Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

「談話」 VS 「お言葉」

2015-08-06 11:24:03 | 憲法・非戦・平和

昨日は、先週に続いて講義があり受講に行ってきましたが、異様に暑く寒冷地仕様の身体には応えました。

また、昼食の「帯広豚丼」がいまいちで残飯と化しましたが、書店で「オッ!」と言える一冊をゲット。

 


アヘ首相は、8/10(または8/14)に個人的なまたは閣議決定した「70年談話」を発表すると報じられています。
天皇は、毎年8月15日の全国戦没者追悼式において「お言葉」(天皇の特別な「戦後70年のお言葉」が発表されるとの報道あり)を述べますが、アヘ首相の「70年談話」は格下げされ否定的な評価がなされると考えます。

一層の内閣支持率の低下が期待できます。

旧憲法の国体(万世一系の天皇君臨シ統治権ヲ総攬シ給ウコト 1925.5.31大審院判決)における「万世一系の天皇」と現憲法の「象徴天皇」における地位は「完全に(ほとんど)変革」したと考えます。ただ、市井人の感情において「精神的(または情緒的)に連続性」があると考えます。

天皇家(天皇、皇后、皇太子)は、これまではひと言二言「憲法、平和、民主主義」に触れる程度でしたが、第二次アヘ政権発足後はかなり踏み込んで具体的な護憲発言をするようになり、天皇家のアヘ政権の右傾化への危機感がリアルです。

天皇家は、憲法第九十九条(天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。)を具現化することにより、市井人が考えるところの国体(国家体制)のあるべき姿(展望)を市井人の一人として化そうとしているのかもれません。


狭小菜園で収穫

 

「戦争法案」強行突破のアヘ首相を援護する狙いで、お友達が首相の心中を忖度して発言等が続いていますが、すべて「トンデモ系」で、結果的に首相の足を引っ張っています。

田村重信自民党政務調査会調査役は、ツイッターで「安保法案に反対する大学生グループ「SEALDs」について〈民青 過激派 在日 チンピラの連合軍〉」の旨を発信。(7/22Twitter)

礒崎総理補佐官(大分県選出)は、講演会で「法的安定性は関係ない。時代が変わったのだから政府の(憲法)解釈は必要に応じて変わる」旨を発言。(7/26大分市)

武藤貴也衆院議員(滋賀4区)は、ツイッターで「SEALDsという学生集団の主張は『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思う。」旨を発信。(7/30Twitter)

やはり極めつけは、中谷防衛大臣(高知県1区)の発言で、「現在の憲法をいかにこの法案に適用させていけば良いのかという議論を踏まえて、閣議決定をおこなった」旨を答弁。(6/5衆議院特別委員会)

「戦争法案」は、「憲法違反」、「立法事実(法案が必要な根拠)がない」等で、ヨレヨレです。

単なる印象ですが、礒崎総理補佐官と武藤貴也衆院議員、北岡伸一と岡本行夫の目付きが似ていると思います。




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8 コメント

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談話VSお言葉 (天の邪鬼)
2015-09-05 14:18:00
明治以降、この国を支配していた基本原理いわゆる国体(統治権者、神権者としての天皇)は1945年の敗戦を契機として変革され、天皇の地位は「象徴」とされたとする貴台の意見に賛成です。また国体が変革されたからといっても市井人の感情から情緒的なものまでが消えたわけではないとの認識にも同感です。

ところで、新憲法の天皇は日本国民の統合の象徴という表現が私にはピンときません。例えば富士山や桜が日本を連想させる山であり花であるとの意味で象徴という言葉を使うのであればすっきりしますが、天皇という人間が国民統合の象徴というのは通りがわるいように感じる。しかし、それはとにかく象徴というのは要するに「おかざり」なのだからなにも難しく考える必要はないと言われるかも知れませんが、本当にそれでいいのだろうか。象徴なる言葉には天皇に政治的権力は一切ない が社会的、世俗的な権力は依然として残す余地を与えたのではないか。このあたりが貴台の市井人の感情論に一脈通じるところかとおもいます。
昭和天皇が重体となり、死去(崩御?)まで更にその後もしばらくこの国は自粛ムードに包まれていました。私が覚えているのは井上陽水を使ったくう、ねる、あそぶ、みなさんおげんきですかのセリフのTVコマーシャルです。天皇が死去してから画像からこのセリフが消されて放映されていました。また、病気回復のための記帳、お祭りの中止などがみられました。自粛は政府が言い出したのでもないし、誰かが言い出したのでもない。つまるところ貴台の感情論や象徴のもつ複雑さ曖昧さということを考えてみることが必要と思う。


