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Creator's Blog,record of the Designer's thinking

毎月、おおよそドローイング&小説(上旬)、フィールド映像(中旬)、エッセイ(下旬)の3部構成で描き、撮り、書いてます。

EOSな日154. 旅の余韻

2018年07月17日 | Kyoto city

 旅の余韻に2つある。

 1つは、規則正しい日常生活のなかですみやかにもとに戻る場合。ああっ。もう少し旅の余韻に浸りたかったと思うまもなく、旅から帰ると近所のスーパーへ買い出しに出かけたりしているうちに旅は記憶のなかへしまい込まれる。

 もう一つは、ダラダラと旅の余韻が残っている場合である。体は眠く動かないし、意識が旅のなかをまださまよっている場合とである。

 今回は後者の場合だ。それは幸せな方ではあるが、Macが動かないこともあり日常が始まらないし、まして連休続きだったからなおさらである。

 そんなこともあって隣で祇園祭などをしていても、いまだに沖縄の空気を引きずっている。

 それもようやく山鉾の巡行が今日で終わり少し街も静かになるとおもいきや、1週間後に後祭がある。天気図では日本列島の上に高気圧が停滞しているため、京都市内は毎日38度を超える暑さであり、等圧線から外れている沖縄の最高気温30度がうらやましい。

 過去にその山鉾巡行を撮影するぞと意気込み、御池通の真ん中で脚立に乗り炎天下の中を2時間撮影したことがある。私の経験では、ここはベストアングルの一つ。今は人が多くお巡りさんがうるさいから無理。そこで2時間炎天下にさらされたら体の水分が蒸発しきって、倒れる手前でかき氷屋に飛び込んだ。

 まあ一応地元のお祭りだから、そんな画像に差し替えよう。辻回しをしているのは鳥鉾、引き手の傘が朱色で鶏の鶏冠かな(笑)、後ろは菊水鉾。

 おいおい!、そこの腕章つけたカメラマン!!、邪魔だ!!!。そんなところから余所者引き手アルバイターのアップなんかとったっておもろうないやろ。引き手はみんなアルバイターと職人、街の人間は袴姿で列の先頭を歩いている。

 それにしてもカメラマンて、なんでも特攻隊みたいに突っ込む。そんな近接アングルで超広角レンズで撮っても使える写真にはならんぜ。なんか素人くさい連中達だな。腕章はしかるべき理由があれば私でも手に入るが、人前で特別なことをしているぞと格好をつけたいんでしょうね。お祭りってそんな珍奇なのがしゃしゃり出てくるのよ。

 そして、このブログをアップさせる午前8時には四条通に山鉾が整列し、午前9時に巡航が始まる。御池通で長刀鉾のお稚児さんが鉾を下りるまでは宗教行事、その後はお遊びとなる。それは囃子のテンポが違うのである。従って画像は、お遊びの状態の山鉾というわけだ。

 さて昨日は朝、祝日だから沖縄に送る郵便物を中央郵便局へ持参するという雑事で、往復したらもうそれだけで汗だくになり即シャワーで午睡する始末。そんなわけで心は、京都よりも涼しい沖縄のままです。

 昨日も京都市都心の最高気温39度、那覇市31度・・・。

 

2005年7月17日、京都市御池通

EOS Kiss Digital,F3.5-5.6/EF100-400mmL

ISO400,焦点距離105mm,露出補正-1/3,f/5.6,1/1250

 

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番外編371. 沖縄時間

2018年07月15日 | Kyoto city

 沖縄の街の徘徊も昼間は2時間が限度だった。それもカフェーで休みつつ。それにしてはカフェーが少なすぎる。ドトールはなくなってしまったし、国際通りでもマクドナルドにスタバにイタリアントマトと数えるほどしかない。この暑い中をみんなどうしているんだろうか。

 今日は、そんな沖縄の風土に飲み込まれたようだ。京都にいても日常の意識にもどらない。なんか変だ。Mac proの画像が映らないというモニタートラブルに見舞われているためもあって普段の仕事に戻らない。そんな沖縄の暑い風土に飲み込まれてもとの生活に戻るのに時間がかかるのを風土病ならぬ風土障害とでも呼んでおこうか。つまりなにもしたくないいいわけなのだが・・・。

 それでも回りでは、祇園祭りが始まっている。道すがらに山鉾の明かりが見えている。この暑いのにようやらはるは。そんな明かりをみても、ああっ京都だという実感がまったくわかないので、やはり意識は沖縄時間でストップしたままだ。

 少しずつ意識は回復して行くのだろうけど、さてMac proのモニターが映らないと、仕事が進まない。意識は沖縄時間で停滞している。でも今日は日曜日だ。もともと仕事をする時間ではなかったのか。

  京都市の昨日の最高気温38.5度。同様に那覇市30度。万事これが原因だったか。

 

京都市

iPhone7S

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ZEISSの空気27. 一週間休みます

2018年06月16日 | Kyoto city

 このブログで「アクセスされたページ」というコーナーがあって、時折「2018年3月11日の番外編318.卒業式の音楽はサティスファクション」が頻繁にひっかかる。内容は高校時代に鉄ちゃんに誘われて出かけた真鶴の過去画像なのだが、サティスファクションというのは私の高校の卒業式の音楽だったというものだ。

