パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

蝶と人間(同行者として)

2011-07-17 17:13:37 | Weblog
 評論家の草森紳一氏は、「コンポラ写真」が世間の耳目を集めた60年代後半から、コマーシャル写真を中心に、「写真表現」の最先端を切り開いてきた人だった。

 その草森氏が亡くなる2、3年前、『月光』でインタビューする機会があった。

 その時、草森氏は、「プロの写真家が撮る写真は情報量が少ない」と言った。

 私は一瞬、アレ?と思い、聞き返すと、草森氏は、「情報量の多い写真はスパイの写真ですよ」と呵々大笑したのだった。

 それで、以来、情報量が少ない写真が「いい写真だ」と思ってきたのだったが(我田引水すれば、私の撮る写真が情報量が少ないように思われることも、私が草森氏の言葉を信頼する理由だった)、「スパイの写真云々」という草森氏の「比喩」に納得したわけではなく、「なんでそうなるのか」ということはわからないままだった。

 ごく簡単に言えば、「情報量の多い写真=伝えるべき内容を多く持つ写真」は、その「内容」の方に目が行き、「写真それ自体」がネグレクトされてしまうからだ――。

 と言ってしまうと、いかにも「形式主義」のそしりを免れない。

 「形式主義」こそが真実を語っている、と言い切ることができればいいのだが、それは、ゲーデルの不完全性定理によって、数学者の「夢」であることが暴露されている。

 もっとも、その数学者自身が、自分の夢が「夢」であることに気づいていて、それでもなお、それを「楽園」として築き上げることを、「反形式主義者」(直観主義者と言う)たちに向かって「宣戦布告」しているのだから、何おかいわんやなのだが。

 この数学における「形式主義対直観主義」の対決の潜みに倣うならば、我々(「現代の写真家」、ね)は、どうしたって「直観主義」の立場に立つべきであり、それがポストモダニズムが擁護されるべき理由であるけれど、そのためには、モダニズムをモダニズムとして、きちんと継承していなければならないのだ。

 このような観点から、日本の写真史を振り返ると、案外、しっかりしているように思われ、現代写真のポストモダン的展開に寄与するのではないかと勝手に思っているけれど、このことは、いったんさておく。

 そうこうしているうちに、「情報量が少ない写真がいい写真だ」という、一見奇矯な意見の「真相」に、多少なりとも、少し近づくことが出来た。

 そのきっかけの一つとなったのが、雑誌『あいだ』における金村修の論文であった。

 金村氏は、「風に吹かれて」について、『そこには、語られるべき動機が存在しない。世界の無動機の湧出。写真は世界の残骸に類似する。』と書いている。

 これは、私が思うに、写真機(カメラ)とは、そもそも「見たもの=対象」を記憶させる装置であり、写真を見る人は、それを目の前に現前する印画紙上に、かつてあったものの「痕跡」として受容するわけだが、金村氏曰く、私の写真は、「オリジナルの何かを想起させる断片としての痕跡ではなく、オリジナルとは別の、オリジナルを想起させない痕跡として存在する」と言うのだ。

 それが、「世界の残骸に類似する」のだ。

 ここで、話がいきなり飛んでしまうのだが、日高敏隆という動物学者がいた。

 その日高のエッセイにこんなのがあった。

 ある夏の日の夕方、日課の散歩に出かけると、すぐ脇を一匹の蝶が飛んでいることに気がついた。

 翌日も同様だった。

 もしかしたら、この蝶は同じ蝶かもしれないと思い、観察してみると、果たしてそうであることがわかった。

 人間の日高敏隆と蝶は、同じ道筋を通る、「同行者」だったのだ。

 日高の話はこれだけだが、人間である日高の見ている「世界」は、網膜を解した「像」として日高に認識されているが、複眼で、網膜像をもたない蝶の見ている(?)世界は、蝶によって別様に「認識」されているにちがいない。

 では、日高と蝶が「同行者」とは名ばかりのことで、実際にはまったく異なる「世界」に属していたのか、というと、そうではないだろう。

 日高によると、その蝶は、日高と同様に木陰を選んで飛び、前方からトラックがやってくれば、日高と一緒にそれを避けていた。

 日高と蝶は、明らかに「同行者」として、ある一定時間内に「同じ世界」を共有していたのであり、この「世界」こそ「真のオリジナル」と言うべき物なのだが、それは、我々が、網膜に写った映像として、現に目で見ている物とはちがう。

 しかし、現実問題として、我々人間は、世界を「像」としてしか把握できないし、カメラという装置は、そのことに棹さし、我々の信念――「見ている物が見ている通りに存在する」――を助長するのである。

 だとしたら、我々は、「カメラ」で何が出来るのだろう?

 実のところ、我々人間の目がカメラと酷似していることが、混乱の元であるが、それと同時に、解決へ向けた道を開いてくれるのだ。

 それは、「オリジナルとは別の、オリジナルを想起させない痕跡」として世界を撮ることであり、その結果、「世界の残骸に類似する」世界が現出するのだ。

 換言すれば、人間は、自分が知っていることを知るしかないのだ。
 

カラスの勝手でしょ

2011-07-17 01:09:55 | Weblog
 京王線、桜上水駅から歩いて5分くらい、甲州街道沿いにある、ブロイラーハウス改め「Gallery RAVEN」で、田原喜久江の写真展「計画停電」を見る。

 田原喜久江さんは、金村修氏のフォトゼミの生徒さんだった人で、結構ご年配なのだが、大変にエネルギッシュな人という印象で、撮る写真も、そういう人が撮ったものという、「先入観」で、つい見てしまいがちなのだが、話をすると、それだけではない、重い「課題」を潜ませている写真であった。

 と、これは、もう5、6年前の印象なのだが、今回、新作を見て、改めて、「そういえばそうだった」と思ったのだった。

 というのは、「Gallery RAVEN」のホームページに載っている写真と、写真展のタイトル「計画停電」を併せると、正直言って、若干、「興味本位」というか、いい意味ではなく、ジャーナリスティックに流れていはしまいかと思ったのだったが、実際はそんな危惧はまったく不要だった。

 否、そんな「危惧」は、まさに「上から目線」の典型であって、おそらくは京王線沿線の駅で撮ったであろう、ホームページの写真も、会場に置かれていたチラシに書かれていた以下の文章と併せて読むと、「なるほど」と納得がゆく。

 「3.11以来、それまでに予測の出来ない、言葉には言い表わせないほどの衝撃が走り、飛び散った。欠片は私の一番深いところに刺さり、その欠片は時間の経過には希釈されず、むしろゆっくりと深く本質へと進行していった。ニュースは日を追うごとに鋭さに欠け、過去のことと紛らわそうとするが、それまでの日常生活や、目に見えない生き方の根っこに計画停電の大きなクサビはさらに深く届き、容易くは抜けない。云々」

 たしかに「計画停電=原発事故」は、すべての人の日常生活の根っこに深く届き、すべての人を揺さぶっているのだが、日常生活そのものは、まったく変わらずに、つづいているのだ。

 そして、「写真」は、まさにそういう、「日常」を「日常そのもの」として、金村流に言えば、「必要とされない目撃情報」を写すものなのだ。

 もちろん、作者としては、自分の「もっとも深いところ」からの反応として撮っているのだと思うし、そうでなければならないけれど、世間の誰がそれを知るだろう。

 「RAVEN」からの帰り道、カラスの太々しい顔に、「我関せず」を決め込む世間の顔が映り込んだ。

 ちなみに、「RAVEN」は、ポーの詩「大鴉」からとったんだそうだが、「大きいカラス」の意味。

 なかなかかっこいい、ネーミング。