パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

くたばれ、グルメブーム!

2007-12-07 21:57:11 | Weblog
 ブログサービスの一つとして、「ネタ不足の場合はこちらを」と言って、マイナーなおもしろニュースをピックアップしているブログがあるけれど(gooブログにもあったと思う)、目をちゃんと開きさえすれば、ネタなんていくらでも見つかるではないか。たとえば、一昨日の新聞に、多田道太郎の訃報が載っていた。(え? 知らないって? そんなのほっときゃよろしい)

 多田道太郎って、好きだったんだけどなあ。享年82とあったが、もっといっていると思っていた。

 前から言っているのだが、日本の学者は早く死にすぎる。多田先生だったら、せめて88くらいはいってもらわないと、なんか納得がゆかない。白川静の「享年96」くらいだったら納得だ。なぜって、多田先生は白川先生にだって匹敵する、と私は思っているのだ。
 ところが、一方で、最近、特にアメリカの学者がやたら長生きだ。ガルブレイスなんか、100超えてまだ健在なんじゃないか。同じ経済学者のフリードマンは享年96だし、チョムスキーはまだ80半ばだが、「黒人のDNAは、知的分野において他人種より劣ることを示しているが、それで何か問題でも?」などと元気に言ってのけるし、フランスのレビ・ストロースだって、100近くまで元気に学者として活躍していた(もしかしたら、まだ生きているかも)。学者じゃないけど、ポールニューマンは80超えてやっと現役引退発表だし、カークダグラスなんかも90近くてまだ元気だ。長寿大国のはずの日本の学者だったら、彼らに負けず劣らずの長寿を保ったっていいはずだ。
 しかし、現実を言うと…日本の老人の「寝たきり」率は、数字は忘れたが、アメリカのン倍だし、インド人も、日本人より圧倒的にぼけ老人は少ないと聞いた。「寝たきり」は本人も嫌だろうが、周囲はもっと嫌だし、治療に責任のある厚生省はさらに困ったことになる。
 というのは、私の父親もお世話になったからあまり大きいことは言えないのだが、たとえば人工透析に使われている健康保険料金は、毎年7兆円だとか。この数字も確かじゃないが、日本国民の健康維持のためという名目で集めた金の多くが人工透析に消えていることは確かだ。その他も含めれば、ほとんど90パーセント以上(この数字も確かじゃない。今度調べておきます)が老人治療に健康保険が消えているわけで、それで、厚生省は「メタボリック症候群」撲滅にやっきとなっているわけだが、だとしたら、厚生省は、肝心なことを見逃している。それは、グルメブームだ。
 グルメなんか、私は百害あって一利無しと思う。(もちろん、まずいものを食べるのは嫌だが、それは「グルメ」とは言わないだろう。)どこそこのソバがどうの、松坂牛がどうの、但見牛がどうの、地鶏がどうのとグルメ度をどんどん上げていった結果が「産地の偽装表示」だ。産經新聞がこの問題について、「業者のモラルの低下」を嘆いていたが、産地の偽装はモラルの問題なんかじゃない。グルメブームの必然的結果なのだ。産経のコラム氏は、大阪の吉兆の初代との思い出話を披露して、「初代が生きていたら、なんというだろう」とか書いていたが、骨董の目利きでもあるというその初代吉兆主人こそ、偽装表示の始まりかもしれない。というか、きっとそうだ。

 テレビの公共広告とやらで、「お母さん、赤ちゃんを抱いてあげてください」とか、薬物の危険性を警告したりしているが、それも代かもしれないが、それより、「グルメはほどほどに」って、流したらどうだろう。かなり画期的だと思うが。

 それはさておき、多田道太郎の訃報記事に、「グルメブームの火付け役だった」と書いてあった。「オー、ノー!」。これは、心外なことだ。たしかに、多田道太郎は美食家かもしれない。そんな雰囲気があることは否定しないが、一方で、「私が母親に作ってもらったお弁当は、いつも海苔ご飯に、総菜屋の煮豆くらいだった。今の若いお母さんが、スーパーで買った出来合いのおかずでお弁当を作ったりしていることを世間が非難するのは、妥当ではない」とも言っていた。多田道太郎だけじゃない。魯山人先生だって、今のグルメブームには、きっと眉をひそめるにちがいない。

 ところで、その多田道太郎は、社会風俗研究の大家ということになっているが、専門はフランス文学で、特にボードレールの研究で有名なんだそうだ。実は、以前、月光で「夢の街」という特集もどきのことをやったことがあって、その扉ページに多田道太郎の「人生はボードレールの一行の詩に如かない。この言葉をもじって言えば、ボードレールの全詩集もついに一つの街並に如かない、ということもあろう。その意味の深さにおいて。ただ私たちは目を閉じて街を歩いているだけなのである。」という文章を掲げたのだが、書き写しながら、何で多田道太郎がボードレールに言及しているのだろうと思ったものだった。なるほど、本業がボードレール研究だったのか。知らなかった。ボードレールといえば、まさに19世紀パリの街を生きた人だ。多田氏の、風俗に関する論考が、ピカイチに「深い」のは、そのせいであったのだ。
 以前から、古本屋で多田先生の本を見つけると、できるだけ買うことにしている。というか、立ち読みしているうちに、自然に買いたくなってしまうのだ。まあ、正直に言うと、「安いから」ってこともあるけど、これはちょっと残念なことでもある。