 Googleで検索すると、さすがにローリングストーンズは話題が多いので私のブログは容易にひっかからないが、これに卒業式という単語を加えると最初に引っかかる。でっ、私が目を引いたのは2番目の北海道北見市の美容室のブログであり、サティスファクションというキーワードが使ってあり、当地の看護大学女子大生の卒業式の髪型画像がアップされている。みんな看護師を目指すのか、そういえば私が若かりし頃の看護婦(当時の呼び習わし方)を思い出す。

 病院で、なら大腸検査てんでガラス棒を渡されそれで便をかき取って、という医者の指示でベッドによこたわり勝手にやってちょ!。それは痛いし、やだなと逡巡していたら大柄なスケベそうな看護婦がやってきてガラッとカーテンをあけて「なに!、まだやってないの!!!」といわれた。あいつにやらせたら力任せにやるから痛そうだなと咄嗟に判断し、まあしかたなく自分でかきとる。診断結果は何もなかったのだが看護婦って一々スケベだといっていたら仕事にならないから、別の言い方をするとスケベを職業柄正当化できるといったらよいか(笑)。

 まあこちらもクロッキー教室で、若いお姉ちゃんの裸体を描いているのだからお互い様なんだろうけど。先日の水曜日のモデルさんは8頭身で小顔で格好がよかった。俳優業だからものすごく筋肉質なのだ。ということは吉永小百合を初め現在の20代の人気女優も結構筋肉質な体型が多いんだろうなと推測している。まあ脱がないとわからんけどな。

 さてブログ、看護師、クロッキー、女優と話題が拡散してきたが、空をみると青空が広がってきた。もうじき沖縄も梅雨が明ける頃だろう。足指骨折で大分間があいたダイビングへ明日から出かけます。なので、このブログも1週間休みます。

 

2018年6月12日、京都市四条烏丸

FUJI FinepixS5、Carl Zeiss Distagonf2.8/25mmT*

ISO200,露出補正-0.3,f/4,1/285

 

 

 

 

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ZEISSの空気26. 偏頭痛

2018年06月15日 | Kyoto city

 水曜日は、頭がカキーンと金属的な鈍痛だった。つまり偏頭痛だった。そこで夜遅くまで仕事をし眠くなった夜更け頃に寝た。木曜日は当然午前中は寝てる。ここが頭痛を治すために重要な時間なのだ。

 そういうときに玄関のチャイムが鳴る。郵便屋が東京からの書留を持ってきたのだろう。郵便屋に体調をあわす気分ではないので、そのままスルーした。おかげて偏頭痛は快方に向かう。

 さて郵便屋の不在連絡票をみる。相変わらず見にくい。最初に「1.PC・携帯・スマホ受付」だって。PCと最初にくるからには、次にURLが続かないとあかんのだが、3段目に小さく書いてある。まあGoogleでひけばすぐに郵便サイトが出るか。次に24時間自動電話受付のNOが書いてある。それが固定電話の番号なのだ。1の項目には固定電話というタイトルは登場しない。つまり不整合だ。その下に小さく携帯電話の番号があった。「1.PC、携帯、スマホ受付」と記載したから、本来は携帯の番号が先にこないと整合性がとれない。

 だから携帯で電話し、いわれるままに23桁の番号を入力した。これで14時〜17時まで家にいなければならないことになる。家にいる確証はないけどな。例えば近隣の町民が一寸街灯がトラブルだよといって近所の電気屋に出かけたすきに郵便屋が再配達をしにくるという類いの悲劇はこれまでに何回も経験した。

 いつもは中央郵便局止めにしておくのだが、今日は暑いし例のお勉強もあるので家に届けてもらおう。そんなわけで早めにマックで昼飯を食べ、コンビニで飲み物とお菓子を調達し、郵便屋の再配達に備えなければならない。届く郵便物は、定型封筒に書類が1枚はいっただけなのだ。日本の郵便物はほぼ確実に届くのだから、書留なんていう制度は廃止してもよい。そうすれば役所も書留にこだわる必要がなくなる。あるいは近所の郵便局止めがいいよな。歩いてゆける範囲に郵便局が3カ所もあるんだぜ。

 大体郵便屋が訪れるときに相手は在宅しているという使用人を多く抱える明治の頃からの大前提が、そもそもの間違いなのだ。今は原則として誰もおらんのよね。だからさっさと制度を変えればよいのに。そんなことを考えていると、また偏頭痛になりそうだ。まったく頭痛のたねの郵便物。

 

2018年6月12日、京都市下京区

FUJI FinepixS5、Carl Zeiss Distagonf2.8/25mmT*

ISO200,露出補正-0.3,f/4,1/400

 

 

 

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ZEISSの空気25. 困った生活習慣 

2018年06月14日 | Kyoto city

 寒いのですよ!、このところの京都は。だから長袖のシャツなんかを引っ張りだしてきて、外に出るときはゴアテックスのレインウェアですよ。例年のこの時期は、こんなに寒かったかなぁー。

 そんなわけで今日は、朝から頭が動かない。そういう状態は小学校の頃からあった。それでも授業をするのだから、当然興味もわかず頭にも入らない。たぶんそうだった児童はいただろう。あるいは教えている先生も頭が動いていなかったかもしれない。人間は、頭が動いていないくても無理無理と仕事をさせられる習慣が形成されているのだろう。

