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Creator's Blog,record of the Designer's thinking

毎月、おおよそドローイング&小説(上旬)、フィールド映像(中旬)、エッセイ(下旬)の3部構成で描き、撮り、書いてます。

Nikon Freak505. 冬の京都11. 定点撮影

2021年02月22日 | Kyoto city

 

 このブログを書いているのが昨年末だ。天気予報をみていたら、ロシアから太平洋側に達する強い寒気団の南下予報を聞いていた。大晦日から元旦にかけて京都市内にも、まとまった雪が降る可能性が高い。

 数年に一度は、京都市内にもまとまった積雪がある。であれば夜の雪のフィルム撮影というまたとない機会が訪れそうだ。清水寺に向かってあがり、三年坂、二年坂、祗園を走り抜けて都心へ戻れば、古都の空気ぐらいは捕まえられるだろうか。

 さてカールツァイス・ツァイス・プラナーF1.4/50mmT*の試写を続けよう。というのでイオンの大垣書店へ専門書を探しにゆくついでにマニア的趣味、というよりも機材の操作に慣れるといった方がよいか、道すがらの撮影だ。

 今回もモノクロームで撮っているはずがカラーになっていたり、ISOautoだと思っていたら外れていたり、ピントの合わないカットがあったりと、色々失敗させてくれた。近年オートフォーカスになれきった分、マニュアルレンズに慣れるのには、時間が必要だ。

 トップ画像はF1.4で撮影している。道に設けたテラスや縦位置のネオンサインを見ていると海外の街の風景を思い出す。こういうカットが撮りたいね。だけど、そんな風景は容易にはなくてさ。それにしても、黒がキチンとしまった黒になっている。このあたりがデジタルの力だ。

 さて、フィルム画像とデジタル画像を比較するために定点撮影をしてみた。

 2番目の画像は定点観測で、2020年2月13日の画像とも比較すると、こちらの方が光芒が明確だと思われる。

3番目の画像は、シャープに撮影したらどうだというので、2月17日の画像と比較してみた。こちらはヌケが好いのはわかるが、このあたりになるとどの機種も類似してくるだろう。

4番目は2月17日のブログと比較してみた。

5番目は2月13日の画像との比較。モノクロに設定したつもりが、偶然カラーで写っていたのだが、看板や背後の樹木の緑の発色がよく、これがツァィス・プラナーの色だ。背後は形を成しながらボケている。このあたりもニコンのレンズとは随分と違うようだ。だからボケ方はメーカーやレンズによって違ってくるわけだ。私がボケ方に拘る理由もここにある。

 フィルム画像とデジタル画像との比較では、やはりフィルム画像の方が画面全体が柔らかい感じがする。そうした違いぐらいで、デジタルと大差ない。つまり手間はかかるが、今後も使えることがわかる。

 そんなわけで、フイルムでもデジタルでも使えるプラナーの発色をこれからも楽しみにしているところだが、あいにく京都府も新型肺炎感染者急増で外を歩く気分でないのが悲しいね。

・・・

 そんなわけで、家にこもり大学の研究紀要に掲載する学術論文の執筆をしていた。テーマは史実を踏まえた沖縄グスクの3CGによる建築復元モデルの提案なんだけど。早ければ5月以降国会図書館に納本されるから私の名前で氏名検索してちょ。国会図書館の蔵書検索に私の名前を入れると148件でてきた。共著も含めてだが、そんなに論文を書いていたか。2月19日に最新原稿が提出できてホッとしたところだ。

まだ巷は出歩くのには、アカンかなぁー。

 さて明日からまた「小説:小樽の翆」に戻ろう。長い幕間だった。

 

京都駅周辺 2020年12月26日撮影

Nikon Df,CarlZeiss PlanarF1.4/50mmT*ZF2

1)ISO2000,露出補正-0.67,f/1.4,1/640

2)ISO2000,露出補正+0.7,f/1.4,1/500

3)ISO2000,露出補正0,f/4,1/125

4)ISO2000,露出補正-0.67,f/5.6,1/15

5)ISO2000,露出補正0,f/1.4,1/50

 

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Nikon Freak504. 冬の京都10.初見の人

2021年02月21日 | Kyoto city

 

  新しいレンズを手にすると子供のように飛び出してゆく。そんなの一度使った位じゃわからんのだが。通例、最初はなんだこんなもんかとガッカリさせられ、次第に使いこなれると、これは面白いと気づかされる。ライツのレンズがそうだった。初見では何もわからないのだ。

 世の中に初見の人がいる。なにごとも初見でこちらの人間性を判断しようとするわけだ。ああっ、こういう人ね、とサッサと理解したつもりになって去ってゆく。つまり仕事では、やり手で、ある種、傲慢な人なのだろう。そういう人は、相手を自分より下に見たがる傾向がある。

