写真は、私の実家近くの角田八幡神社のスナップです。正応二年(1289年)に近隣の村の産子神として造られたと案内板に書かれています。子供の頃から好き勝手に境内で遊んでいましたが、相当歴史のある神社なのですね。
私の実家は浄土真宗なのですが、お祭りや正月には決まって神社に参ります。不思議な信仰心だと思います。個人個人には決まった宗教があって、何か行事があると別の宗教にお世話になる、外から見ると日本人は不可解だと思われるでしょう。
ということは、日本人の大半は信仰心が薄く、何かあるとそれなりに形だけの信仰心を示すのでしょう。
私は、平凡に生きていく上では、これでいいのではないかと思います。信仰心が強すぎると諍いも起こり、戦争にも発展します。宗教戦争、これが一番厄介な争いごとです。
お盆休みに実家に戻り、神社の本殿の前に座っていたら、こんなことが頭に浮かびました。ジョギングの途中の雨宿りでしたが、平和過ぎる光景を見て平和であることが一番だと思いました。
本日の青の洞門も、どうか平和でありますように、角田八幡に向かって手を合わせます。
私の実家は浄土真宗なのですが、お祭りや正月には決まって神社に参ります。不思議な信仰心だと思います。個人個人には決まった宗教があって、何か行事があると別の宗教にお世話になる、外から見ると日本人は不可解だと思われるでしょう。
ということは、日本人の大半は信仰心が薄く、何かあるとそれなりに形だけの信仰心を示すのでしょう。
私は、平凡に生きていく上では、これでいいのではないかと思います。信仰心が強すぎると諍いも起こり、戦争にも発展します。宗教戦争、これが一番厄介な争いごとです。
お盆休みに実家に戻り、神社の本殿の前に座っていたら、こんなことが頭に浮かびました。ジョギングの途中の雨宿りでしたが、平和過ぎる光景を見て平和であることが一番だと思いました。
本日の青の洞門も、どうか平和でありますように、角田八幡に向かって手を合わせます。