ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である。」

2016-06-18 | 哲学/思想/社会学
 当のキーワードで検索をかけると、この記事が上位に来るものだから、たくさんの人が訪れてくださるのですが、なにぶんこれは2010年に書いた文章で、今(2019年1月現在)読み返すと至らぬところが目につきます。いずれ書き直そうと思っていますが、なかなか時間が取れません。2014年に中公新書から細見和之氏の『フランクフルト学派』という本が出て、その第5章「アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮である。」が、この箴言についての素晴らしい解説になっています。さらに詳しく掘り下げようという方には、ぜひともお勧めいたします。 







 初出 2010年2月16日



 以前にぼくは、「アウシュビッツ以降に詩を書くことは野蛮である。」(表記はこのまま)という一文を取り上げた。これ、アクセス解析を覗いてみると、読みに来て下さる方がけっこう多い。なるほど、「自然にかえれ。」だの「神は死んだ。」だの「《人間》の消滅。」だの、一見すると分かりやすくてショッキングで、それでいてよく考えると謎めいているこの手の警句は、本来の文脈から切り離され、往々にしてひとり歩きする。でもそれだけに、当の思想家の言説を凝縮したかのごとき重みを持つから、本当に理解しようと思ったら、じっさいにその人の著作すべてに目を通すくらいじゃなきゃだめかもしれない。そういう意味では、ぼくだって心もとないかぎりだけど、あれから半年近くが過ぎた今なら、もう少し厳密なことが書けそうな気がする。

 当ブログは、2009年8月1日から、同年9月10日まで、『今日の抜書き』というタイトルで、毎日ひとつの「名言」をピックアップし、それにぼくの能書きを付けるというスタイルだった。でも名言の解説が主ではなくて、どちらかというと、それをダシにしてぼく自身が書きたいことを書いていた。だからこの解釈も、ずいぶんと自己流の読みになっている。レポートにこれをそのまま引き写して(そんな学生はいないかな?)、教授から合格点を貰えるかどうかは保証しない。まずはその、昨年8月22日の文章を再掲しよう。

 「あまりにも有名な一句だが、被爆国の国民としては、<アウシュビッツ、およびヒロシマ・ナガサキ以降に……>と付け加えさせて頂きたい。人類の理性を根幹から疑わせるに足る凶行を経験した後では、芸術や文化にまつわるあらゆる営為が、その崇高さを失ってしまった。まずはそういう含意であろう。しかし、実際には人々は第二次大戦ののちも<詩>を書き続けてきたし、その中からパウル・ツェランのように、まさに<アウシュビッツ以降>の表現としか呼びようのない詩を書く詩人も現れた。ひとが言葉を介して交わるかぎり、<詩を書く>ことが無意味になるはずはない。ただし、そのことの野蛮さを肝に銘じて、正面から引き受ける覚悟を持った者だけが<詩人>たりうる。そう解すべきかと思う。」

 まるっきり間違っているとは思わない。でも肝心なことを書き落としている。まず書誌的なことをやりましょう。これを書いたのはテオドール・W・アドルノ(1903 明治36~ 1969 昭和44)というユダヤ系ドイツ人の哲学者で、彼の最初の自選エッセイ集『プリズメン』の巻頭エッセイ「文化批判と社会」の締め括りの所にある。原著は1955年に出版された。邦訳は、渡辺祐邦・三原弟平両氏の訳で96年にちくま学芸文庫から出ており、今も新刊で手に入る(余談になるが、90年代のちくま学芸文庫は、ほかにジンメル、メルロ=ポンティー、レヴィナスなど、20世紀を代表する思想家たちの代表的なエッセイをたくさん出していた。オリジナル編纂のものも多くあり、編集部の高い志が感じられた)。

