま劇画(アニメ)のタイトルにもなりましたけど(好きな作品です)、これは世界を取り巻くほどの大蛇ですね。たしかケルト神話にクロウ・クルワッハというのもいたかな。似たようなイメージは他の神話にもあるんじゃないかと思うけど、正直ちょっと気色わるいんで(笑)、なかなか調べにくいです。でも、こういった大蛇のイメージが、底知れぬ力としての「蛇」に対する人類の畏怖を端的にあらわしてると思います。

 問題は、いや問題ってこともないけど、やっぱりキリスト教なんですが、こちらはなにぶん厳格なる一神教なんで、断じて他に神を認めない。それで、本来ならば「大いなる力」「再生を司るもの」の具現化として、文化圏によっては聖性をもったり、崇められたりもする「蛇」のイメージが貶められて、「悪魔」になったり、「禍々しきもの」にもなってしまう。それで、キリスト教を奉じてるわけでもないのに、イメージ論的には明らかにその影響下にあるぼくたちも、ついそんな感覚で見てしまうのかもしれません。
 大蛇(ドラゴン。竜)にしても、聖人としての英雄によって退治されるていどの怪物に矮小化されちゃうし。


 知恵の実の林檎をイブに食べさせた蛇は、あの手の「大蛇」とはまた別系統かな。絵画では、人間めいた顔もあって、手足もついてて、ヘビってよりも大きめの人面トカゲみたく描かれることも多いですが。
 劇場版まどか☆マギカ『叛逆の物語』で、自分が魔女化したことを悟って絶望した暁美ほむらが自らを紫色の蜥蜴(とかげ)に仮託する場面があるけど、あれってほんとは「蛇」じゃないかと思うんですよね。



 そのあと何やかんやあって、ようやく円環の理としてのまどかが迎えに来てくれたとき、ほむらは口からソウルジェムを吐き出し、それを噛み砕いて別のもの(ダークオーブ)に再構成しちゃう。




 ある種の蛇は口から卵を産む。との俗信がありまして、あのエピソードはそれをなぞってるようにも思えます。「蛇」だったらロコツすぎるんで「蜥蜴」にしたけど、結局は同じことなんじゃないか。いずれにせよ「悪魔」のシンボルでしょう。
 旧約聖書に出てくるあの蛇は、「人間を神の言いつけに背かせた。」点で「悪」と見なされるけれど、見方を変えれば、「神が無垢(愚か)なままに留めおこうとした人間に知性を授けた。」ともいえる。それが不幸の始まりといやあ、そうなんだけど、恩人っちゃあ恩人ですよね。
 それで、聖書に基づく「キリスト教的神話体系」みたいなものが作られていく過程において、堕天使ルシファーと同一視されたりもして、だんだんと話がフクザツに、つまりは面白くなってくわけですが。


 有名な神秘主義者ルドルフ・シュタイナー(1861 文久1 ~ 1925 大正14)は、ルシファーのことを、「悪の二大原理の一つ」と裁断し、「その影響によって人間は能動性と自由意志を獲得したが、同時にそれは悪の契機となった。」と論じている……とウィキペディアには書かれてますけど、ぼくの知ってる限りでは、シュタイナーはそこまでシンプルな言い方はしてないです。でも、シュタイナー氏の言説は控えめに言って「ぶっ飛んでる」んで、それくらい要約しちゃっても仕方ないかな……とも思います(怒る人は怒るでしょうけど)。
 もう少しこちら側に近い人だと、ニーチェが『善悪の彼岸』の中でこう述べてます。
「悪魔は神にたいしてもっとも広大な視野をもっている。だから悪魔は、神からはるかに身を遠ざけているのだ。――すなわち悪魔こそ、もっとも古くからの認識の友である。」(ちくま学芸文庫版・134ページ)
 ぼくとしては、このフレーズが、「叛逆」における「再改編後」の世界でのほむらの立ち位置にダブって、泣けてくるんですが(苦笑)。大好きなまどかから、無理して身を遠ざけちゃってね……。
 いずれにせよ、「絶対者」としての「唯一神」と、それに従うだけの「人間たち」……という構図だったら、きっと世界は動かないし、物語も動かない。そこに「悪魔」が介在してこそ、森羅万象に息が吹き込まれるのではないか……と思うわけです。


