パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

第一次世界大戦たけなわ!

2008-06-24 21:28:37 | Weblog
 また牛肉偽装事件が起きたが、反グルメ人間としては、どうでもいいニュースだ。摘発された会社の社長がいかにも傲慢なタイプで、テレビマスコミに格好の標的になってしまっているが、あたかも一大疑獄事件かのように、大人数の警察が捜査に入るほどの事件か。そもそも、業界基準の品質表示に違反して、「警察沙汰」というのが変だ。農林省が「注意」すればいいだけではないか。

 もっともっと大事なことがあるのではないか。

 たとえば、臓器移植法案の改正が、民主党の「問責」決議案のあおりで裁決できなかった。もっとも、この改正案の内容をよく知らないので、改正されたからどうなるかもわからないのだが、アメリカで幼児の臓器移植の権威として活躍している日本人医師が、日本の学会か何かに出席するために帰国して、そこで、今の日本では15歳以下の臓器移植は全面禁止、他の移植についても、実質的に禁止しているという事情をアメリカではまったく知られていないが、もしこれが広く知られたらとんでもないスキャンダルになるので、法律の改正を至急おこなわなければならないと話していた。

 それはそうだろう。どこの国でも臓器は臓器提供者の利他精神の賜物であり、その意味で極めて貴重なものだ。それを、自国では禁止されているからという理由で、外国から来て横取りしてしまう。

 なぜ、日本で臓器移植が遅々として進まないかというと、脳死問題がクリアされていないからで、なんでクリアされていないかというと、梅原猛みたいな、「子供の頃から空想好き」(ウィキペディアより)なだけのトンデモ学者が権威を保っていて、それが猛反対していることが、すべて……ではないにせよ、大きい。

 しかし、梅原はどんな理由で反対しているのか?

 調べたら、いやはや、驚いた。

 「植物に脳はないが、生きている」、「脳の死をもって人間の死とみなすのは、デカルトの心身二元論に基づくもの」、そして結論は、「一神教は誤っている。我が日本の古代からの信仰、アニミズムを復活せよ」となる。

 要するに、すべての生物には、その生存を維持するまだ人類にはよくわからない「生命の秘密」が隠れているのであって、軽々に脳死をもって死と認めるべきではない、というのだ。

 もちろん、人類はまだ「生命の秘密」のすべてを解きあかしたわけではないけれど、わかったことが一つある。それは、「生命の秘密」なんてものはない、ということだ。アインシュタインが言ったように、「理解可能であるということが、もっとも理解し難いこと」なのだ。(アインシュタインは宇宙について言ったのだが、宇宙を「生命」に言い換えても同じことだ……と思う)

 そもそも、脳死状態の人と、肝臓が機能停止してしまった人がいたとして、脳死状態の人から肝臓を取り出して、肝臓が機能停止してしまった人に移植することは可能だが(それが臓器移植なんだから)、では、逆に肝臓が機能停止したが、脳死状態ではない人から健康(?)な脳を取り出して脳死状態の人に移植できるかというと、それはできない。もし移植に成功したら、別の人になってしまうからだ。

 この話は、哲学者の永井俊哉のブログを参照したものだが、永井氏によると、「脳にその人の人格が集約されているので、脳の死をもって人の死とすることが諸国で認められている」のだそうだ。

 それはともかくとして、もし、梅原氏の意見が正しくて、人間の生命の尊厳を犯す臓器移植を禁止すべきなら、国外で臓器移植手術を受けることも、当然、人間の生命の尊厳を犯す行為として禁止しなければならない。それが、反対者として当然の義務と思われるが、梅原自身はどう考えているのだろう。

 サッカーのヨーロッパ選手権が異常な面白さ。準決勝がロシア×スペイン、ドイツ×トルコなんて、なんだか、第一次大戦みたいだ。