布施弁天界隈の自然と歴史情報

関東三弁天の一つである柏市布施弁天界隈の城跡、神社、仏閣等の歴史的遺産の紹介とあけぼの山近辺の花情報の提供

7月1日は祭りだ!手賀ばやし!

2007-06-17 | 歴史
5月3日、東京湾アクアライン海ほたるで、千葉県が展開する「ちばデスティネーションキャンペーン」の一環として行われた『柏の伝統発信キャラバン』に出演した「手賀ばやし」の夏祭り本番が7月にいよいよ迎える。
旧沼南町の手賀地区の夏祭り「アンバ様」で奉納されるおはやし、それが手賀はばやしである。
アンバ様は、隣の川を越えた茨城県稲敷市にある疫病除けに大変ご利益がある大杉神社への信仰で、手賀地域だけでなく、布施界隈でも信仰され、大杉詣での講まであった。そして、このアンバ様の夏祭りは、7月の第一日曜日、今年は7月の1日で、興福院から兵主八幡神社まで神輿や山車が引かれ、その帰りに地区内3ヶ所で手賀ばやしが演じられる。この手賀ばやしは、柏市指定の無形文化財である。
山車等が出る平安時代初期の大同年間(806~810)に創建されたという興福院は、竜猛山円城寺興福院といい、手賀沼を見下ろすちょっと高いところにある真言宗豊山派の沼南屈指の古刹寺院だが、当初は、名前も場所も違ったらしい。ここ手賀地区は、戦国時代、手賀城をめぐる攻防の手賀合戦で、千葉介国胤の弟・頼胤の軍勢を迎えうつのに際して、手賀城主原胤親が興福院に戦勝祈祷を依頼し、勝利したので、寺の檀越となり、寺に多くの土地等を寄進し、興福院も最盛期を迎えたそうです。江戸時代には、片山の南蔵院や柳戸の弘誓院など末寺は11寺を数えたそうです。本尊は、弘法大師の作とも、下って鎌倉の大仏師運慶の作とも伝えられる11面観世音菩薩。
一方、出車等が着く、兵主八幡神社は、手賀の八幡さまとして知られており、手賀・片山両地区の鎮守で、祭神は大己貴命と弓矢の神様の応神天皇で、兵主八幡神社はこの2神を祀っています。この神社で、面白いのは、本殿に向う参道とは異なって、森の中を南北に走る約200mの直線の道がありますが、これは参道でなく、パンパ(馬場)と呼ばれ、むかし原氏の専用の馬場として馬の調教や流鏑馬などが行われていたところといわれている。更に、この兵主八幡神社の境内には、大杉大明神の石祠が宝暦7年(1757年)に建てられている。だから、ここが出車等の最終地なのだ。
さて、手賀ばやしの演奏される曲目は、(1)おはやし、(2)ニンバ、(3)ショウデン、(4)カマクラ、(5)シチョウメの5ばやしですが、現在は(3)(5)は演奏されていません。おはやしではシシとキツネが踊り、ニンバのまえに「三番叟」と「式三番」が入り、ニンバでは、ヒョットコとオカメが舞います。カマクラはシンが眠りにつく時の表現に演奏される。この辺は、自分たちになじみもあり、また、実際柏の逆井地区の逆井ばやしと似ているものがあります。しかし、漢字で書くと、ニンバは仁羽、カマクラは鎌倉、シチョウメは四丁目というのは、本当ですか?知っている方いたら教えてください。
現在、この伝統の手賀ばやしを守ろうと、大人の保存会の人たちだけでなく、平成元年からは手賀東小学校の子どもたちも参加するようになったそうで、それはたのもしい限りです。なお、大御輿の中には、先の大杉大明神が祀られているのは、いうまでもありませんが、担ぎ手がいなくて、軽トラックで運ばれるとは、布施地区の八坂様の御神輿と同じであり、寂しいですね。
なお、手賀ばやしは、正月の最終日曜日に行われるのが、初ばやしであることも付け加えておきます。
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