全国戦没者追悼式での「お言葉」の内容について私には異論は全くないということを先ずお断りしておきます。
このお言葉について半藤一利は「戦後七十年間平和を守るため、必死に努力してきたすべての日本人へ向けた言葉と読むべきだろう。今なら、安全保障法案に反対して声を上げるなど、草の根の人たちも含むと考えられる。政治的発言が許されない象徴天皇という立場で、ぎりぎりの内容に踏み込んだメッセージ」と述べている。
ぎりぎりセーフということだが、しかしぎりぎりアウトと見ることもあり得るのではないか という気がする。つまり、象徴天皇(制)は複雑、曖昧です。勿論、皇室に対する好感度は高いし大衆天皇制というイメージも強いけれど、将来にわたってまで天皇を政治的に利用しようとの目論見が100%ないと言い切れないでしょう。私の言いたいのは(乱暴で俗な表現ですが)「少しでも臭いもの、あやしいものは元から断たなきゃダメ」ということになります。そして、このような考えは天の邪鬼でしょうか。


田村某、礒崎某、武藤某ついで百田某(作家)、桜井よしこ(雑魚評論家)等々をはじめとしてアぺの腰ぎんちゃく共は大勢生きている。かれらにいちいち批判はしません。その理由は馬鹿らしいからに過ぎないからで他意はない。
漱石はこんなことを書いています。
「馬鹿は百人寄っても馬鹿なり、味方が大勢なる故、己の方が知恵ありと思うは、了見違いなり、牛は牛連れ、馬は馬連れと申す、味方の多きは、ときとして其馬鹿なるを証明しつつあることあり、此程片腹痛きことなし」
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生き神様 (晴走雨読)
2015-09-08 20:35:34
 占領軍が予めこの国の文化を分析し、統治のためには天皇制を残した方がいいという判断をしたのだろうと思う。

 もし戦犯として天皇を裁いていたらどういう情況になっていただろうか。

 それほどに、この国において天皇制の影響は想像以上に根深いものがあると思う。

 しかし、天皇家の行事からもわかるが、本質的には天皇は稲作文化を背景に持つ生き神様であることから、水田農業の衰退、コメの消費量の減少と歩みを同じくして、このままではいずれ衰退し消滅に向うと考える。

 僕も、天の邪鬼さんが言われるように、天皇の政治的発言は内容からでは無くフライングだと思う。

 今の天皇は、平和主義的な発言をしているが、次の方、その後の方が、どのようなお考えかが伺え知れないので。



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王権の権威 (管理人)
2015-09-16 20:19:16
天の邪鬼 様
晴走雨読 様

コメントありがとうございます。
お礼が大変遅れて申し訳ありません。

天皇は祭祀の王でしたが、為政者はその権威を背景に統治を行い、結果的に王権の権威の地位に転化したと考えます。

天皇は「国民の安寧」、「五穀豊穣」を祈り続ける祭司王と言われますが、為政者がその権威に基づき統治し、「国民の安寧」、「五穀豊穣」を祈り続けることは、天皇(家)、為政者の安泰をもたらすからであり(年貢を生み出す百姓、小百姓、隷属的な農民(耕作者)が、村落、領地から逃亡(はしり百姓,走りもの)させないためにも「五穀豊穣」が不可欠)、年貢を生み出す耕作者の生活そのものは二の次の事であったと考えます。

また、古来より市井人にとって「天皇(制)」は無縁だったのではと考えます。

「」と称された人々に対して、排他的な業務を生業とする特定職能民や流浪する芸能民にある種の畏れの忌避がありましたが、様々な要因等により長い年月のうち卑賤へと変貌しました。

「」(仏教では僧侶以外の人々)の言われは、平安時代に官僚が反逆罪で官位・姓を剥奪され、天皇が「」の「姓」を与えた例があり、卑賤視された「」や市井人とは無縁の限られた為政者たちの世界に「天皇(制)」はあり続けたと考えます。

『市井人の感情において「精神的(または情緒的)に連続性」があると考えます。』とメモしましたが、明治政府による「国家神道」とともに、瑞穂の祭神としてのプロパガンダの影響によるもので、「祭祀の王」は擬制そのものと考えます。


人類は、約7万年前にアフリカ大陸の大地溝帯より他の大陸に向かって出発しました。

その子孫が私たちであり、言語、風習、信仰等は定住した風土等により変化し続けただけのことであり(例えば、日本語の母音は8音から5音に)、その同じ子孫がある家系の限られた人を「特別(区別)」として奉ること自体、理解することができません。

