季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

童話

2010年03月25日 | 
僕は童話も好きである。そうは言うものの、イソップ物語とか、かちかち山が好きなわけではない。何といっても好きなのは桃太郎だ。

なんて書いて本気にされたら困るなあ。困るというほどのこともないけれど。家族からはイソップを読めといわれている。まあ、いろいろありましてね。

子供のころ坪田譲治の本を持っていたのを覚えている。善太と三平という兄弟が出てきて、善太が川の上の橋でふざけていて川に落ちて流される。その後の展開は書かれていなかった。僕の持っていたのはどんな本であったか、もう分からない。子供心にも、川に落ち、流される善太のことが気にかかって仕方なかったことだけを記憶している。

ふたたび童話に関心を持ったのは、中学1年のころ、「くまのプーさん」に接してからである。たぶん。なぜ接したのか、もうこれも覚えていないが、物語の最後でクリストファー・ロビンが「もう僕は君と遊べないんだよ」とプーに語りかけ、プーは意味も分からず無邪気にクリストファー・ロビンを見上げている。クリストファー・ロビンも学校に通う年齢になったのである。「僕にも楽しい時代があったっけ」と苦い思いがしたのを覚えている。

話はそれるが、最近のほとんどの人はプーといえばディズニーのキャラクターでしか知らないのは残念だ。しか知らないどころか、ディズニーの創作物だと思っているふしさえある。A・A・ミルンという人が書いてシェパードさんという人が挿絵を描いている。この絵がたいへん可愛らしい。ディズニーファンの人には悪いけれど、比較にならない。いちど本屋さんの児童書コーナーで立ち読みでもしてみたらいかが。あなたも僕とともにプロの立ち読みストを目指そう。

それからは隠れて、表芸では漱石や鴎外、志賀直哉、バルザックなど内外の文学書を漁りながら、暇を見つけてはアリスだのロビンソンだのピーター・パンを再読した。

よくできた童話はイギリスに多い。プー、アリス、ピーター・パン、ロビンフッドと挙げてみればよくわかる。ドリトル先生はロフティングというアメリカの人だが、彼も元々はイギリス人だったはずである。

ハリー・ポッターにもその伝統は受け継がれていると思った。僕は第一作しか読んでいないけれど、面白かった。ただ、日本語訳は感心しない。長持ちする日本語で書かれていない。

ずっと後になってから、吉田健一さんがイギリスの童話について書いているのを発見して嬉しかった。ひと口で説明するのはなかなか難しいのだが、イギリスの童話の優れている点は、もちろん子供に対して書いているのだけれど、作者自身も自分の子供時代に戻って、物語の世界を自ら楽しんでいるところだというのだ。そこいらに転がっている、作者がすっかり調子を下ろしているものと違い、おとなが読むにも堪える作品が多い、という。その通りだ。

不思議の国のアリスは上記の中でも抜きん出ている。そもそもルイス・キャロルというペンネームの由来も、本名をラテン語読みして、それを英語化した、とかえらく凝ったものだったはずだ。

数学者として活動し、「ワニのパラドックス」という話を創った人でもある。

そのパラドックスを紹介しておく。

人食いワニが子供を人質にとり、その母親に「自分がこれから何をするか言い当てたら、子供を食わないが、不正解なら食う」と言った。これに対し、母親が「あなたはその子を食うでしょう」といった場合、

1. ワニが子供を食う場合、母親はワニがしようとすることを言い当てたので食べてはならない。
2. ワニが子供を食わない場合、母親の予想が外れたのでワニは子供を食べても良いことになる。しかしそこで食べると、結果的に母親の予想は正しかった事になるため、矛盾にぶつかる。

このように、ワニが何をしようとも自己矛盾してしまい、子供を食べる事も、食べない事もできなくなってしまう。

以上、ウィキペディアより。

アリス全編にこのパラドックスと似た雰囲気が溢れているのはすぐに感じるでしょう。

アリスの訳はたくさんあって、それぞれが違っていて楽しい。吉田健一さんの訳もあるのだが、残念ながら絶版で、オークションや古書店で探しても手に入らない。僕が所有しているのは生野幸吉さん訳と芹生一さん訳である。さっき本棚をゴソゴソしていたらもう一冊出てきた。こちらは今どきの言葉で書かれていて読んで面白くなかった。








コメント (5)
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