パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

「敗戦?」それとも「開戦?」

2011-07-01 10:53:59 | Weblog
 五百旗部真復興本部長がNHKのインタビューの最後に、こんなことを言っていた。

 「終戦間もない頃、GHQの一幹部兵が荒れ果てた街角で靴磨きの少年の勤勉さに感動し、懐からパンを出して少年に与えたが、少年は、代金はもらったからとパンの施しを断った。兵は、これはプレゼントだと言うと、少年はお礼を言って、そのパンを紙で包み出した。君が食べないのか? 君はおなかを空かせていそうだが、と言うと、少年は、家で待っている妹のためにもっていくという返事だった。妹は3歳、少年は7歳であった。兵は、日本人の街はすっかり破壊されたが、心は破壊されていない。きっと間もなく、日本は復興するだろうと思った。」

 といったようなことを、そのGHQの一幹部が後に本に書いているのだそうだが、五百旗部真復興本部長は、この話を例に、今回の大震災にあっても日本人の心は破壊されていないから、皆の力を合わせれば、きっと復興は可能だと言うのだ。

 具体的に言うと「増税」だ。

 日本人は、大震災の被災者のためなら「増税」も受け入れてくれる、と五百旗部真復興本部長は言っていた。

 それはそうかもしれない。

 でもね、五百旗部先生。

 被災者のために1万円の増税を受け入れたら、その1万円は、別の分野で倹約して、被災者に対する出費で生じた「穴」を埋めようとするのではないだろうか。

 だとしたら、結局トータルゼロで、依然としてデフレ状態が続くのではないだろうか。

 五百旗部先生は近代日本史の専門家、なかでも太平洋戦争(日米戦争)の有名な研究者だが、そもそも、大震災からの「復興」を、「敗戦からの復興」にたとえるのは正しいのか?

 大震災からの復興は、敗戦からの復興ではなく、むしろ復興を目指す戦いの始まり、すなわち、開戦ではないのかと、私は思うのだが。

 同じことを、私は数日前にも書いたのだが、そのときには、「復興本部長」が「戦史」の専門家で、防衛大学校の校長でもあることは失念していた。

 で、その五百旗部先生に、あらたに問いたい。

 戦争にたとえるなら、「復興」は、敗戦処理ですか? それとも「開戦」ですか?と。

 まあ、カミカゼ特攻隊が、実質的に、敗戦処理部隊だったように、辛い状態におかれると、つい、「敗戦処理」に意志が向かいがちなのが日本人なのだが、私は「開戦」にたとえた方がいいように思うのだ。