今朝、商い仲間から吉本隆明氏の逝去を聞き、ネットの各紙記事に目を通しました。
日経がまともに読めましたので、予定稿があったのかもしれません。
黒春の頃、吉本隆明全著作集(勁草書房)を読み考えた時期があります。
現象学、構造主義、ポストモダンなどの現代哲学は、自己同一性そのものは示されていませんが、個の自己同一性に接近する思惟方法が提示されていると考えます。
同氏は、約めて書けば「自己問答」と度々発語しており、考えられた質(考える事柄等)より考える質を投げかけていると考えます。
以前取り上げた同氏の「情況への発言」は、老母と過ごす合間に少しずつ読み続けています。(新書など簡単に読めてしまう類に時間を費やしている為?)
各編に取り上げられた事柄と同氏の言説、そしてその言説の考え方を抽出して全体像を確認する心算で、ゆったり読んでいます。
同氏に対するスタンスは、埴谷雄高氏は一度お会いして話したいことがありましたが(吉祥寺に行く機会がありませんでした。)、同氏にはそのような思いは皆無でした。
「埴谷雄高・吉本隆明の世界」より(朝日出版社)
これから同氏の様々な文章があふれ出しますが、それらを漁るより一遍の詩を再読しようと考えています。
ご冥福をお祈りします。
日経がまともに読めましたので、予定稿があったのかもしれません。
黒春の頃、吉本隆明全著作集(勁草書房)を読み考えた時期があります。
現象学、構造主義、ポストモダンなどの現代哲学は、自己同一性そのものは示されていませんが、個の自己同一性に接近する思惟方法が提示されていると考えます。
同氏は、約めて書けば「自己問答」と度々発語しており、考えられた質(考える事柄等)より考える質を投げかけていると考えます。
以前取り上げた同氏の「情況への発言」は、老母と過ごす合間に少しずつ読み続けています。(新書など簡単に読めてしまう類に時間を費やしている為?)
各編に取り上げられた事柄と同氏の言説、そしてその言説の考え方を抽出して全体像を確認する心算で、ゆったり読んでいます。
同氏に対するスタンスは、埴谷雄高氏は一度お会いして話したいことがありましたが(吉祥寺に行く機会がありませんでした。)、同氏にはそのような思いは皆無でした。
「埴谷雄高・吉本隆明の世界」より(朝日出版社)
これから同氏の様々な文章があふれ出しますが、それらを漁るより一遍の詩を再読しようと考えています。
ご冥福をお祈りします。