 でっ、私は嫌みな性格だから、初見の人と判断するやいなや、相手が理解しやすいように演出し、つまりできの悪い作品をトップにもってくるような案配だが、それで相手の思考力の深さを測定することにしている。

 ああっ、貴方の技量はこんなもんですか。これで相手の思慮深さがわかり、以後こちらもお付き合いを遠慮させて頂いている。

私の講演会の前座で・・・

会場をフラフラしていると、声をかけてくる輩がいる。

初見の人「あんた何が得意なの?」

私「まあ、なんでしょうねぇー!」

初見の人「だからさあ資格とか特技よ!」

私「その辺の資格・・・」

初見の人「その辺の資格というと、ああっ、運転免許証ね」

私「あたり!」

初見の人は、こんな凡夫と話をしても時間の無駄だと悟り他のグループの所へ。そして私は、一番若い姉ちゃんと雑談している。若い姉ちゃんに共通するのが、自分の生活の範囲でしか物事を考えないのだ。聞き慣れない言葉に関心をもつなら教えてあげようと思うが、「えっ何それ!、わたしわかんない!!」となる少し退屈な相手だ。時間つぶしにはとんちんかんな問答で調度よいのだが。

初見の人「講師の先生は、まだ来ないかなぁー」

初見の人は、二言三言会話すれば相手の技量がわかるという事に自信をもっているようだ。

そのうち会場のアナウンスで、私が呼ばれ壇上に上がる。

アナウンサーが私の経歴を紹介している。

初見の人は、キョトンとしている、といった具合にである。さっき会話した凡人くさい人がぁー講演会の講師!!・・、若い姉ちゃん共々そんな顔をしている。

能ある鷹は爪を隠す、という言葉を忘れたのかなぁー。知識人は、最初から爪は出さないよ。

 そんなふうに、好いレンズというのも最初から凄いと思わせないところがある。長く使っていてやはり綺麗だということになり、そのあたりからレンズフェチの症候が出てくるわけだ。

 この日祗園から舞妓さんも含めて新型コロナ陽性者がてでいた。・・・。ここもしばらく近づけない。

 

補記

 ここ2ヶ月ほど、つまりお正月以降、学術論文の執筆に没頭していた。こういうときは、このブログも休むのだが、2ヶ月分のストックがあったので、続けてこれた。

 よく聞かれることに「授業はしないの?」と尋ねられる。大学の先生は授業をする、というのが自明の事になっているのだろう。

 実は、違いますぅー!!。大学の先生の仕事の半分以上は研究です。ですから学術論文を書くための研究をしています。その途上で博士課程に学位取得を目指す院生がいれば、抱き合わせで巻き込んでゆく。

 今私は、大学を退職してからも学術論文を書いている。そんなことしても研究実績は、もう不用な立場なので、あくまで日本の文化のためと称して書いている。まあいずれ専門書にするかという副次的な目的もあるが。しかも授業や会議はないのだから、論文の執筆に没頭できる。

 さてコロナ禍で大学の専門家が、特任教授等の肩書きでTVに多数登場する。特任というのは、すでに退職したか、非常勤の肩書きである。テレビに登場するのは、そんな暇な先生達ばかりだ。政府の専門家部会の尾見さんも同様でしょう。彼、ボクが非常勤で教えた筑波大附属駒場の生徒だったんだ。もちろん私の年代とはすれ違っているけど。

 そんなことを見ていると、退職した先生達が、社会に対していろんなアドバイスをしているんだ。現職がいる現場は忙しいからね、という筋書きで。

 もし第一線の現場の先生がでてきたら、どうなるかなぁー。多分数理モデルをつかって、1ヶ月後はこうなりますから、今こうしましょう!、と先手を打つだろうなというのは専門家としてわかる。それをしなくても世の中からは、特に不満が出ないので、まあ後処理でいいか、なのである。

 そんな後処理のワクチン接種が始まった。まあ社会免疫ができれば、感染は納まるけどね。

 さて次は消費回復ですか。NHKの報道をみていると社会が貧しくなっているように報道されているが、そのとらえ方は実は正確ではない。ただしくは、各国の政府が経済対策として資金を市場に大量に放出しているから、その資金が株式市場にも流れて歴史的な株高になっている。つまり貧富の格差が、これまで以上に拡大したということだ。

 例えば投資家や富裕層は株高を背景にして、海外に出られない分を消費に費やしている。百貨店などは、それで支えられている。

 例えば日本自動車輸入組合による販売実績をみると、ポルシェは11年連続のプラス、メルセデスベンツも高性能モデル「メルセデスAMG」が過去最高の販売数を更新したとある。