 こう考えていくと、ここにきて満を持して登場した蛇遣い姫はその禍々しき容姿からして、さらには「スタプリという物語を終結へと向けて推進するもの」として、まごうかたなき堂々たる「悪魔」といっていいはずですが、しかしよくよく推察すると、ひょっとしてこの方は、結果としては「神」に、それも「唯一神」になろうとしているのか……という気もします。
 本作は「イマジネーション」という用語(概念)にすべてを収斂させてますが、それはすなわち上記の引用に即して言い換えるなら、人間のもつ「能動性」であり「自由意志」でしょう。それがあるから人間は……というか、宇宙における知的生命体はみんな不幸になっているのだと、蛇遣いさんは信じてるんだと思います。だからそれを「忌々しい」と切り捨てる。
 すべての生命体が「能動性」や「自由意志」を……「想像力」を持たない宇宙のなかでは、「憎しみ」や「悲しみ」や「争い」もない。それこそが望むべき世界のありようなのだと、どうやら彼女は信じているのではないか。
 これはぜひ、ひかるたちのほうから彼女に訊いてもらいたい……それこそ「小一時間問い詰めて」もらいたいところですけども、今のところ、ぼくはそのように憶測しています。
 でも、そのために、いったんすべてをご破算にして、一から創り直そうというんだから、ほんとに桁が違いますよね(笑)。たまりません。「そこにシビれる、憧れる~」というやつで、これ元ネタ知らないんだけど、使い方あってますよね?
 なんかあれこれ書きましたけど、とにかくもう、蛇遣い姫さん、「サブカル&神話好き」にとっては美味しすぎるキャラなんで、あと3話、児童向けファンタジーアニメの臨界点ぎりぎりいっぱいまで、「哲学的」にひかるたちとバトル&問答を繰り広げていただきたいです。その顛末によってはほんとこれ、ぼくのなかでの「プリキュアシリーズ最高傑作」になるでしょうね。









2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
いやどうも。 (eminus)
2020-01-07 20:30:29
 いや、もともと神話マニアなうえに、蛇神には前からすごく興味があったので、ついスイッチが入っちゃいました。ぜんぶあの蛇姫サマが悪いんです(笑)。
 基本、「ブログってのは即興演奏だ!」と開き直ってるんで、勇み足やら言葉足らずは今後とも一杯やらかすと思います。どんどんつっこんで頂けましたら幸いです。
 それと、これはakiさんがブログをやっておられないとお伺いしたから言うんですけど、あの「ハイテク社会と孤立」のような、まとまった論考を公にしたいと思われた際、ここのコメント欄を使って頂くのも大歓迎です。というか、ぼく自身が読んでみたいです。
 スタプリはあと3話ですが、先輩ふたりの留学をも含めた全員の進路のこともあるし、フワやプルンス氏やスターパレスの落着や如何に?という興味もあって、最終話はそれで時間を取られそうなんで、決戦は実質ほぼ2話ぶんでしょうか。いずれにしても楽しみですね。

追伸。とりあえず10年前に買った村山斉さんの『宇宙は何でできているのか』(幻冬舎新書)をちゃんと最後まで読もうとさっき決めました。

返信する
ご返事 (aki)
2020-01-07 14:40:45
>今回たまたま記名欄が空白だったんですが

 あらら(笑)
 そういえば名前を書いた記憶がないw 後から見直してタイトルがないことに気づいて入れたのですが、その時名前のことはすっかり失念していたみたいです。失礼いたしました。

 例によって私の投げたボールを何倍にも増幅してお返し下さった感じですね。ありがとうございます。

 宇宙論に関しては、私の知識はせいぜい「文系人間の聞きかじり」に過ぎませんので、正確さには著しく欠けると思います。(正確に理解しようとすればそれだけで人生を掛ける必要に迫られそうですがw) でも本作はまさに「その部分」を描いてますから、どうしても連想してしまいますよね。広い宇宙に思いを馳せることも、頭の体操としてはいいかもしれません。

 蛇神についても、詳しい解説をありがとうございました。伏羲と女媧、白蛇信仰、ナーガについては知識としては持っていましたが、詳細はあやふやでしたので勉強させていただきました。なんだかんだでwikiも役に立ちますね。イデオロギーがぶつかる部分の記述では気を付けねばなりませんが。

 2月からは次のプリキュアが始まるとのことで、スタートゥインクルプリキュアはあと3話ですか? あとわずかのようでいて、まだまだひと悶着ありそうな話数ですね。スタッフ様はこの話数をどう料理なさるのか、楽しみなところです。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。