 そうなるとこちらの午前中の仕事がはかどらない。だから味の濃いカレーうどんを食べて午睡。それがまた短い時間に深く寝ているので目覚めたときは頭がクリアになるわけだ。それで夕方から夜中まで頭がクリアになってしまうのだ。その悪循環が続くと次第に夜型人間になって行く。なかなか戻らない困った生活習慣だ。

 というのでダイビングのレスキューのテキストもまだ半分しか終わらない。まあ夜はクロッキー教室へでかけデッサン。今日のモデルさんは筋肉質で小さな頭で格好がよいではないか。夜になって頭が冴え渡る。

 でっ、米朝会談はWEBニュースで知っているので、新聞が溜まっていた。読まないなぁー。

 

2018年6月12日、京都市中京区

FUJI FinepixS5、Carl Zeiss Distagonf2.8/25mmT*

ISO200,露出補正-0.3,f/11,1/70

 

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ZEISSの空気24. カテゴライズ

2018年06月13日 | Kyoto city

 あーっ、やだ!、やだ!、何がやだ!かというと、月曜日の夜にエアロビクスの教室へゆき疲れ果てていて、さて機材を担いで街の徘徊に行くべきか迷っていたからだ。曇り空だから古民家を撮影するのには調度よい。これから夏の日差しになるともう古民家は黒くつぶれて写り、暑いばかりで撮影どころではない。やはり今歩き回る方が健康的か。

 もう一つやなことがある。ブログのカテゴリーである。iWeb時代のカテゴリーを、そのままgooのカテゴリーへ移動していない。だから二つのカテゴリーが存在する。それは縦軸と横軸で二つのカテゴリーだから、つまりマトリックスで捉えればよいわけであるが・・・。

 さてプログの編集場面で、ニコンのボディにツァィスのレンズを付けて撮した画像を用いてプログを書こうとしたら、「Nikon Freak」か「ZEISSの空気」のどちらのタイトルカテゴリーにいれるべきかという問題が起きる。これまでボディ側の属性で仕分けていたが、新たにZEISSの空気というレンズのカテゴリーを増やしたから話がややこしくなった。まして今日はニコンD200を下地にしたFUJIのボディにツァイスのレンズだよ。さらに複雑になる。

 といった具合に一例をあげたが、カテゴライズというのは結構煩わしい作業なのだ。学術論文は、まさにデータのカテゴライズから始まるわけだ。一般的にはエクセルでデータのコーディング作業がカテゴライズの始まりである。コードナンバーをつけてデータを整理すれば、NOカテゴリー毎にデータが整理されるだろう、やりだすと二つのカテゴリーに属するデータが出てきた。どちらのカテゴリーに入れるんだろう、そんな話である。

 そうなると単数属性と複数属性の2カテゴリーに分けておけばよい。つまり上位概念のカテゴリーを設定すればよく、それで単数属性は当初のカテゴリーに納まるわけである。でも階層の上下の位置が単数&カテゴリーと複数ではずれるよね。同じ現象から導き出されたデータが階層的に位置がずれるのはまずいだろう。そこで複数属性もカテゴライズする必要に迫られるわけである。それをしないとわかりにくいエクセルの表ができてしまう。実はそうしたわかりにくい表が私達の世界では多いんだ。もう少し考えましょうねといいたくなる。もっといえば・・・、やめとこう哲学の話だから。

 でっ、ここでは「ZEISSの空気」のカテゴリーに入れることにした。やはり写りの違いはレンズだろうという考え方からなのだが。それにFUJIなんていうカテゴリーは私のブログには存在しない。

 さて10年前のFUJIを持ち出して街の徘徊をしていた。すこし古くさくお払い箱にしたい(当時定価25万の機材も今では下取り価格1万円程度ですから)デジタル機材だが、今でも十分使える色であるのにはまいった。それにFUJIの撮影素子は、多分今でも大変綺麗なのであろう。だから今でもFUJIをぶらさげている外国人を多く見かける。

 ニコンF3修理完了の連絡はこないし、ミラーレスニコンが登場するのは来年だし、今日はこれでツァイスの空気を味わうほかない。APSサイズ画面だからディスタゴンの写りが全面的にみられるわけではない。そこは我慢、我慢・・・。

 

京都市中京区

FUJI FinepixS5、Carl Zeiss DistagonF2.8/25mmT*

ISO200,露出補正-0.33、f/11,1/35

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ZEISSの空気23. サギ

2018年06月11日 | Kyoto city

 今日は台風が太平洋側を通過してゆく。台風のドラスティックな気象の変化で、雨風と晴れたときとで街の風景が変わるから好きな時間なのだけど。

 最近京都の街中でサギをよく見かける。琵琶湖から飛んできて鴨川で餌を探しているのだが、時折街中や高瀬川で家の中をジーッと眺めている。警戒心が薄い鳥だから近寄っても逃げることが少ない。家の住人が玄関の扉をあけたら真っ正面にサギがこちらをみていたなんて場面を想像すると一寸驚くだろう。追い払うとやおら大きな羽を広げてバサバサと助走してしぶしぶと逃げてゆく。

 さてブログ画像の下地にシアン系とピンク系の色を感じるので、やはりコンタックス・ツァイスの色だと一人ほくそ笑む。ツァイスといってもコンタックス系とコシナ系とSONY系とでは、すごしずつ色味が違う。そのなかでもコンタックス系の色が個人的には好きなんだけどさ。

