GWの人混みを避けて今月中旬、大分県宇佐市にある宇佐神宮を参拝しました。別府温泉からの帰り道、東九州道を宇佐ICで降りると約10分で宇佐神宮に到着。この辺りは14年前、行橋から別府まで夜を徹して歩く100㌔ウォークに参加した時に通りかかりましたが、宇佐神宮に足を踏み入れたのは初めてです。

地図で手前(北)の神橋から大鳥居を抜け、表参道を進むと、左方向にある小椋山の山頂に上宮が、山麓に下宮が鎮座しています。境内全体が国の史跡に、上宮内の本殿3棟は国宝に指定されています。

鬱蒼とした木々が川に迫り出す、神橋から寄藻川下流側の眺め。この橋を渡ると宇佐神宮の神域に入ります。

宇佐神宮のHPによると、全国11万の神社のうち、八幡大神(応神天皇)を祀る八幡宮が最も多く、社の数は4万を越えるそうです。その総本宮とされているのが宇佐神宮で、石清水八幡宮(京都)、筥崎宮(福岡)とともに日本三大八幡宮と呼ばれています。(箱崎宮の代わりに鶴岡八幡宮(神奈川)とすると説もあります)

八幡大神が降臨したと伝えられる菱形池。ひっそりと静まり、神秘的な空気が漂っていました。

菱形池に設けられた能楽堂。

小椋山の麓、菱形池のほとりに湧く御霊水。三つの霊泉からなる御霊水は、上宮本殿の真裏(北側)に位置し、古来、常に清水が湧き出て絶えることのない霊泉として知られています。

現在工事中の西大門を抜けて、上宮にやってきました。宇佐神宮の祭神は、八幡大神(応神天皇)、比売大神(宗像三女神:多岐津姫命・市杵嶋姫命・多紀理姫命)、神功皇后(応神天皇の母君)で、写真の南中楼門と回廊に囲まれて、向かって左から一之御殿(八幡大神)、二之御殿(比売大神)、三之御殿(神功皇后)が並んで祀られています。
そこで湧いてくる疑問は、主祭神である八幡大神が一般的には中央に祀られて然るべきなのに、その場所を比売大神が占めていること。これは宇佐神宮の謎のひとつです。

入母屋造檜皮葺の南中楼門は、皇族や勅使が通った神宮内郭の南正門です。
神社では「二礼、二拍、一礼」が一般的ですが、宇佐神宮では「二礼、四拍、一礼」とされています。これは全国的にも珍しく、島根県の出雲大社と新潟県の弥彦神社だけなのだとか。これについて「日本歴史旅行協会」の『謎の多い宇佐神宮』という記事では、邪馬台国などの倭人の風習として、貴人に対して跪いての拝礼に代えて拍手を用いていたとの魏志倭人伝の記述を引き、宇佐神宮の格式から出雲大社と並ぶ「四拍」が採用されたのは、上宮の中央に八幡大神ではなく比売大神が祀られていることの疑問と合わせて考えると、比売大神は実は邪馬台国の女王卑弥呼だったのではないかと推論しています。事実かどうか判断すべくもありませんが、日本古代史の謎には興味深いものがありますね。

楼門から見える美しい本殿。

こちらは、小椋山の麓に創建された下宮。上宮と同じく、八幡大神、比売大神、神功皇后が祀られています。

勅使街道と西参道とをつなぐ、檜皮葺きで唐破風の屋根が設けられた呉橋。現在は封鎖されており、10年に一度の勅使祭の時だけ扉が開かれます。

宇佐神宮は、伊勢神宮に次いで重んじられたと言われます。「宇佐八幡神託事件(道鏡事件)」は、宇佐神宮がいかに皇室の信頼を得ていたかを物語るエピソードでしょう。8世紀半ば、称徳天皇に取り入った弓削道鏡は、「道鏡を皇位につけるべき」との宇佐神宮の神託をでっちあげて天皇の座を狙いました。これに対して称徳天皇は、神託の真偽を確認するため和気清麻呂を宇佐神宮に派遣。「君臣には定めがある。皇室の血統でないものを皇位につけてはならない」との神託を得ます。結局、道鏡が天皇になることはなく、皇統は守られたのですが、皇位継承という国の重大問題について、宇佐神宮の神託を仰ぐということ自体、当時の日本において宇佐神宮が特殊な位置づけ、役割を担っていたのではないかと想像が膨らみますね。

