パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

お金の問題じゃないのよ

2007-12-21 22:52:15 | Weblog
 C型肝炎訴訟の続きなのだが、原告の「金の問題じゃない」「札束で頬をひっぱたかれた」といった発言がかなり波紋を呼んでいるようだ。今朝のモーニングショーを見ても、みのもんたが、今回の和解条件の基準となった東京地裁の判決が、原告側に下から2番目に不利だったことを指摘して、なんで、原告側に有利な判決を基準にしないの?と言っていたり、女性アシスタントが、「気持ちは分かるけど、とりあえずお金はもらっておいた方がいいんじゃないのかな~」などと言っていた。
 裁判ネタでは、鳥越なんかが、わりと的確に話をまとめてくれてるような気がするのだが、その鳥越の話は聞き損なってしまった。いずれにせよ、誤解というか、全然理解されていないようなので、私が解説してしんぜよう。

 とかいって、実は、昨日、書き込んだ時点では、私もわかっていなかった。ただ、行方不明の年金捜査には、総額1000億円近いというか、ほとんど無制限に金を使うのに、肝炎訴訟には、たったの30億円、みみっちいなー、という印象でしかなかった。しかし、原告の、「金の問題じゃない」という発言の意味は、「もっと出せ」ではないことは確かだ。というわけで、正直言って、全然わからなかった。
 しかし、その後、断片的にだが、情報を集めて、それをつきあわせて考えるに、次のようなことらしい。あくまでも、私の「理解」なんで、間違っていたらすみません、なのだが、要するに、最初の呈示金額が8億円だったのを、30億円に上乗せし、「実質的に、これで原告の言う一律救済になる」と舛添大臣は言ったわけだ。
 ここが今回の話の肝なのだが、その前に、原告が何を要求していたかというと、「線引き」をしないでくれ、である。薬事行政の誤りと認定されたものは、すべて認めよ、というのだ。
 しかし、原告の言う「線引き」とは、この「誤り/誤りではない」の間の線引きではないはずである。

 正直言って、この辺のことは、まだよくわかっていないのだが、それでも確実に言えることは、舛添大臣、というか、実質は厚生官僚なのだが、その発言によると、8億円を30億円に上乗せしたことで、「線引きの外の人まで救済することが可能」というのだ。ええええ?である。ここがおかしいのだ。
 つまり、厚生官僚の回答は、ぶっちゃけた言い方をすれば、「30億円上げます。これなら、線引きの外の人まで助かります。でも、線引きの廃止はできません。どうか、これで納得してください。」なのだ。つまり、線引きの「線」を30億円にまで拡大したが、実は、本来の「線」は、そのずっと手前なのだ。具体的にはわからないが、最初に8億円と呈示したことから推測すると、たぶん、その近辺、10億円くらいじゃないかと思う。「30億円なんてみみっちい!」と思っていたが、実は逆で、どんぶり勘定の大盤振る舞いだったのだ。

 「金の問題じゃない」「札束でひっぱたかれた」というのは、そういう意味なのだ。

 では、なんで官僚は「線引き」にここまで固執するのか。それは、会見等ではっきり言っている。

 その一。線引きをやめると、支出が無限に増える可能性がある。

 反論しよう。まず、「無限の支出」なんて、あり得ない。必ず限界はある。今回の訴訟で言えば、実質的に、推測だが、10億円くらいで済むはずだ。実際、官僚自身が30億円を呈示した段階で、どんなに多くとも30億円以下だということがはっきりしている。また、もし仮に1兆円くらいにまでかさんでしまったとしよう。だとしたら、それはとんでもなく重要な薬事行政のミスということになって、財源がどうのなんて言ってないで、起債してでも払わなければならない。要するに、ミスを犯したら、その責任はとらねばならない、ということだ。現実には、線引きをしなければならない場合もあるだろうが、それはその時のことで、最初に線引きをしてしまうことは、無条件で許されないはずだ。

 その2。薬の認可が遅れたり、不可能になったりするかもしれない。

 反論。本人たちの無能を告白したようなもの。有能な薬事審査官を大量に採用するなどして、ミスの可能性をできるだけ小さくするしかない。それをしてこなかったために、薬害エイズで懲りたはずなのに、また、同じミスを犯したのではないか。

 テレ朝のモーニングショーで、大谷昭宏が、この問題ではなかったけれど、官僚について、「彼らは国民のためなんて、ちっとも思っていない。そのことを認識することが第1に大事だ!」なんて、「言ってやったぞ」みたいに、鼻をぴくぴくさせながらアジっていたが、なんとまた頭の悪い発言だ。
 官僚たちは、国のために尽くしていると思っている。そして、いろいろ言われるが、総体としては、自分たちの裁量がうまく機能していると思っている。「総体として」というところが肝心だ。あっちがでっぱったら、こっちをひっぱたきで、「総体として」破綻していなければよろしいというのが、彼らの立場だ。たしかに、日本に限らず、官僚行政というものはそういうものでしかないのだろう。彼らが、「線引き」を死守しようとするのも、1対1で、確実に責任を取らされたら、この「総体主義」、すなわち「どんぶり勘定主義」が崩壊してしまうからだ。

 というわけで、今回の訴訟は、官僚支配の本質を突いているという意味で、重要なものだと思うのだが、そのためにも、原告側弁護士は、もうちょっとわかりやすく説明してほしい。「プロ市民」とかの罵声を浴びせられているのは残念である。もっとも、朝日新聞にも批判されているみたいだから、プロ市民じゃないことは多分、確かだと思うのだが。