 哲学者のエッセイ集とは言っても、たとえば土屋賢二さんのやつみたいなのとは話が違う(べつにツチヤさんをけなしてるわけではありません)。あのベンヤミンと同様、アドルノも「ヘーゲル流の壮大な体系」によって世界を記述することに疑念を抱いており、エッセイ形式こそ彼なりの、もっとも犀利にして緻密な哲学のやり方だったのだ。『プリズメン』には、全12本のエッセイが収められていて、他ではバッハ、ジャズ、シェーンベルク、ハックスリー、ヴァレリー、プルースト、カフカなどが縦横に論じられている。小説や詩を読みこなし、クラシックから大衆音楽までを分析的に聴ける耳を持ち(アドルノは青年期に本気で作曲を学んだ)、美術や演劇や映画など、同時代の芸術にもむちゃくちゃ精しい、欧米の一流の学者ってのはそういうものらしい。で、その邦訳の文章だけど、じつはもう、ここからしてぼくの引用とは少々異なっている。むろん原典に当たっていただくのが最良だけど、御用とお急ぎの方のため、そのラスト部分を長めに引用しておこう(ちくま学芸文庫版・36ページ)。

 「しかし今日では、すべての伝統的文化が、中性化され、しつらえられた文化として、なきに等しいものになっている。……(中略)……ロシア人たちが自分たちはその遺産を相続したと殊勝げに宣伝しているその遺産も、取り返しのつかない過程を通じて、その大半がなくてもいいもの、不用なもの、屑となった。すると次に、文化をこういう屑として扱う大衆文化の荒稼ぎ屋たちが薄笑いしながらそれを指摘できることになる。社会がより全体的になれば、それに応じて精神もさらに物象化されてゆき、自力で物象化を振り切ろうとする精神の企ては、ますます逆説的になる。宿命に関する最低の知識でさえ、悪くすると無駄話に堕するおそれがある。文化批判は、文化と野蛮の弁証法の最終段階に直面している。アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である。そしてそのことがまた、今日詩を書くことが不可能になった理由を語り出す認識を侵食する。絶対的物象化は、かつては精神の進歩を自分の一要素として前提したが、いまそれは精神を完全に呑み尽そうとしている。批判的精神は、自己満足的に世界を観照して自己のもとにとどまっている限り、この絶対的物象化に太刀打ちできない。」

 ぼくははっきり言ってこの文章を悪文だと思うが、それは翻訳者の罪ではない。「文化批判と社会」はずっとこんな調子で書かれている。これについては訳者ご本人が解説で「……本書全体の序論にふさわしい内容のものとなっている。しかし論述そのものはかなり抽象的で難解だから、いきなりこの論文から読み始めるよりも、具体的な著述や作品を主題とした2以下の論述を読んでからこの論文に戻るほうがいいだろう。」と言っておられるとおりであろう。じっさい、他の十一本の文章は、これよりもずっと読みやすい。

 ともあれこの引用文のキーは、「文化批判は、文化と野蛮の弁証法の最終段階に直面している。」なる一句だ。アドルノにはこの『プリズメン』の前に、『啓蒙の弁証法』という大著がある。第二次世界大戦前夜、盟友のホルクハイマーと組んで、あちこちの亡命先で(アドルノがユダヤ系だということを思い出してください)書き継がれた論考をまとめあげたものだ。一般にはこちらが主著と目され、「20世紀の最重要書」なる宣伝文句を見た覚えもある。じっさい、現在もなお我々は、自分たちを取り巻く文化状況のあざとさ・低俗さにうんざりして、それを批判しようというとき、意識するとせざるとに関わらず、この『啓蒙の弁証法』の影響のもとにあるといっていい。つまりこれは、二回目の世界大戦が終わって「現代」がいよいよ爛熟に向かおうとする時期に、その根底にある病理を、いち早く剔抉した書物なのである。何年かまえ、岩波文庫に加えられた。

 8月22日のぼくの記事では、「理性」があたかも「野蛮」を克服するものであるかのように書かれているが(じっさい今でも、常識的にはそう考えている人が多いはずだ)、アドルノ=ホルクハイマーはそんな単純なことは述べていない。アウシュヴィッツ(に代表されるあちこちの収容所)が、唖然とするほど「合理的」なシステムによって運営されていたことはほぼ周知の事実だろう。つまりそれは、「理性」の対極から生じたものでは決してなくて、むしろ「理性」の一つの極限として、人類史の中に現れ出てきたものなのである。テクノロジーの精髄である原子爆弾のことはいうまでもない。

