パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

告白、二つ

2011-07-11 23:24:23 | Weblog
 チデジチューナーを購入したものの、今使っているテレビがリモコン対応でないので、チューナーが使えなかったと、一週間ほど前、書いたのだったが、実はそれは、チューナー付属のリモコンを、テレビに向けて操作していたからだった。

 そうではなく、チューナーに向けて操作すればよい。

 それだけ。

 あとは、説明書には、「戻るボタンを押しながら、ナショナルの場合はボタン1を押す。ソニーの場合は……」とかなんとか、いろいろ面倒くさいことが書いてあったが、実際にはそんな必要すらなく、あっという間につながってしまった。

 心もち、画面が以前より縦長になっているような気がしないでもないが、画質は相当きれいになっている。

 ところで、なんで「間違い」に気がついたかというと、実は私、以前、つとめていたル・マルスという、フジゼロックスのPR誌「グラフィケーション」をつくっている編集プロダクションにお世話になることになりまして、実質、今日初出社したのだった。

 「グラフィケーション」のことは、写真集「風に吹かれて」がらみで何度か触れているのだが、その後も、写真家、柳本尚規氏の写真集「故郷」に触発されて書いた渾身の論文を持ち込んだりなんかしていたのだが、2週間ほど前に、「手伝ってくれないか」とお声がかかったのだった。

 実は、その直前、ハローワークの紹介で、毎日新聞の集金業務をはじめたばかりだったのだが、集金業務は月末から月初めの10日間にも満たない仕事なので、両方できるのではないかと思ったのだった。

 ところが、その集金業務を一日休んで、編集長に会って話を聞くと、私が考えていたよりも、ずっと「ちゃんとした」仕事であるようなので、「両方やる」なんてことはできない。

 どちらかを選ばなければならない。

 だとしたら、結論は歴然、毎日新聞には、「まことにすみませんが、事情が急変して」と、仕事がいったん終了した時点でお断りをして、今日、改めて初出社ということになったのだが、その前に事務所を訪れた際、ブラウン管テレビが置いてあったので、いらないのだったら、ちょうだい、と話をしたのだった。

 しかし、よく考えたら、重いテレビを運ぶのも面倒だし、それよりも、使い道のなくなったチューナーを買ってもらう方がいいだろうと、都合のいいことを考えたのだったが、マルスのテレビは、私が持っているテレビよりさらに古そうだった。

 いずれにせよ、チューナーにつないで、使えるかどうか、試してみると、果たして、反応しない。

 しかし、私のテレビと違い、ちゃんとリモコンがついている。

 あれ、おかしいなと思っていると、編集部のK氏が、「(チューナーの)リモコンをチューナーに向ければいいのではないですか」とアドバイスしてくれたのだった。

 オーマイガー!

 そうだよ、きっとそうだ、というわけで、実際にそういうことだったのだ。

 それにしても、これで「元工学部」だからな~、とまたしても自己嫌悪に襲われたのだったが、「だから、工学部を中退したんじゃないか」と弁解したのだった。

 半世紀以上、このことの繰り返し。

 突如の告白だが、思うに私は、たぶん4歳くらいから、一種の軽い、いや、もしかしたら結構重い自閉症だったのかもしれない。

 と、今日起きた出来事と、それによってつなげることのできた地デジテレビが伝える「避難施設で行き場を失った自閉症児」の映像を見ながら、思ったのだった。

 私は、はっきり覚えているのだが、4歳になる少し前、両親から「幼稚園に行くか?」と聞かれ、「行きたくない」と答えたのだったが、なんで幼稚園に行きたくなかったのかというと、見知らぬ子供たちと親しくなれる自信がなかったからだった。 

 そして、テレビカメラの前ではいかにも快活に振る舞いながら、実際には周囲になじめず、一人でいるときには壁に頭を打ちつけたりしているという自閉症児の姿を見ながら、「(幼稚園で友達をつくる自信のなかった)私と同じだ!」と思ったのだった。

 でも、私の場合と違い、今は、それを「配慮」してもらえる。

 とはいえ、「配慮」すれば自閉症が治るかというと、そういう問題ではない。

 「自閉症」そのものは、「性格」のようなもので、決して治らないが、そのことを周囲が「配慮」し、なおかつ自分も自覚することで、自閉症的状態に耐えることがより容易く出来るようになる、そのことが大事なのだ(と思う)。

 もっとも、「性格」というと、「変えろ」と迫られかねない。

 それより、「病い」と言い切った方が、いい。

 私の撮る写真について、「見ていくほどに胸が痛くなるような喪失感が伝わる」(公明新聞、7月4日号、光田由里)と、病的状態を肯定するかのような文章が書かれたりしているわけだが、それも――自分で言うのも変な話だが――半世紀近い時間を経て現代社会が獲得した、ある種の「配慮」なのかもしれない。