地図で手前(北)の神橋から大鳥居を抜け、表参道を進むと、左方向にある小椋山の山頂に上宮が、山麓に下宮が鎮座しています。境内全体が国の史跡に、上宮内の本殿3棟は国宝に指定されています。

鬱蒼とした木々が川に迫り出す、神橋から寄藻川下流側の眺め。この橋を渡ると宇佐神宮の神域に入ります。

宇佐神宮のHPによると、全国11万の神社のうち、八幡大神(応神天皇)を祀る八幡宮が最も多く、社の数は4万を越えるそうです。その総本宮とされているのが宇佐神宮で、石清水八幡宮(京都)、筥崎宮(福岡)とともに日本三大八幡宮と呼ばれています。(箱崎宮の代わりに鶴岡八幡宮(神奈川)とすると説もあります)

八幡大神が降臨したと伝えられる菱形池。ひっそりと静まり、神秘的な空気が漂っていました。

菱形池に設けられた能楽堂。

小椋山の麓、菱形池のほとりに湧く御霊水。三つの霊泉からなる御霊水は、上宮本殿の真裏(北側)に位置し、古来、常に清水が湧き出て絶えることのない霊泉として知られています。

現在工事中の西大門を抜けて、上宮にやってきました。宇佐神宮の祭神は、八幡大神(応神天皇)、比売大神(宗像三女神:多岐津姫命・市杵嶋姫命・多紀理姫命)、神功皇后(応神天皇の母君)で、写真の南中楼門と回廊に囲まれて、向かって左から一之御殿(八幡大神)、二之御殿(比売大神)、三之御殿(神功皇后)が並んで祀られています。
そこで湧いてくる疑問は、主祭神である八幡大神が一般的には中央に祀られて然るべきなのに、その場所を比売大神が占めていること。これは宇佐神宮の謎のひとつです。

入母屋造檜皮葺の南中楼門は、皇族や勅使が通った神宮内郭の南正門です。
神社では「二礼、二拍、一礼」が一般的ですが、宇佐神宮では「二礼、四拍、一礼」とされています。これは全国的にも珍しく、島根県の出雲大社と新潟県の弥彦神社だけなのだとか。これについて「日本歴史旅行協会」の『謎の多い宇佐神宮』という記事では、邪馬台国などの倭人の風習として、貴人に対して跪いての拝礼に代えて拍手を用いていたとの魏志倭人伝の記述を引き、宇佐神宮の格式から出雲大社と並ぶ「四拍」が採用されたのは、上宮の中央に八幡大神ではなく比売大神が祀られていることの疑問と合わせて考えると、比売大神は実は邪馬台国の女王卑弥呼だったのではないかと推論しています。事実かどうか判断すべくもありませんが、日本古代史の謎には興味深いものがありますね。

楼門から見える美しい本殿。

こちらは、小椋山の麓に創建された下宮。上宮と同じく、八幡大神、比売大神、神功皇后が祀られています。

勅使街道と西参道とをつなぐ、檜皮葺きで唐破風の屋根が設けられた呉橋。現在は封鎖されており、10年に一度の勅使祭の時だけ扉が開かれます。

宇佐神宮は、伊勢神宮に次いで重んじられたと言われます。「宇佐八幡神託事件(道鏡事件)」は、宇佐神宮がいかに皇室の信頼を得ていたかを物語るエピソードでしょう。8世紀半ば、称徳天皇に取り入った弓削道鏡は、「道鏡を皇位につけるべき」との宇佐神宮の神託をでっちあげて天皇の座を狙いました。これに対して称徳天皇は、神託の真偽を確認するため和気清麻呂を宇佐神宮に派遣。「君臣には定めがある。皇室の血統でないものを皇位につけてはならない」との神託を得ます。結局、道鏡が天皇になることはなく、皇統は守られたのですが、皇位継承という国の重大問題について、宇佐神宮の神託を仰ぐということ自体、当時の日本において宇佐神宮が特殊な位置づけ、役割を担っていたのではないかと想像が膨らみますね。