Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

牧歌から その1

2008-06-04 21:02:50 | 極私的黒春グラフティ
牧歌から二条市場へ

「牧歌」は、札幌駅南口の植栽の前にありました。
植栽の緑とブロンズの色が溶け合っており、直ぐに気付きませんでした。
レリーフのある壁面が背後にあったと思いますが・・・
この群像の前に、多くの人がおり(地元TV局の中継)正面から撮れませんでした。


「牧歌」本郷新

昔日、拓銀本店に私事があり店内に入ったことがあります。
天井の高さが印象に残っています。
さすが「拓殖」と思ったものです。


北海道拓殖銀行本店跡 工事中

家電、音響製品と電子パーツが置いてありました。
よく覗いたものです。


大阪屋

JRの上りと下りを意識しないで乗車したら、反対方向の電車でした。
乗換えが面倒なので、札幌駅に行ってしまいました。
いかにボッーとしていたか、です。


JAZZ喫茶ジャマイカ

2007-10-08 07:26:18 | 極私的黒春グラフティ
札幌駅からJazz喫茶へ その4

狸小路、その周辺には、色々な事柄があります。
中川ライター店、成人映画のみゆき座、同伴喫茶の「名も無い喫茶店」、ストリップ小屋、ラーメン店のソーラン店(3杯食すと無料、友人が挑戦し失敗しました)、深夜映画のニコー劇場(出てきたところ、警ら中の警官と出くわし逃げました。)、ふる狸(友人がバイトしており、ただ酒を馳走になったものです。)等。



私の眼鏡を調製してくれる富士メガネ本店(当時はメガネの富士)です。
中学2年からお世話になっています。



パーツ屋です。パーツしかありません。
当時の店名は「札幌トランジスター」だったと思います。
時計台周辺に、パーツと家電製品を置いている大阪屋があり、そこにも顔を出していました。



Jazz喫茶は、ウエシマビル6階の「六本木」に通っていました。
JAMAICAは、東映パレス地下(成人映画の向かい)にあったものが、狸小路5丁目美松ビル4階に引っ越してきたものです。

店内写真は、お客がいるため遠慮しました。
函館市本町のBOPと同じJBLのパラゴンです。


大通公園

2007-10-07 07:29:14 | 極私的黒春グラフティ
札幌駅からJazz喫茶へ その3

やわらかな日差しと乾いた大気、初秋は北の街のご馳走に溢れています。


大通り公園です。
大通公園は、友人と微かな過去と奇妙な不安に見舞われた会話をしながら、何度、夜更かし、そして夜を明かしたことか ・ ・ ・


本郷新の作品です。


とうきび売りのワゴンです。
食べた記憶がありません。


日の出ビル地下の立ち食い蕎麦屋(そば ひので)です。
黒春の頃は、かけ蕎麦でした。天麩羅を乗せるかどうか勇気が必要でした。
彼女も金融機関の用事が終わると、寄り道で、ここで小腹を満たしていたそうです。


日の出ビル地下1・2階のリーブルなにわです。駅前通りのリーブルなにわは、閉店しましたが、ここはがんばっています。
出版した豆本の注文があった本屋です。
店長の趣味で店頭に並べてもらえました。
その店長も古本屋をやっているとの噂があります。

残念ながらお目当ての本はありませんでした。


北地蔵

2007-10-05 06:02:06 | 極私的黒春グラフティ
札幌駅からJazz喫茶へ その2

駅前通り(四番街)は、地下通路工事で雑然としています。
工事用防護柵に「テロ対策警戒実施中 大成建設」の看板が括り付けられていました。
北海道拓殖銀行は跡形もなく更地に、4軒あったパチンコ屋(若草2軒、オメガ、不二)は一軒もありません。
これらにコメントはあるのですが、この書き込みは「黒春グラフティ」のため別の機会にしたいと考えます。


雪印パーラーは、敷居が高く入った記憶がありません。
パーラー石田屋は、定期試験が終わるとグループで食事に行ったものです。
後で知ったのですが、1966年11月16日に札幌べ平連第-回会合が行われた、札幌べ平連発祥の店です。
そのパーラー石田屋を探したのですが、見つかりませんでした。
友人の異母姉が大通り公園に面してある森永パーラーに勤めており、空腹になるとただ飯食いに行ったものです。

当時の校則では、親と一緒に行って良い食堂は、デパートとパーラーと定められていましたが、あって無いようなものでした。
喫茶店、スナック、居酒屋などフリーに出入りしていました。



北地蔵です。
店内は、黒と銀のアールデコで好きな店のひとつです。
姉妹店に大谷会館前のElevenがあったのですが、脱税か何かで閉店してしまいました。
北地蔵では、定期的に「熱月」の会合をしているとのことで、一度その日に行ったのですが、一般客しか居なく、ちょっとがっかりした記憶があります。

その「熱月」もいつのまにか廃刊となりました。



札幌のシンボルのひとつである時計台です。
国際反戦ディーで、市内が騒然となるからと高校の授業が午前中で打ち切りとなりました。
当然、市内に繰り出しましたが、時計台のところで現国の教師(早稲田新左翼卒)に見つかり逃げ出した場所です。

幸いなことに翌日のお咎めはありませんでした。


アテネ書房

2007-10-03 20:29:58 | 極私的黒春グラフティ
札幌駅からJazz喫茶へ その1

当ブログとリンク(ブックマーク)しています晴走雨読氏のブログを読みますと、黒春を過ごした「ふるさと」について折々にアップされています。

「 酔生夢死 その20」(2006.12.7)に書きましたように、親の都合、私自身の都合により20代前半までに20回近い引越しをしています。
晴走雨読氏の「ふるさと」は、氏のひとつの軸になっていることが、大変羨ましく思っていました。

実家があり、黒春の一時を過ごした札幌市の風景の切り取りを、折をみてアップしたいと思います。

黒春の時期は、国道12号と国道36号が主となります。
札幌駅以北は、1ヶ月ちょっとのアパート暮らしと、彼女のアパートに転がり込んでいた位です。


札幌駅前に電車が走っていたとは、思い起こすことが困難です。



赤レンガの観光客がまばらです。
裏(西側)に植物園があります。高校性の時に「シヨウジョバウ」を採取に行きました。(カットはありません。)


「リーブルなにわ」が閉店し、アテネ書房ががんばっています。セクトの機関紙が置かれており、当時明らかに「私服」がたむろしていました。
おババは元気なのかな、この日は店内に不在でした。