私はサラリーマン時代に、東大阪市布施に二年半ほど勤務したことがあります。その当時は駅南側は再開発の話は出ていましたが、まだ立ち飲み屋の多い昔の布施の色を残していました。
長崎から転勤してきて、下町風の大阪の匂いが強いこの街には最初は吃驚しましたが、慣れるとなかなか面白い処でした。その後東京勤務となった訳ですが、僅かの間の大阪生活は今でも思い出に残っています。
私の転勤と同時期に新入社員として東大阪支店に配属されたのが、後ほど登場の石田君でした。当時からなかなか理屈っぽい青年でしたが、行動面はおっちょこちょいな面もある面白い人物でした。
その石田君が5年振りに青の洞門に来店しました。今はテレビショッピングの会社に転職して頑張っているとのことです。久し振りに当時の布施での思い出話に花が咲き、あの緊張した勤務状況が浮かんできました。
東大阪といえば、その当時は堺支店に匹敵するくらいにクレームの発生が多く、毎日のように問題処理で駆け回っていました。ちょっとしたことでも意見を云いたがる東大阪人は、強い問題意識を持った人達なのでしょう。
クレーム処理の後、毎日のように駅前の立ち飲み屋に集合して、仕事の愚痴をこぼしていました。その中に新人の石田君も連れて来られ、理屈を云う度にみんなにやっつけられていたのを懐かしく想い出します。今は1児の父の石田君、息子の屁理屈に困っている今日この頃だそうです。
長崎から転勤してきて、下町風の大阪の匂いが強いこの街には最初は吃驚しましたが、慣れるとなかなか面白い処でした。その後東京勤務となった訳ですが、僅かの間の大阪生活は今でも思い出に残っています。
私の転勤と同時期に新入社員として東大阪支店に配属されたのが、後ほど登場の石田君でした。当時からなかなか理屈っぽい青年でしたが、行動面はおっちょこちょいな面もある面白い人物でした。
その石田君が5年振りに青の洞門に来店しました。今はテレビショッピングの会社に転職して頑張っているとのことです。久し振りに当時の布施での思い出話に花が咲き、あの緊張した勤務状況が浮かんできました。
東大阪といえば、その当時は堺支店に匹敵するくらいにクレームの発生が多く、毎日のように問題処理で駆け回っていました。ちょっとしたことでも意見を云いたがる東大阪人は、強い問題意識を持った人達なのでしょう。
クレーム処理の後、毎日のように駅前の立ち飲み屋に集合して、仕事の愚痴をこぼしていました。その中に新人の石田君も連れて来られ、理屈を云う度にみんなにやっつけられていたのを懐かしく想い出します。今は1児の父の石田君、息子の屁理屈に困っている今日この頃だそうです。
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