 でっ、いずれ手元に届くであろうニコンF3+MD4にコシナ系ディスタゴンZFをつけて旅に出たいと考えた。経路をジョルダンで検索すると、例えば京都市から秋田市へゆくとすると、大阪空港から秋田直行便で4時間40分が最速、新幹線乗換えで7時間となる。かって北陸線、羽越線を走っていた寝台特急日本海だと12時間かかる。

 もう少しマイナーな都市間移動を想定すると、例えば富山市から秋田市へ行く場合だと、新幹線で富山-大宮乗換-秋田で6時間程度、飛行機だと羽田乗り換えで待ち時間が多く秋田空港まで7時間55分かかる。どちらも昼間の移動しかなく、京都発よりも所要時間がかかる。そして新幹線の経路と飛行機の経路が首都圏経由となりほぼ一緒。ちなみに寝台特急日本海は富山01:20-秋田9:20(8時間)で、乗換なしで日本海側を北上しながら寝てゆける。そして今の飛行機の所要時間と大差がない。

 寝台特急は、夜行バスより快適であり眠ている間に目的地に着き、昼間の時間がフルに使える便利さがあった。そんな風に机上の旅をしていると北陸線経由の寝台特急日本海が意外に便利だったことがわかる。交通関係者のように所要時間だけにしか目がゆかなくなると勘違いをしてくれるわけだ。ようは昼間の旅人としての自由時間がどれだけとれるかが重要なのである。半日移動でつぶされるのでは、所要時間が短くても旅としての意味がない。

 「新幹線の方が所要時間が短いしその日のうちにつけますよ」、といわれるままに切符を買っていた旅行者も多かっただろう。そのあおりで寝台特急から次第に客足が遠のき、そして廃止され、現在定期的に動いているのはサンライズ瀬戸・出雲ぐらいしかない。しかし今でもヨーロッパでは新幹線とともに数多くの寝台特急が走っているというのに、日本でホントに寝台特急を廃止してよかったのですか?、と疑問に思わざるをえない。移動手段が選べる多様性を放棄し昼の列車の択一選択でよいのですか?。私にいわせれば、所要時間だけ重要視し、しかも料金が高いというサギみたいな話だと思うけど。

 だから遊びではなくビジネスライクな寝台特急がもう少しあってもよいのではないですか。そうそう、もう一つ選択肢があった。敦賀から新潟、秋田経由苫小牧行き新日本海フェリーだ。敦賀を22時発、秋田着翌日5時40分、時間はかかるが料金が安いし設備がよいのでこれだな。

 

京都市下京区菊屋町、ContaxT3、プロビア100

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EOSな日152. 清貧思想

2018年06月02日 | Kyoto city

 久しぶりにEOSのブログ。前回は2月19日で中国中旬のお坊さんのピースサインだった。それも随分古い過去画像。つまり最近フィールド調査に行くことがないからEOSを使う機会が少ない。まだ研究者NOが残っているので、フィールドへ行ける企画をたてようと文科省科研費の応募原稿草案などをちらちらと考えているが、たまには機材を使い回して動かしておこうというので、今日は重たいEOSで。

 ふと思いついた言葉に「清貧」がある。小学館日本国語大辞典によれば「貧乏だが心が清らかであり行いが潔白であること、俗世間にへつらわず、貧乏で節操を守っていること、貞享版沙石集-8.16清貧は常に楽しみ、濁富は恒に愁ふと云々」と書かれてある。清貧の英語を探すと"Poverty"があるが、これは貧困そのものであり、日本語の心が清らかで・・という状態ではない。つまり清貧の英語訳はないから、清貧は日本人固有の意識なのだろう。 

 というのも日本の歴史のなかで難民という言葉が存在しない。ここでいう難民とは、民自らの判断で国をすてて他国へ脱出することと定義するが、そうした歴史が日本史の中では存在していない。だからシリア難民と報道されてもピンとこないこともあるのだろう。

 つまり民自らが国を捨てて他国へゆかざるを得ない状況が日本の歴史の中には存在していないか、あるいはじっと我慢していたかなのである。つまりそうしたじっと我慢の背後にあるのが清貧思想の浸透という考え方もできよう。

 今でも清貧思想は生きていて、まあ資本形成は適わなかったけど、そこそこにくらせればいいさという今の大方の人生観かもしれない。

 最近の我が国の2017年度の国際収支が毎日新聞1面の片隅で報じられていた。日経新聞電子版の記事で補足すると、第1次所得20兆円弱が海外子会社、あるいは巨大ファンド、さらには個人ファンドなどの配当金による直接投資収益。貿易黒字額が4兆5千億円、その他の観光収入で8000億円程度と記憶している。つまり昔教わった加工貿易ではなく投資で稼ぐ日本経済の構造に変わってきている。

 さてこの20兆円の直接投資収益の分母がわからないので、世界での水準が不明だ。多分大変僅かな額だと類推しているが、そこを毎日新聞1面をつかって解明してくれたら記事をしっかり読んだのだが、1面には加計問題で言ったか、言わなかったか、などと子供の議論ばかりであり、要は経済構造が変わってきているときにそんな些末な事はどうでもいいのよ。それよりか国際収支の20兆円が世界経済に占める意味を知りたかったし、海外の諸国ではそれがどうなっていたかを1面全部の紙面で伝えてほしかったのだが、まったく編集主幹の記事の選択が古すぎるよ。