 たくさんの例が挙げられると思うけど、近いところで、世界規模での金融破綻の原因となったデリバティブなんてどうだろう。あれだって、マネー理論に通じた理系の英知の結晶だった。大戦が終わったのちもなお、「理性」が依然として「野蛮」を生み出し続けているのは間違いのないことだ。

 「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である。」とアドルノが書くとき、もちろん《詩》はたんに芸術のみならず、「哲学」までをも含めた文化の総称として用いられているが、その「文化」なるものもまた、「理性」の産物であるばかりか、その精華にほかならない。すなわちその点において「野蛮」と「文化」とは同根であり、「野蛮」と「文化」とのこのおぞましき絡み合いこそが、アドルノ=ホルクハイマーの強調したかったことなのである。ここを黙殺しているがゆえに、8月22日のぼくの解釈は、正鵠を射抜いているとは言いがたいのだ。

 むろんアドルノの仕事は、「野蛮」と「文化」とが同根であることを指摘しただけで終わってはいない。「野蛮」を生み出す「理性」に歯止めを掛け、徹底した批判によって「生の価値」を(それを文化と、すなわち「詩」と呼び習わすことは許されるだろう)生み出す方向に向かわせるのもまた、理性にしかできないことだと述べた。「啓蒙の弁証法」とは、おおよそそういうことである(弁証法という言葉には、それこそギリシア哲学からマルクスに至る膨大な歴史の蓄積があるけれど、あえてひとことで言ってしまえば、「ひとつの概念が、それとは相反するもう一つ別の概念を抱え込み、ついには両者が融合して、さらなる高次の段階に至る。」ということだ)。ただし彼が、そのための方途を自らの手で模索し、何らかの成功を収めたか否かは、ちょっとここではぼくには明言できない。

 だからぼくの、「ひとが言葉を介して交わるかぎり、<詩を書く>ことが無意味になるはずはない。ただし、そのことの野蛮さを肝に銘じて、正面から引き受ける覚悟を持った者だけが<詩人>たりうる。そう解すべきかと思う。」という結語は、わりといい線いってると思う。ただ、ここで名前を挙げた、「アウシュヴィッツ以降の詩人」パウル・ツェラン(1920 大正9 ~1970 昭和45)をアドルノがいかに評価していたかについては、これもまた、ここではぼくには明言できない。ざっと調べてみたけど分からなかった。90年代の初頭に出ていた『ユリイカ』のツェラン特集の中に、このことに言及した論考があったようにも思うが、手元にないので分からない。

 ともあれ、ここまでをきちんと読んで下った方なら、先に引いたアドルノの難解な文章も、けっこうクリアになってきたのではないか。「絶対的物象化は、かつては精神の進歩を自分の一要素として前提したが、いまそれは精神を完全に呑み尽そうとしている」。……「絶対的物象化」……あたかも触るものをみな黄金と化してしまうミダス王のごとき……。まさにこれこそ(生れたときから)ぼくたちを取り巻く状況にほかならず、もしこれにわずかなりとも抵抗する手立てがあるとするなら、どうしたってそれは、「詩」をおいては考えられないではないか。



◎いただいたコメント



 20世紀の記憶について細々と研究している者です。かの有名なアドルノの言葉について大変興味深く読ませていただいたのですが、どうも意味が通らないところがあり、ドイツ語の原文に当たって確認したところ、ちくま学芸文庫版・36ページからの引用から「文化批判は、文化と野蛮の弁証法の最終段階に直面している」が欠落していることがわかりました。

 ちなみに、アドルノが自らの言葉をどのように「改訂」していったのかについては、http://www.gbv.de/dms/lueneburg/LG/OPUS/2002/137/pdf/stein5.pdf に詳しいです。私はこれをアドルノの真摯さの軌跡として読みました。

投稿 hayanagi | 2012/11/17





 ご指摘ありがとうございます! ほんとですね、すっぽりと抜けていましたね。すぐに書き足しておきました。そのあとの段落で「この引用文のキー」などと書いておきながら、肝心のその一文を落としてしまうとは、なんとも間の抜けた話です。また、ご紹介いただいた論考も、さっそく保存しておきました。ドイツ語ですので、すぐに目を通すわけには参りませんが(汗)、じっくりと読んでみたいと思います。重ね重ねありがとうございました。

投稿 eminus(当ブログ管理人) | 2012/11/18


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