パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

写真が伝える真実

2011-07-18 23:58:47 | Weblog
 「なでしこジャパン」の快挙はまことに慶賀すべきことであるけれど、それを被災地の復興にからませる報道には、うんざりし、「関係ないでしょ」と、茶々を入れたくなる。

 被災地の小学生がカメラの前に引っ張りだされて、「あきらめずに頑張れば、きっと復興できるんだと思いました」と言わされているのを見たときには、「うんざり」を通り越え「怒り」を感じた。

 第一には、「言わされている」小学生がかわいそうだったこと。 

 第二に、「なでしこジャパン」は「あきらめずに頑張った」から勝てたわけではないからだ。

 「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」は、野球の野村監督の口癖だが、もちろん、「なでしこジャパン」の「勝ち」は、決して「不思議の勝ち」ではない。

 でもね、でもね、「あきらめずに頑張った」が、勝てなかった可能性も充分にあった。

 もちろん、その時はその時で、また別の「煽り文句」を用意しているのだろうが、そんなことで事態を繕うより、ちゃんと「死体」を撮れよ、と私は言いたい。

 昔々、青函連絡船が沈没して1500人の犠牲者を出した時は、水揚げされたマグロのように浜辺に並べられた「死体の写真」にショックを受けた。

 その少し前には、三原山で有名な伊豆七島の大島に、日本航空の旅客機DC3が墜落し、死体がごろごろ転がっている写真を見た。

 あれは、「見なきゃよかった」類いの写真なのだろうか?

 「真実」の名において、そんなことはないだろう。

 最近では(といっても、もう20年前のことになるが)、御巣鷹山のジャンボ機が墜落した時も、「死体」は写っていなかったが、それなりに真相に近づこうとする雰囲気がうかがえる写真だった。

 しかし、この頃から「死体写真」はマスコミから消え、それと同時に、「○○の悲劇を忘れるな」というキャンペーンが貼られるようになった。

 この、「○○を忘れるな」という言葉を目にするたび、思い出すのがクイーンのフレディの言葉だ。

 フレディは、死ぬ前、「私のことはできるだけ早く、忘れるように」と言ったのだった。

 もちろん、実際にはその言葉と裏腹に、フレディは年を追うごとに有名になっているのだが、「過去のことはできるだけ早く忘れるべし」という言葉は、「真実を言っているなあ」と思うのだ。