ドリームピックのウクレレ日記

ウクレレとヨットの大好きな「お腹の大きなオヤジさま」
dreampicのウクレレ日記。

諏訪教会でのミサ、平和を祈るミサ

2014年08月14日 06時50分32秒 | キリスト教関連
諏訪教会で先日の10日(日)のミサに参加して感動したことが、もう一つあった。
それは、「集団的自衛権の行使」に対する日本カトリック司教協議会の会長である
岡田武夫大司教の談話を紹介した事。
雪の下教会では、この談話をミサで説教の代わりに、到底読み上げないだろうと
思われます。

それを堂々と行った、ジラール師に頭が下がります。
下に日本カトリック協議会のHPから全文を転載して掲載します。
つまり、教会としてはこれが、安倍内閣の集団的自衛権の行使に対する、正式な
見解であります。信者として胸を張って同意します。

                       

<2014年平和旬間 日本カトリック司教協議会 会長談話>
過去を振り返りながら将来にむけて平和を実現する者になりましょう

 2014年の平和旬間にあたり全国の信者の皆さんに挨拶をおくります。
 1981年広島を訪れたヨハネ・パウロ二世は言われました。
 「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。この広島の
町、この平和記念堂ほど強烈に、この真理を世界に訴えている場所はほかにありません」
(「広島平和アピール」) この教皇の声は33年を経てなお強くわたしたちの心に響いて
います。戦争ほど悲惨で愚かな所業はありません。わたしたち人類はどんなことがあって
も戦争の過ちを繰り返してはならないのです。「過去をふり返ることは将来に対する責任
を担うことです。」 教皇が繰り返し言われたこの言葉を今また思い起こしましょう。

 今年は第一次世界大戦開始から100年にあたります。1945年8月15日に終結した第二次世
界大戦とともに、これら前世紀の2つの世界大戦の悲劇は何故起こったか、その理由を考え
てみましょう。多くの場合、戦争は正義を根拠にし、自国の防衛を理由にして行われます。
対戦する国々がそれぞれ自衛のための正戦を主張しながら戦闘が繰り返され、その結果多数
の尊い生命が犠牲にされるのです。

 わたしたちは、あらためてアジア・太平洋戦争に至ったときの流れを振り返りながら、
日本国民として、またカトリック教会のメンバーとして、この戦争の引き起こした悲しい
結果に対する責任を自覚しなければならないと思います。

 アジア・太平洋戦争の悲劇を経て制定された日本国憲法は、第9条で「国際紛争を解決する
手段としての戦争の放棄と戦力の不保持」を誓いました。この平和憲法のおかげで、わたし
たち日本国民は、ほぼ70年もの長きにわたり、戦争で誰も殺さず、誰も殺されないで過ご
すことができたのです。この事実は実に人類の歴史上稀なことであり、世界に誇る実績なの
です。戦争放棄を定めたこの憲法を保持し続けた日本国民が2014年ノーベル平和賞の候補
なったことは実にうれしい明るいニュースです。
 しかし安倍内閣は、この7月1日に集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈変更の閣議
決定によって、この憲法を踏みにじりました。平和的生存権のためには、集団的自衛権の
行使(参戦)も必要というものですが、犠牲を伴わない戦争はありません。わたしたちの
平和的生存権は戦争によって脅かされるのであって、戦争によって守られるはずがありま
せん。また人々の犠牲の上に成り立つ平和的生存権などありえないのです。

 「平和を築くには、戦争をする以上に勇気を必要とします。出会いを受け入れ、対立を
退けるには勇気が必要です。暴力でなく対話を、敵意ではなく和平を、挑発ではなく協定
の尊重を、これらすべてには大きな勇気が必要です
」。これは、先日ヴァチカンにおいて
、イスラエルのシモン・ペレス大統領とパレスチナ自治政府のマフムード・アッバス大統
領を迎え、「平和を願い求める祈りの集い」を行ったときに教皇フランシスコが言われた
言葉です。

 平和旬間にあたり教皇が言われるこの勇気をもって、過去を振り返り反省しながら、相互
の信頼と尊重を基調とする対話を通して平和を実現する者となるよう努め、そのために祈り
ましょう。

2014年7月3日
日本カトリック司教協議会
会長 岡田武夫

                       
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