 毎日新聞の欄外をみると世界経済文化講座の案内があり、現代人の知的欲求に応えようとしている。しかし知識というのは、知的欲求に応えさすればよいというものではない。やはり個人の価値や利益などに直接つながる方法論をしめさないと学ぶ意味がない。それが知的満足が得られればよしとする教養的文化系発想では、あかんでしょう。今時の人間が教養だけでは満足できないと思うよ。ここにも心が安らかになればよいとする清貧思想が働いているのではないか。

 そんなことをしている間に、世界では多額の資金が行き場を求めて地球上を走り回っているが、すくなくとも日本は素通りしているだろう。清貧という概念が英語圏で存在しない以上、世界はとても貪欲なのだ。

 つらつらとそんなことを考えていた。

 

2018年5月17日 京都市中京区大宮通錦小路西入

EOS1DsMark3,EF50mm/F1.8

ISO200,露出補正0,f/11,1/250

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PEN LIFE1531. 標準レンズ・ボカして&ドクターの話

2018年06月01日 | Kyoto city

 マイクロフォーサーズはフルサイズの1/2の画面だから、標準レンズといっても焦点距離25mmは、立派に広角レンズであり、被写界深度が広がりあまりボケない性質がある。だがそれでも近距離ならばボケてくれるし、本家のライツには及ばなくても分家の分家ぐらいのパナソニック製ライカレンズは綺麗なボケ方をしてくれるようだ。

 さて話題は変わるのだが「ドクター」という言葉があり、社会的にはお医者さんのことでしょ!?、と今でも勘違いしている人間がいる。医者のことを英語ではPhysician(内科医)とかsurgeon(外科医)といった呼び方をするので、ドクターは医者のことではありません。

 正しくは、大学院博士後期課程の最終試験に合格した者に与えられる学位のことを「博士」=ドクターといいます。ちなみに博士前期課程では「修士」=マスターという学位が与えられます。そう正しく理解しておかないと海外へ出たときに笑いものになります。

 最近よく登場する経歴欄に、「博士後期課程満期退学」という記述があります。それは博士後期課程の最終試験を受けていないか合格していない者のことを意味します。だから「博士」の学位はありません。

 通例博士後期課程3年の間で博士論文を提出し学位取得にいたるとはかぎらないのです。工学系の場合は、やはりそこから1年や2年は時間が必要です。だから大方の院生は必要単位を取得して博士後期課程満期退学という記述になります。その後に博士論文を提出し、審査を受け(それ自体半年から1年はかかりますけど)、最終試験という口頭発表会を経て教授会の合議により合格と判定されます。そうすると博士の学位が取得できます。

 博士論文を提出するのには条件があります。工学部系ですと、審査付学術論文を複数編所属学会に投稿し掲載決定を受けなければなりません。だから学会の査読期間などもあり、3年間で複数編の審査付論文をだすというのは結構大変なスケジュールになります。当然3年間という期間を超えたり留年したりする院生もいるのが通例です。

 博士の学位は、国公立大学では教員免許みたいなものですから、将来大学教員をめざすなら必要です。その他研究所の研究者とか・・・。やはり院生が学会へ投稿する査読付論文の研究と執筆で時間もかかり頭の中が大いにスキルアップしてゆくわけです。まあそれを教える教員も大変なわけですけど。私も博士の学位を取らせた院生を複数指導しましたから、普通の人の何倍も頭を使うその大変さは理解できます。もちろん大変だからといって教員に手当はでません。それが仕事だからです。

 博士の学位をとると、もちろん研究スキルが格段に向上しますが、もう一つ給料が違います。大学にもよりますが、公立大学教員ですと、大体一ヶ月当たりで7万〜10万ぐらい給料が上がります。その違いぐらいかな。

 

2018年5月2日、京都市中京区西ノ京船塚町

OLYMPUS E-M1Mark2、LEICA DG SUMMILUX 25mm/F1.4

ISO200,露出補正-0.3,f/1.4,1/6000

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PEN LIFE1532.  標準レンズ・カリッとシャープに、そしてライフ写真講座

2018年05月31日 | Kyoto city

 天気図をみると太平洋側に前線が中国から延々と東に延びているが、それって梅雨前線かい。これが停滞すると梅雨かとおもわせる天気図だ。このブログも書きため原稿に加筆している。天気の話だけは、加筆しないと書けないですから。その書きためたストックも早く消化したいのだが、あと1週間分あるぜよ。

 さて標準レンズは。絞りを絞れば画面全体にピントがゆき、大変シャープな画像になる。それは広角レンズと同じ案配なのだ。元画像を解像度の高いモニターでみると、そのあたりの事がわかる。まあスマホの画像でもわかるだろう。

 そうしたフィルムで撮影したモノクロ画像の綺麗さは捨てがたい。実際、昔の画像は手焼きプリントだから、全紙のサイズで自然の風景でもみていると大変綺麗だし部屋に飾っておけるアートだ。いまのデジタルの画像ではどうなのかなあー。そうした画像は、現代のインテリア空間の中でも十分に飾っておける。だから署名フォトグラファーの画像でも絵画や版画に比べれば、はるかに安く買いやすいと思われるが・・。

