季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

電脳

2009年08月20日 | Weblog
いや、パソコンを使ってこうして駄文をものにし、送信ボタンを押しさえすれば何百万人の人が僕の文を読める。考えてみれば不思議だ。それなのにそんなにたくさんの人が読んだ形跡がないのはもっと不思議だ。電車の中で話しかけられたら困ると思ってサングラスを買おうと思ったが、今のところ必要はなさそうだ。

メールなんて、いまどき誰も不思議に思わないで使っているが、一応の理屈は分かっても、じつに不思議だと思いませんか。

かつてファックスが広まり始めたころ、ハンゼン先生に何度説明しても理解を示さない。何、紙を電話機に差し込んで送ると先方に届く?紙がどうやって電線の中を移動するのだ?説明をしても、初めからありえないことだ、という態度だから、理解しようという気持ちが生じるはずもなかった。紙が電線、ありえない・・・と頭の中をめぐるのみ。

僕らは笑っていたけれど、こういった子供のような疑問はもっともだね。今にして思う。こうやって文字を入力する。それが0と1の信号に分解されて送信され、再び文字になる。なんて、いくらそうかと思ったって、よく味わおうとするともう、何だか奇跡のような気がしませんか。

だってね、その信号とやらが新幹線ですっ飛ばしている人のパソコンや携帯に「正しく」キャッチされる、なんだか奇跡に近い。素朴な驚きをもち続けていると、同じ調子でロトやトトに当たってもちっとも不思議ではないと力強く感じてくるから妙だ。

それならば僕を瞬時に素粒子レベルまで分解してもう一度組み立てなおすこともできそうな気がする。ついでに不具合なところを改善してさ。フォントを変えてしまうように、いい男になっていたりしてね。

ハンゼン先生がメールのことを知ったら何と言っただろう。「文字が空を飛ぶ?ありえない!」とぶつぶつ呟いただろうか。

攻殻機動隊という漫画がある。これが結構おもしろい。いやはや、込み入った理論や細部をよく面倒くさくならずに考えるものだ。科学の世界にけっこう詳しい人が描いたようだ。数年前にマトリックスという映画が流行った、そのアイデアの元になった作品だという。

義足や義手があるのだから、未来の世界には体ごと義体というものが売られている。すべての人間の経験は解析され、中央コンピュータに蓄積されている。法で守られているが、特殊任務に当たる者は、他人の記憶や意識の中に接続して探ることができる。

かたや、ロボットは便利さの極に達し、何かの偶然から自我を持ったものまで出来上がってしまう。(これはアニメになった方の設定だった)

その上で物語りは展開していくのだが、こういう話には小説はむかないと思わざるを得ない。

自我の問題が、いかに人間にとって必然的かつ根源的な要求から生じるかを示す「出来事」だが、あまり深くまで考察を進めると何がなんだか分からなくなる。適度なところで考察はやめて、適度な空想をすれば、空想力の旺盛な人は複雑きわまるストーリーを作り上げる。そんな逆説めいたことを思わせる。


コメント (4)
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