ですから、日本国憲法第1条は、単純に肯首することはできません。

その反面、立憲君主制は、共和制とともに国家体制(政治体制)の「人類の智恵」の一つと考えています。

天皇(制)について語るにはまだ内で整理されておらず、当ブログにおいて「天皇(制)」に触れる場合には「是非等」を留保した書き方を続けています、今回も。


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お礼のことば (天の邪鬼)
2015-09-21 00:07:04
コメントは今の私の知識、知力の域をしばしば超えていましたが、おおいに啓蒙されさらに考える契機となったように感じています。
お陰様でB層の人間(貴ブログ、これはクーデターである)にならずに済みそうです。

レッドリバー様、晴走雨読様に感謝申し上げます。
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憲法の瑕疵 (管理人)
2015-09-23 18:27:28
天の邪鬼様へ
わざわざコメント有難うございます。

天の邪鬼様も同じように考えられる国民の内にある天皇(制)の情緒面は、晴走雨読様も指摘されるように、大変根深いと考えます。

ただ、自分自身「天皇(制)」そのものがよく理解できていません。

魏志倭人伝は卑弥呼を「鬼道に事え」と述べており、「鬼道」は道教からは道教の亜流(シャーマン性、土俗的)と捉えられています。

また、天皇は元旦早朝の「四方拝」において北辰(北極星)に拝礼しますが、道教は世界の中心は北辰(北極星)であり最高神「天皇大帝」(「天皇」の言われ、と。)と信仰されていました。

キリスト教、イスラム教、仏教等では始祖神が定まっていますが、記・紀、先代旧事本紀ではそれぞれ異なる始祖神となっています。

多くの神社では天照大神が祀られていますが、道教狂いといわれる持統天皇(女帝)の業績の反映とも言われ、太陽神は女神になったのでは(対す月読命の性別は不明ですが多分男神?)と考えます。

「神道」と「道教」とは親和性が高いですし、「神道」には経典、聖典等はなく中心がない(空っぽ)と言われますが、万物に精霊が宿るアニミズムと渡来人の宗教観(主に道教)が融合し、「神道」として祭祀様式が整えられましたがあくまでもヤマト朝廷が国家を統一する手段のひとつだったと考えます。

ですから、当初天皇は祭祀の王であり、やがて取り巻き官吏の権威のバックボーンに転化したのであって、庶民にとって雲上のことであったのでは考えます。

日本国憲法第1条について曖昧な書き方をしましたが、日本国憲法の瑕疵、キズであると考えます。


※誤謬があり差し替えました。(2015.09.23
18:30)




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天皇(制) (天邪鬼)
2016-01-01 12:43:11
天皇に関して2冊読んだ。ただし、粗雑な読みです。 ①原武史 「昭和天皇実録を読む」 (岩波新書) ②山本七平 「昭和天皇の研究」(祥伝社新書)。
①は斜め読みのため印象に残ったところについて若干、単に引用に留めます。但し、端折った引用です。

(ア) そもそも、客観的な歴史叙述というのはあり得ません。天皇の事績を顕彰し、後世に伝えるという目的と一致しない資料は採用されにくいという問題が出てきます。中でも最大の問題は、天皇には戦争責任がないというスタンスで一貫させようとしていることです。「実録」に依拠する限り、昭和天皇は退位について考えたことがなかったことになるのです。
(イ) 安倍談話と天皇のお言葉に関して~もし、おまえ(原のこと)の考えはどちらに近いかと問われれば、天皇のほうだと答えるでしょう。しかし、、天皇の政治的権限をいっさい否定したはずの戦後憲法体制のもとで、天皇の発言が首相の発言と比較して論じられること自体、奇妙なことといわなければなりません。安倍政権の進める安保法制は憲法違反だと考える人々が、自民党一党優位の政党政治に失望し、自分たちの思いを代弁してくれる天皇の「お言葉」に期待しているとすれば、それこそ憲法違反であり、政党政治を否定して天皇と臣民との一体化を主張した昭和初期の超国家主義に類似する危険すらあることに気づかなければならないからです。
(ウ)「実録」は、単なる過去の記録ではありません。その記述は、バイアスを含みながら、戦前や戦中ばかりか戦後にあっても天皇がいかに政治的であったかを知るうえで重要な材料を提供しています。
私はこの本ではじめて原を知りましたが、少なからず啓蒙されたし、自分の従前からのおもいと同感する点もあって他の著も当たってみたい。