 GoogleにLIFE photo archiveというのがあり、ライフの写真のごく一部が閲覧できる。以前はプリントサービスがあったのだが、いまは見当たらない。しょうがないので、手元のライフ写真講座全15巻を時折眺めている。それでもいささか古いライフの良い写真がちりばめられている。

 実はこのライフ写真集は、高校生の頃に公立図書館で初めてみた。当時公立図書館では、受験シーズンになると受験勉強にやってくる多くの学生達の列などというのが当たり前のように報道されていたし、社会をあげて公立図書館の間違った使い方を認めていた時代だった。

 そこで私は参考書を持って公立図書館に出かけたのが人生の間違いの始まりだった。受験勉強よりは蔵書されている図書を読むのが面白すぎて、こんな世界があるんだと乱読で読みふけっていた。だからキュルケゴールからハイデッカーに至る実存哲学なんかを読み始め、私の哲学もこの頃の知識である。でっ、そこでライフ写真講座なんか発見したモノだから、終日これのために日参した。そんなわけで、本を読むという図書館本来の目的に沿った使い方をしたおかげで、受験勉強などをすることもなく、当然浪人してしまった。

 まあ私は、そのときの若い感性で写真の勉強をしたんだろうな。だから世界の優れたフォトグラファー達の写真を納めたライフ写真講座がテキストであったわけだ。その別冊という小冊子があって撮影のための機材や画像のコピーや収納方法などなど写真に関する技術的なことが書かれていた。そこにニコンFと28mm、50mm、105mmの3本のレンズが登場していたのである。おおっ、これだ!、当然私はその説に傾倒し、アルバイトしたり家から借金したりして調達しましたね、ニコンFのシステムを。

 その後ライフ誌は休刊されたけど、ニコンFのシステムはいまだに手元にある。そのニコンFもそろそろメンテナンスから帰って来る頃だろう。

 

2018年5月2日、京都市中京区壬生御所の内町

OLYMPUS E-M1Mark2、LEICA DG SUMMILUX 25mm/F1.4

ISO250,露出補正-0.3,f/4,1/640

 

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PEN LIFE1530.  標準レンズ・望遠レンズ風に

2018年05月30日 | Kyoto city

 京都の都心部の道は縦と横の構造が原則だ。だから方角さえ決めておけば、どのようにでも歩いて行けるし距離はさして変わらない。二条の現像所へゆくときも、街角から古そうな建物がありそうだという道を進んだり、曲がったりしていた。多分油小路通を北に上がり、姉小路通を西にむかって、それから二条駅をこして住宅街の中を抜けて現像所へ行ったんだった。

 そんな風に様々な道を歩く楽しみが京都の街にはある。これまで随分歩いたと思っても新しい風景に出会ったりする。そこがこの街の面白さなのだろう。そんな街歩きは、今頃の季節の朝が暑すぎず調度よい。なにしろ朝の早い京都だから、私のように夜更かしの習慣がつくと、大いに眠く出ずらい。まあ歩きながら眼を覚ますほかない。

 さてそのオリンパスE-M1Mark2にも、プロユースとは思えない欠点がある。一例をあげるとプロユースならバッテリーグリップ付きが必須となるが、本体へ電源を供給しているバッテリーしか管理できないことだ。もう1本あるから大丈夫と思っていたらバッテリー切れになっていたりする。2本のバッテリー状態が一目同時に確認できないのが欠点。

 実際に昨日の経験として、うん!!、ボディのバッテリーが少ないという表示か、グリップ側に2本目があるんだろう、でも確認できない。まあいいや、そう思っていたら散歩の途中でフルバッテリー切れ。そうなると散歩は打ち切り、京阪で七条のマッサージ屋へでかけたのだった。

 全部のバッテリー状態を一目で確認できるようにしてよ。さらにいえば予備電源を本体に内蔵すべきではないですか。もうオリンパスシステムは、ニコンミラーレスが出たら処分検討だな。

 さて、まだメンテナンスが終わらないかな?、ニコンF3。F3は2年に一度交換するバッテリーが消耗していても1/90の機械式シャッターが付いているから、どんなときでも使えるんだな。それがプロユースでしょうよ。ニコンミラーレスとレンズの互換性があるだろうから、F3は予備ボディでまだまだ使用価値がありそうだ。そうなるとモータードライブMD-4が中古で安いし、WEB画像で見ていると惚れ惚れとするような格好の良さ。特に連写はいらないが、これ付けようかな!?。

 

2018年5月2日、京都市中京区四条大宮、OLYMPUS E-M1Mark2、LEICA DG SUMMILUX 25mm/F1.4、ISO250,露出補正-0.3,f/11,1/60

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PEN LIFE1529.  標準レンズ・広角レンズ風に 

2018年05月29日 | Kyoto city

 京都の街では何かしらの用事をつくり、バスに乗るのではなく歩いて街を撮影しながら目的地へ行くことが最近の傾向。4月の連休前も足指骨折を引きずりながら久しぶりの街歩きだったし、二条の現像所へリバーサルフィルムを出しにゆく目的で、道すがらを撮影していた。少し肌寒い晴天下ではあったが、歩いた事がない道もあり、久しぶりに標準レンズだけをもってゆく楽しさを感じていた。

