パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

米騒動について

2006-10-27 12:58:30 | Weblog
 NHK、「その時、歴史は動いた」、米騒動編の再放送を見る。

 米騒動についてはほとんど知らないのだけれど、番組を見た限り、寺内首相の無能で説明がつくように思ったが、番組制作者は、これを大正デモクラシーのはじまりとして説明しようと必死になっている感がありありだった。解説の内橋克人なんか、「米騒動の意義は、今こそ、今だからこそ、再認識されるべきです」と、ほとんど涙目で訴えていた。小泉~安部じゃ格差社会が拡大するばかりでだめなんだーって、はっきりいえばいいじゃんと、思わず笑ってしまったが、しかし、米騒動が日本の民主主義の夜明けを告げる事件であったという歴史認識は一般的なのだろうか。
 現社民党の前身、日本社会党のそのまた前身の日本労働党(だったっけ)が、別名「おかか(主婦)一揆」と称される米騒動から誕生したことは、おぼろげながら覚えているが、これはまさに今の社民党が「おかか党」である事実と照応している。三つ子の魂百までとはよくいったものと、しみじみ実感。

 話が戻るけれど、米騒動が日本における民主主義の始まりであるとするのは、明らかに史実にあっていないだろう。民主主義を、「おかか」たちの「家族を飢えさせるわけにはいかない」という危機意識を基礎とする下克上運動と定義するなら別だけど。
 もちろん、おかかたちの、「なにがなんでも子供や夫を飢えさせるわけにはいかない」という意識は、有り難いというか、凄いというか、ある意味、頭が下がるといってもいいのだけれど、反面、これは、夏目漱石の「道草」で、漱石の妻の言う、有名な台詞、「あたしを養ってくれる(食料を買う金を与えてくれる)なら、泥棒でも構わない」に通じるもので、男としては、唖然としつつ、その「なにがなんでも精神」は傾聴に値すると認めるに吝かではないけれど、しかし、このような闇雲な精神から民主主義が生まれるわけはないのだ。

 持上げ過ぎかも知れないが、明治時代には、旧士族を中心とする「上から」の貴族的民主主義の兆しがないではなかったのだが、明治末年頃から、「持たざるもの」による下克上を是とする左翼的観念に基づく「民主主義が」マスコミを中心に徐々に台頭し、それが寺内首相の無能に基づく失政をつく形で、政治勢力を構成してしまったあたりから、おかしくなってしまったのではないだろうか。
 いずれにせよ、米騒動によって寺内内閣が倒れ、後を継いだ原敬が寺内の失政を修正しつつ、政党政治の実現に力を注いだものの、暗殺されて中断……といった、あたりは日本近代史の中でも最重要な場面で、詳細な研究もなされ、優秀な学者も数多存在するのに、それを差し置いて、内橋みたいなおかかフォロアーに、米騒動の意義を語らせるなんて、偏見が過ぎるぞ、と思う。