ドリームピックのウクレレ日記

ウクレレとヨットの大好きな「お腹の大きなオヤジさま」
dreampicのウクレレ日記。

集団的自衛権を容認すべきではない

2015年09月07日 00時03分35秒 | 独り言
私の集団的自衛権に対する立場は、安倍内閣もしくは安倍総理そのものが提唱する
考えを疑問視する立場であると明言しておく。
安倍自民党が目指している集団的自衛権の行使が憲法上認められるように改憲する
という考え方そのものについて、反対の立場をとるものである。

個別的自衛権という言い方があり、だからこそ集団的自衛権という言葉も生まれた
と考えるが、そもそも自衛とは個別的なものである。そこに国家あるいは集団同士
の同盟・契約関係があるから“集団的な”という概念が生じるのだ。

わが身を守るという行為自体は、生物として至極当然に備わった行為であり、それ
は誰に教わるでもなく身に着いている事だと思う。転んだ時に、顔で着地せずに手
をついたり、いきなり殴られそうになったら避けたりするのは当然だ。これ自体は
自衛であるが、個別的とかいちいちいわなくとも自然に行っている行動だ。
このいちいち言わなくても自然と行っていることが自衛権というものだと思う。

これに対し“親友の●君が同級生にやられているから助けよう”というのが集団的
自衛権というものだろう。一見心情的には当然のようだが、良く考えてみると、
●君が親友ではなかったら、どうなんだろうか。また、相手が同級生でなく上級生
だったらどうだろう。つまり、自分の個別的な自衛権なら誰が相手であろうとも
わが身を守る行為に出ると思うが、自分以外を集団的に守ると言う行為は実は大き
く利害関係が影響するものだと考えられる。

利害関係とは常に一定の関係ではない。転んだ時に思わす手をつくようなことでは
なく、その時の利害を考慮して手をつくかどうかを考えるということだ。その時の
利害関係がどういうものかによっては、手をつかないかもしれないし、手じゃ済ま
ないかもしれない、ということだ。

そんな不安定な基準に、国家の行動をゆだねる訳にはいかないのだ。

                    
コメント
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