 昭和の末頃まで一眼レフとセットで標準レンズがついてきた。それぐらい基本的なレンズであり、今でも写真学校で生徒に買わせる機材が標準レンズではなかろうか。歪曲収差はほとんどないし解像度も高くそして安い。写真の勉強の最初は標準レンズに始まり、そのまま他のレンズを買い足すこともなく標準レンズだけで終わった人もいただろう。

 標準レンズは、広角レンズ風にも望遠レンズ風にも撮れる。それに明るいので露出に気をつかうことがない。だからAモードにして絞りを変え写り方や背後のボケ方を楽しんでいた。しかし使い込んでゆくと、広角でも望遠でない中庸的な性格に飽きることもある。

 アンリ・カルティエ・ブレッソンのようにパリのほとんどの写真を標準レンズだけて撮影したという逸話もあるぐらいだから標準レンズの格があがる。

  まあそれぐらい蘊蓄もあり面白いレンズではあると思われる。

 

2018年4月28日、京都市中京区因幡町、OLYMPUS E-M1Mark2、LEICA DG SUMMILUX 25mm/F1.4、ISO200,露出補正-0.3,f/11,1/125

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番外編367. デジタル機材のバッテリー

2018年05月28日 | Kyoto city

 画像は、私が使用している撮影機材のバッテリーを並べたモノ。バッテリーの後ろ下を揃えて撮影した。

 左から順にEOS1シリーズ、オリンパスEM1-Mark2、オリンパスEM-1及びその他のシリーズ、オリンパスPEN初期の頃の3タイプ、右端がSONY用のバッテリー。
 EOS1シリーズは1シリーズのどの機種にも使える共通性をもった非ミラーレス用。オリンパスとSONYがミラーレス機材用。バッテリーを多く必要とするミラーレスの方がバッテリーが小さいという不思議さ。

 ミラーレスの欠点は毎日充電が必要な点。なかでも右端のSONYバッテリーが一番小さく、これでα7シリーズも動かすという冒険もの。最近では同サイズで使用回数が倍とうたっているSONYバッテリーもあるけど多分程度問題かな。

 バッテリーは国内では、パナソニック、GSYUASA、SONYなど製造メーカーが限られているでしょう。だから中身は変わらず容量だけが使い勝手に関係するのでは。

 私の経験からいえば、フィールドに持ち出してバッテリーのことを気にしなくても撮影機材が使えるのはEOS1Dシリーズしかない(私はニコンDシリーズは使いませんがほぼ同様仕様と理解しています)。

 だからミラーレスのSONYの色が良いといってもバッテリーが持たなくては意味がない。バッテリーグリップを付けても最大2個、一度は交換するから4個/日は必要という勘定になる。

 フィールドでは、原則としてホテルなどに戻って充電できるが、それは先進国の場合であって、そうでない国だと電気は意外にあてにならない。電気は来ていても年中停電などあったり、コンセントは通電していないとか、帰りの船がないので現地へお泊まり、山小屋2泊ならもう降参、という場合もあるでしょう。記録が目的の調査に来たのに記録できない。それではフィールドへくる意味がない。

 そういう状況にいなくても毎日のバッテリー充電が煩わしい。机の上は充電器とケーブルだらけ。しかもAppleのように白でデザインされているならまだしも、おしなべて黒ばかりで、どれがどのメーカーだかわからない。せめてニコンは黄色。キャノンは赤、オリンパスは青、SONYはオレンジ、といった具合に充電器やケーブルをコーポーレートカラーでコーディネーションしてくれたらよいのだけど。

 そんな風に考えて行くとミラーレス歴9年の立場としては、ミラーレス機材にあまりメリットを感じていない昨今。だから発表予定のニコンフルサイズミラーレス・・・、さてこのバッテリー課題をどうやってクリアするかは楽しみなところです。理想的なのは、ニコンD5同様にボディの下部にボディ幅サイズの大型バッテリーを横に積んでくれることなのだけど・・・。

 

2017年5月25日、SONYα6000,Carl Zeiss Vario-Tessar E 4/16-70mm、ISO1250,焦点距離50mm、露出補正0,f/8,1/100

 

 

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ZEISSの空気19. ゾンネで・・・

2018年05月18日 | Kyoto city

 京都の街には、旗竿敷地と呼ばれる街区が数多くあり、そのため奥の宅地へ続く路地が存在している。そんな路地を一寸のぞきこむようにコンタックスで。これがコンタックス・ツァイスの色だろう。画像をPhotoshopで自動補正すると左側のパープル系の壁の色もつまらない色になってしまうので、これはいじらずにコンタックス固有の色にしておこう。路地の緑が効いている。

 コンタックスのレンズSonnarは太陽という意味だ。つまりゾンネで沖縄の太陽と空気を撮りたいわけだ。フィルムはベルビア100。デジタルデュープ複写はFUJI FinepixS5でよいだろう、と一連のシステムが構築できると、コンタックス持参で旅に出たくなる。

 そんな妄想をしつつ、いざ実際に出かけると結構がっかりしたりするのが通例だ。妄想が勝手な方向へイメージをつくりあげてしまうこともあるし、実際に歩き出したら暑くて体力を消耗して這々の体で引き上げたとか、現実の事柄もある。

