活眼明察日記

物事の道理や本質を見分け、真相を明らかにする眼力を養いたい

「世も末」 中学道徳教科書に曽野綾子が登場するんだって

2014-02-17 18:50:23 | Weblog
何だか固苦しくて、いやな世の中がやっくる、そんな予感がして仕方ない。右翼安倍晋三首相が「戦争できる国」にするため、国民の締め付けに躍起になっていることが手に取るようにわかる、きょうこのごろである。

文部科学省が14日に発表した中学道徳教科書に、「誠実」を教える題材に作家の曽野綾子を登場させるというから、「世も末だ」という印象を強くした。

道徳教科書は中学生だけに限らず、小学校低・中・高学年にも配られ、偉人伝や格言が載せられるという。こんなの勉強する必要ないだろう、というのが率直な考えである。

右翼安倍晋三が進める愛国心教育の一環らしいが、以前の「心のノート」に比べ、ページ数も1.5倍に増えている。道徳の主目的が、画一化された人間の養成にあることに、読者はすでにお気付きのことだろう。同時に、道徳が「戦争への道」につながっていることに注意を払いたい。

さて肝心の曽野綾子のことであるが、明治時代に逆戻りしたような、「前近代的感覚」の持ち主であることは周知の通りである。特に女性には尊厳を傷つけ、自助努力で物事を解決するよう、求めていることで有名である。

曽野の主張は生活上の問題には公助を求めるなということである。広がる女性の貧困に目を向けていないことがよくわかる。これは安倍政権と同じスタンスである。

ところで中学道徳に、何故、曽野綾子のような人物が登場するのだろうか。それは戦争できる国にすることを念願とする、安倍晋三は格差を今以上に広げ、「政府広告塔」として、曽野を教科書に登場させることで国民の「ガス抜き」に利用したい腹積もりだからである。

なりふり構わず、「有事体制」に固めたい安倍右翼政権。曽野綾子のように政権におもねる人物が、今後、次々と生産されてくることに警戒を怠らないようにするしかない。


1 Comments

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ある神話の背景の嘘と誠実 (和田)
2014-04-18 14:52:18
私の文科省への投稿 
文部科学省が道徳に関する新教材「私たちの道徳」を公表し、その中には曽野綾子の「誠実」に関する記述があると報道された。道徳は正式教科ではないが、文部科学省が作成する教材はその他の科目ではみあたらず、事実上国定教科書に近い存在である。曽野綾子の著作「ある神話の背景」には、明白な嘘が最低二つある。一つは「第34回司法制度改革審議会議事録」に記載された審議会委員、曽野綾子の『本土では赤松隊員に個別に会いました。・・・・グループで会うと口裏を合わせるでしょうが、個別なら逆に当時の赤松氏を非難する発言が出やすいだろうと思ってそのようにしました。』という発言。私が2007/12/2に再発見(再発見の意味はコロンブスのアメリカ大陸再発見に同じ)したところによれば、赤松隊長自ら雑誌1971年6月号「青い海」に寄稿した複数の赤松隊と曽野綾子の写真と説明から上記の説明が嘘であることは明白です。山崎行太郎氏の次の記事
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071226/1198608782の元ネタは私が提供したものです。また「ある神話の背景」には赤松隊の泛水作業について「それに加えて、潮が引き始めた。持ち運びの距離もそれにつれて長くなった。」と書かれている。複数の潮位ソフトから1945/3/26午前6時頃、満潮となったことが明白だが前日の23時頃から始められた泛水途中に潮位が干潮に向かったと天に唾する嘘を語っている。この事実は、気象庁勤務の伊藤秀美氏の単行本「検証 『ある神話の背景』」でも確認している。 政府の審議会で明白な嘘を語ったということは、政府・国会・国民を愚弄したことにならないか。嘘にはたとえば、死にそうな相手を気遣って『大丈夫』と語る思いやりの嘘もあるとのことだが、曽野綾子の嘘は未来の国民に自発的な集団自決を促す狙いがあり、歴史事実と人間の命を卑しめる嘘である。 私は、誠実と嘘とは対極にあるものと考えているが、文部科学省はそうは考えないのでしょうか。私は曽野綾子の人格に問題があり、道徳の教材に曽野の誠実に関連する記述を掲載することは人間をおとしめる行為以外の何者でもないと思います。この事実はマスコミその他に流布するつもりです。
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