季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

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2009年08月14日 | スポーツ
今年のツール・ド・フランスに(百年の歴史を持つこの大会に)日本人として2選手が初の完走を達成した。以前紹介した新城(あらしろ)幸也、別府史之の2選手である。

3週間にわたり、毎日200キロメートル近く走り、山岳ステージで時には標高差2000メートルというとんでもない峠を連続して走破する。完走するだけでも大変なことだ。

フランスでも日本人が出場するということだけで話題になっていた。話題になっていることの大きさを僕たちはあまりピンとこないかもしれない。

有名な(なんて書くのは、足掛け10年ヨーロッパにいたのに、フランスに行ったことがない田舎者だから)シャンゼリゼー大通りが全面通行止めになるのは一年のうちで、革命記念日とツール・ド・フランス最終日パリゴールの日、2日のみだと言えば少しは通じるだろうか。

現地のマスコミからも大いに注目されていたようだが、残念ながらフランス語がまったく分からない。フランス語らしい、ということだけ分かる。

デカルトは、ただひとつ確実なのは自分が何かを考えているということだ、と考え、そこから一歩一歩考察を発展させていった。(詳しくは「方法序説」を読んでください。タイトルは厳めしいが、誰でも素直に読める)

しかし、フランス語である、ということから考察しようとしても、そこから先は一歩も進まない。

仕方なく、You Tubeで新城選手の日本語のインタビューを見た。

この青年はとても感じの良い受け答えをする人だと思った。

全ステージ終了後のインタビューでは、完走を果たした最初の日本人(別府選手と同時に)としての感想を何べんも訊ねられていた。

質問者はそれに対する喜びの言葉を期待しているのが手に取るように分かる。また、21日間で疲れ果てたという感想を手にしたいらしい。

ところが新城選手は自分の言葉を探すようにしながら「疲れは大したことがなかった」という趣旨の発言をする。

その辺りの呼吸が見ていて面白い。選手からしたら、取材を受けるのは当然としても、煩わしいだろう。

初の出場で感動したであろう、と決めて掛かる質問も多かった。そこでも、意外だがスタート前日のほうが多少の感動はあったが、いざ始まると普通のレースが始まっただけだった、と当たり前の答えが返ってくる。正確な答えで、僕は感心した。

最終日にシャン・ゼリゼーに入って来たときの感動も、インタビュアーとしては何が何でも聞きたいところだっただろうが「周りから鳥肌が立つぞ、と言われていたけれど、いざその場にいると特別の感慨はなかった。石畳の感触に、何だ、これは、と思う気持ちのほうが大きかった」と実に正直なのである。

自分を「感動の渦」に巻き込むような心理操作をしない、こういう実際的な精神を持つ人はきっとこれからも強くなると思う。

それにしてもスポーツについて書くとどうしてもマスコミの未熟さに触れないわけにはいかないのが残念だ。

(別府選手は期間中、楽しんで走った様子なのに)新城選手は日に日に辛そうで楽しんでいないように見えたが、と振られて「そんな風に見えましたか、それなりに楽しかったです。どこを「楽しい」というか、それは分からないですけれど」と、ここでも正確な答えが返ってくる。

○○を楽しむ、これはきわめて要注意な言葉だ。周囲が不用意に使う言葉ではない。ましてや楽しんでいるように見えないなどと口が裂けても言ってはならないはずだ。

新城選手は(日本では)マイナーなスポーツの選手らしく丁寧に答えていたが、こうした取材が度重なれば、他人事(ひとごと)だと思って楽しむという言葉を軽く使わないでくれ、と言うかもしれない。



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