②の山本の著について
晴走雨読さんとレッドリバーさんの説くところを要約すれば、「天皇(制)の淵源は稲作文化をを背景に持った生き神様であり、五穀豊穣を祈る祭祀の長である。この長というプライド、自覚は古代から現代まで歴代の天皇に連綿として受け継がれてきた」ということになろうかと思います。
時代を経て、時代が大きく変わった明治期に質的(構造的)変容がみられます。即ち、それは明治の為政者たちは、この国の近代化(西欧化)という目的を強力に推し進めるにあたって国家の中心にもともとはさほど政治権力を持っていなかった祭祀の長たる天皇を据えた。
別の言い方をすると、国家の頂点に天皇(制)という宗教を巧みに取り込み、近代化の設計を図り、運営しようとしたのでしょう。
このことを裏打ちするのを明治憲法の1条と3条にあると考えたとき、ふと、高校時の政治・経済の授業を思い出しました。教師は次のように説明していたと記憶している。「1条と3条の関係はちぐはぐである。天皇は国を治める最高権力者である。(1条) そのことから最終的な責任者でもある。然るにその同じ天皇に責任を問うことはできない。何故ならば天皇は神聖な存在だから。(3条) こんな虫のいい話はない」と。今考えてもその通りだと思う。しかし、これ程に矛盾した論理に当時の多くの日本人は疑いを知らず頭から信じ込んでいて、これが1945年(敗戦)まで続いたわけです。この不思議さの底には何があるのか。それは天皇(制)という宗教の持つパワーがあるからでしょう。およそ、こんなイメージを持っていたので山本が天皇はあくまで憲法絶対の立憲君主である(天皇の自己規定)との捉え方に私は賛同できない。確かに明治憲法には立憲君主と読める4条の規定や天皇自ら憲法の遵守に努めようとしていたことはある程度認めるけれど、そうだからといって立憲君主とするのは割り切りが過ぎると思う。
立憲君主としてもその中身(本質)は憲法を出しとして利用した、或いは仲介させた晴走雨読さんがいうところの生き神様(現人神)であって、つまりその生き神様という専制君主だと私は考えています。

*天皇制は水田農業の衰退に伴っていずれ消滅に向かうだろうとの晴走雨読さんの説およびレッドリバーさんの現憲法1条を瑕疵とみる議論について少しばかり考えた点もありますが、纏まりがつかないので他日にまかせることとします。
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生き神様 (晴走雨読)
2016-01-21 21:23:43
Red氏の「談話」VS[お言葉」、コメント、天の邪鬼氏のコメントに触発されました。

こちら愛犬日記リンクしている「晴走雨読」(2016.1.21)に少し整理してみましたので、是非お読みいただきたいと思っています。
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無  辜 (管理人)
2016-02-15 10:18:08
天の邪鬼様へ
晴走雨読様へ

お礼のコメントが遅れて申し訳ありません。

義母の死亡により様々な手続き、各地市役所への除籍謄本の請求など、以前のようにまとまった時間が取れなく、継ぎ接ぎだらけの合間に雑読、脳内遊離(?)をしている有様です。

義母の結婚前後の除籍謄本に、彼女(娘)も定かでなかった波乱万丈の出来事が記載されており、この島国の敗戦直後の混乱が記載されているとも言えます。


無  辜

天皇は、1月26日から太平洋戦争の激戦地であったフィリピン(戦死者数 邦人52万人、米人1万5千人、比人110万人)に慰霊の旅に行きました。

羽田空港では安倍首相らを前に、いつもの「思い」の「お言葉」を述べましたが、安倍首相にとっては雑音にしか過ぎなかったでしょう。

昭和天皇が「決断したこと」、「決断できなかったこと」の結果に対して、責任を果たす旅に見えます。

太平洋戦争で、天皇、軍部、翼賛の輩のしでかした事実(暴力構造)の直接的な責任は、戦後生まれの私たちにはありません。

その暴力構造の結果は、直接、間接を問わず、また利益、不利益に係わらず現在の社会(生活)の基底にありますから、奴等のしでかした事を認識し続ける責任は負わなければなりません。

いわゆる「事後の共犯」の関係です、虐殺、死の行進、慰安婦等の暴力構造の結果を否定、歪曲等をすることは、直接的な責任に転化すると考えます。

戦争法案が審議されている最中に、安倍総理は「南沙諸島は念頭に無い。」と言い切っていましたが、いつのまにか南沙諸島で危機を煽る始末で、皮肉にも天皇の比訪問は日米韓と東南アジア諸国とによる中共包囲網の一翼に質することから、安倍総理はほくそ笑むでいたのでは。

「お言葉」で語られた「無辜」は、言葉として無力であったのでは。


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