 あるいは今日はお休みだからせっかく揃えた自慢の機材をかついで撮影に出かけるぞと意気込んでも、そのお休みのときの被写体と光がベストとは限らない。被写体と光は、こちらの都合に合わせてはくれないのだ。だから仕事であれ余暇であれ常に機材を持ち歩き、ついでに見かけた風景にいいなと思った時こそシャッターチャンスだ。それは飲み会に出かけ酔っ払って帰るときかもしれないし、体調悪くて病院帰りに良いシャッターチャンスが訪れたりと結構皮肉なことが多い。チャンスはいつも環境の方からやってくる。こちらがそれに気づくかどうかなのだ。

 だからいつも持参するから機材は、小さく軽く高性能が条件になる。そうした近所にでかけたつもりがやがて世界に広がる場合だってある。世界に飛び出しだしたら、ああっ、あのレンズが!などといっても後の祭りだ。いつも持ち歩いている機材で撮りまくるしかないだろう。そんな小さく、軽く、いつでも世界のどこでも持ち歩けるシステムを、私なりにこのブログで提案(2018年4月22日、5月5日、5月16日)してきたわけだが、少し時代がかっていたか。

 そしてもう一つ加筆すると、

 私が愛用しているオリンパスの機材は、コンパクトデジタルカメラを一眼レフのシステムに乗せたらどうなるすか、という視点で開発されたと推測する。だから早い話がそれと写り方は一緒といってもよい。それぐらいコンパクトデジタルカメラも進化してきたということなのだが。昔の感覚でいえばオリンパスは、やはりハーフサイズに限りなく近い。

 まあそれでもシステム化されているのでオリンパスは仕事に使える機材だとは思うけど。しかしEOS1Dsと比べれば、やはり描写力がなぁーと思うわけ。そんなわけで研究に使えるニコンDfとか、フルサイズのミラーレスが欲しいなと思うわけ。コンタックスT3を使おうと思ったのも。実はハーフサイズよりやはりフルサイズでしょう、という昔の感覚があるからだろう。

 

2018年、京都市中京区

ContaxT3,Sonnar35mm/F2.8T*、プロビア100F

 

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ZEISSの空気18. 風評メディア

2018年05月11日 | Kyoto city

 この葉の色は新緑ということもあるが、その緑の中でも綺麗な色なのでコンタックスT3の色かなぁー!?、と解釈。そう思って満足できたら幸いなのだけど。

 ふと読者が過去ログを引き出してくれた。2018年3月15日「科学のメス」というタイトルの私のブログだ。ブログは東北大震災で被害を受けた福島第一原発(F1)のことを書いた。よく人は事件は風化させてはならないというが、風化させないためには、科学のメスを用いて何故事件となっていったかについてその背後要因や意志決定の過程などを科学工学的にシミュレーションしながら解明し、結果としての知見を明らかにすべきであり、過去の人たちは大津波記念碑のように、海抜60mまで津波がきたと定量的に知見を残していたということを書いた。

 もちろんメデイアや世間がいうところの風化させてはならないというのは、文化系のいうことだからスローガンで終わってしまう。実際は時間がたてばみんな忘れてしまい何の知見も残らないのがこれまでの経緯。

 風化させたくなかったら、どうしてあのような津波に流されるところにF1は、電気設備を置く設計にしたのか、そのときの意志決定のメカニズムはどうなっていたのか、当事者達の心理構造はどうなっていたか、津波が予想され指摘されたにもかかわらずどうしてその意見は排除されたのか、シミュレーションの結果はどうだったのか、そのときの設定値は何を用いて何が欠落したのか、などなど。そうした説明はモデル式をつくりシミュレーションしたりと多分に工学的な方法になるわけだ。だから原発という科学の所産を文化系的説明をされても、こちらは全くわからない。

 例えばイタイイタイ病とか水俣病も、環境がおかしいと最初に気がついたのは地元住民達だったけど、測定したらおかしかったと定量的に実証したのは医者であり化学の技術者だったことを思えば、やはり科学的解明が事件解明には不可欠だ。

 実際科学工学を扱いながら、重要な意志決定のところで工学的な数字を用いずに、しいていえば経済的数字だけでプロジェクトを進めたりもする。ビッグプロジェクトこそ、そうした傾向が強いことを私は経験的に知っている。重要なプロジェクトほど見えないところで意志決定をするという日本人的な間違った方法をとっているのではなかろうか。だから文化系にビッグプロジェクトは触って欲しくないですね、危ないし。

 それに津波の恐れがあると指摘されたにもかかわらず排除されたメカニズム、などというテーマは十分一般性がある課題だと思うけどな。 

 やはり議論は科学工学的データに従ってシミュレーションや解析がなされるることこそ技術立国日本の姿なのだが、どうも最近の新聞やニュースを見聞きしていると論拠とするデータもなく様々なことが語られているところに、こちらは、よくわからんなぁーといつも思う。わからなければ風評メディアと思っておくことにしている。

 少し過去ログの話の補足説明になったし堅い話になった。

 さて足指骨折完治させて、早々に沖縄へダイビングにゆこう。昨日は医者に出かけ、ようやく中指で固定していたテーピングとれて、歩いてみましょう(既に歩いているが)といわれ陽が射した気分だ。葵祭などに出かけて足を踏まれて骨がずれてハイまた二ヶ月治療と言われたらやばいのでパスして、今週は、養生!しつつ歩きはじめよう。

 

2018年、京都市中京区六角堂

ContaxT3,Sonnar35mm/F2.8T*、プロビア100

 

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