パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

本当に本当の事

2008-06-10 21:45:24 | Weblog
 今回の秋葉原事件について、知事として、このような凶悪事件を抑制する手段を考えているかと聞かれた石原都知事が、「残念ながらないね。こういう人物はいつでもいる」と答えたそうだ。

 さすがに正論だ。こういう時に、政治家が驚き慌てて、「絶対許せない!」とか騒いでみせ、さらにナイフの規制とか、派遣社員の待遇をどうするとか、規制強化で対応しようとしても、逆に人々を不安に陥らせるだけだ。

 行政(官僚)のなすべきことは、何よりも、犯人を捕まえることだ。今回は、幸いにも捕まったが(まあ、これで逃げ切られたら――犯人の加藤智大は、逃げ切る積もりでいたらしいが、最近の警察の無能ぶりから、そう思うのもアリだったかも――どうしようもない)、犯人逮捕がもっとも大事なのだ。

 犯人も捕まえられなくて、「犯罪ゼロを目指す」とか、どの口が言うか、である。

 ユングも言っているけれど、犯罪、あるいは犯罪報道というものは、人々にとって、トランキライザーのような効果をもたらす面がある。誰もが、自分が被害者でなかったことを安堵し、感謝する気持ちになれる。「犯罪ゼロの社会」なんて、ユングの指摘が正しければ、「もっとも恐ろしい社会」なのだ。

 しかし、すべての官僚は、「犯罪ゼロ」を「貧困者ゼロ」を目指す。「犯罪ゼロ」、「貧困者ゼロ」なら、犯罪対策も貧困者対策もいらない、というわけだ。しかし、本音は、「犯罪ゼロ」、「貧困者ゼロ」を目指している限り――ということは、永遠に――自分の身分は安泰でいられるからだ。

 これに対し、「公権力による規制は一切無用である」と言ったのが、例の「負の所得税」の提案者、ミルトン・フリードマンだが、フリードマンは、驚くべきことに、医師免許とか、運転免許なんかも無用だという。

 実際、つい先日、20年間無免許で消防自動車を運転していた男が逮捕された。ワイドショーのコメンテイターは口々に、「なんでわからなかったのか」とか言っていたが、実際には、誰もが、「免許なんかなくても、20年間、問題なく仕事をこなしていたのか、すごいなー」、と思ったはずだ。無免許医師が捕まって、「周囲の評判はよかった」などとコメントされる場合も多い。

 もちろん、運転免許も医師免許も不要というのは、自動車教習所も医学部も不要というわけではない。ただ、交通事故であれ、医療事故であれ、事故の原因は、免許の「有無」ではなく、充分な技術の「有無」にある、という単純な事実を言っているに過ぎない。

 そして、現在、その「充分な技術の有無」は、国をはじめとする「公権力」が判定しているわけで、それが「免許制度」だが、それよりも、「市場」に任せたほうがよい、というのがフリードマンの主張なのだ。

 細かいことはともかくとして、実は、私は、以前は自動車免許をもっていたが、あまり運転技術がうまくなく、乗り続けていたら絶対に事故を起こすにちがいないと思っていたので(実際、オートバイではちょくちょく事故っていた)、うっかり免許書き換えを忘れて、半年程オーバーしてしまったことをきっかけに、免許を放棄してしまったのだが、交通事故というものは(文字通りの、「運」の問題は別として)、「運転免許の有無」ではなく、「技術の有無」の問題だというのは、本当に本当の事だ。