パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

昨日の、続き

2006-10-28 14:34:59 | Weblog
 ……というわけで、どうにもわけのわからないのが、日本の左翼、および右翼の一部が、ほとんど問答無用の勢いで小泉、安部ラインを忌避していることだ。「今こそ、本当に今こそッ、米騒動を再評価すべきなのです」と涙目で訴えた内橋克人が、何故か小泉、安部の名前を出さなかったのも、別に思惑というか、戦略があってそうしたわけではなく、二人の名前は、口に出すことすら穢らわしいという思いがそうさせたような感じがしてならない。
 それに比べると、右翼の一部、たとえば小林よしのりとか西部邁なんかの反小泉感情は、わかりやすい。要するに、反米感情だろう。
 ただし、小林の反米主義は、実体は反アングロサクソン感情のようで、その点で西部とはちょっと違っているようだ。西部の場合は、日本とアメリカは軍事的同盟関係にあって、アメリカの核の傘で守られているが、いざとなったら、アメリカがその約束を守って、究極的には核による反撃ということになるが、そんな多大なリスクを負うつもりなんか、あるわけがない。もし、本当に守ってくれるとしたら、日本がアメリカ合衆国の一州になってアメリカに帰属するしかない。そんなわけにはいかないのだから、日本は、核武装を含む真の自立を目指さなければならない、というのだ。
 日本がアメリカに守ってもらうためには、アメリカ合衆国の一員になるしかないという箇所は、西部自身がそう明言しているのだが、なんでそんな非現実的な条件をわざわざ挟むのか、それがわからない。
 そうすれば、説得力が高まると思っているのか……多分、そうだと思うが、だとしたら、西部は、何か、非常に大きなものに頼りたいという気持ちの強い人なのかも知れない。田島陽子に対して、「女が嫌だと言ったって、俺(男)は女を守るんだ」と朝生で言ってたけれど……これは、ある種、逆転心理なのだろう。
 そういう、心理的あれこれがあったって別に構わないのだが、参考までに西部のHP、「発言者」をのぞいたら、冒頭で、「日本や世界の進むべき方向について確かな指針を与えるべく」このHPを解説した旨、宣言されていた。
 「日本の進むべき方向」というのはわかるが、「世界の進むべき方向に確かな指針を与える」というのはちょっと変だと思う。「世界の有り様」というものは、いわば所与のものであって、その中で、「日本はどの方向に進むべきか」という議論が成り立つ。
 たとえば、日本も、江戸時代以前は、日本が世界そのものに近かったわけで、そういう場合は、「日本の進むべき方向」という問題自体が成り立たない。ただ、歴史が伝える我が国の有り様のみがあって、それを連綿として伝えて行くことが、「日本の進むべき方向」ということになるけれど、もちろん、その間も日本は変化はしてきたわけで、したがって、「世界の進むべき方向」は、基本的には意図的に決めることはできないのだが、その中で、自分たちの進むべき方向は決めることができ、そうやって世界は徐々に変わって行く。これが、「保守の立場」なんじゃなかろうか。

 実際、「世界が進むべき方向」は、つまるところ、世界国家の実現が最終目的にならざるを得ず、それを目指したのが共産主義だったのではないだろうか。あ、そうか。西部はもともと共産主義者として出発したんだっけ。

 西部にひっかかって左翼の小泉、安部嫌いの分析にいたらなかったが、一言で言うと、「田中角栄のほうがまだまし」という気持ちなんだろうが、その「気持ち」で小沢支持に走っちゃう没論理が問題なのだ。おそらく、この没論理は、「おかか一揆」(米騒動)が没論理的行動であったことに端を発しているのだろう。そして、なおかつ、それを「民主主義」と称揚し、無批判に引き継いでしまった。彼らは、いずれ、欲しいものを買ってもらえなかった子供のように、「ひっくひっく……いいもんねー」と泣きながら現状肯定に至ると思われるが、それは、何が「いいもんねー」だかわからないが(自分で書いておいて)、「なにがなんでも」「駄目なものは駄目」(おタカさん)といった、論理軽視がもたらした必然的結果だと私は思う。