 海外に出られない分、家で、出張シェフを呼んで、身内の集まりをしたり、といった具合に時間をもてあましているようだ。

 私は、そんな社会を含めて文科系と呼んでいるが、つまり何もクリエイションしないし、できないのだ。人のフンドシで相撲を取るようなモノで、真似こそすれオリジナルは皆無な人達だ。皮肉なことに上前をはねる術だけが身についた。

 クリエイションというのは、この世の中に類似なものはあっても、まだ存在していない新しい考え方や感性を創り出すこと。それがなきゃ人間として、少し寂しい。

 そんなわけで目下、毎週クロッキー教室で裸婦を描きブログ官能小説の素材にしている。描かれたクロッキーは、一応クリエイションだ(笑)。だから、ブログ官能小説は、まだ続くよ。

 

京都市祗園界隈 2020年12月19日

Nikon Df,CarlZeiss Planar,f1.4/50mm

1)ISO360,焦点距離50mm,露出補正-0.67,f/2,1/8

2)ISO5600,焦点距離50,露出補正0,f/11,1/8

3)ISO560,焦点距離50,露出補正0,f/1.4,1/8

4)ISO4000,焦点距離50,露出補正-0.67,f/8,1/8

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Nikon Freak503. 冬の京都9. 光が走ってくる

2021年02月20日 | Kyoto city

 

 年末大晦日の京都の街だ。

 この日、気象予報では日本上空に数年ぶりの寒気団が来ているので積雪厳重警戒とうるさかった。京都市内は朝方雪が少し舞い、積もることもなく消え去った。数年ぶりの寒気団が来たぐらいで京都市内に雪は積もらない。

 この頃、新型肺炎が感染拡大をしているので撮影目的で出かける事はなく、お正月の買い物ついでにニコンDfをかついで・・・。写真は、スーパーに出かけるついでに撮る。

 ココカラファインの店員さんが、あのiPhonのお店を通り越した所にうちのお店がもう一件あります・・、はいいけど、apple直営のコンピュータショップが、今やiPhoneのお店・で・す・か・・・。

 四条通を歩いていたら、高倉通の方向を見ると、通りを朝の降雪で透明感ある空気の中を光が走ってきた。オオッ!、プラナーのための光だ。正面の瓦屋根は仏光寺だろう。背後の黒い雲もいいな。標準レンズ向きの被写体に誘われて、そのまま高倉通を下がり仏光寺へ。

 私は、研究などで海外のフィールドへ出かける目的がないと、撮影したいという意識にならない。だから今はチョコッと見た風景を留めておこう。それでニコンDfとは大げさだが、ズームレンズより軽い標準レンズなので重宝している。

 しかしトライ-Xフィルムと比較すると、平均値的に綺麗な画像だけど、デジタルは写りすぎなのである。隠したいところは思っいっきり漆黒の闇に隠してしまいたいのだ。このあたりがデジタルのダメなところだ。もっともこんなデジタル撮影ならば、iPhonでも十分なのだけど。

 ならばiPhonで撮影した大晦日の夕方の画像もはっておこう。マッサージ屋へ出かける途中での透明感ある光の、京都の大晦日だった。

 

京都市 2020年12月31日撮影

Nikon Df,CarlZeiss PlanarF1.4/50mmT*ZF2

1)ISO100,露出補正0,f/11,1/320

2)ISO100,露出補正0,f/1.4,1/4000

3)ISO100,露出補正0,f/4,1/1250

4)ISO100,露出補正0,f/2.8,1/250

5)ISO100,露出補正0,f/11,1/320

6)iPhon7、ISO20,焦点距離3.99mm,露出補正0,f/1.8,1/1294

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NIKON FREAK501. 冬の京都7.不条理の時間

2021年02月18日 | Kyoto city

 

 ボケた手振れの画像で不条理という言葉を思い出す。

 祗園からも芸妓組合の役員や舞妓さん達から感染者が出ていたので半分ぐらいのお茶屋はしまっている。だから人通りは少ない。そうであれば感染の心配がないので、大手を振って歩ける。道路には、撮影禁止、罰金1万円゛という高札があるが、今時舞妓さんを追いかける人間はいない。というか舞妓さんそのものを見かけない。巷の又聞きでは、実家に返しているとする話も聞いた。今はどうなんだろう?。

 アルベール・カミュの「ペスト」という小説を若い頃に読んだ。次々と感染してゆく様子が、今の時代と重なってゆく。不条理という筋道が通らない事がカミュのテーマだが、感染症は、私達の生活にとって生きる意味をはぎ取る不条理の世界だということを思いだしながら、人通りのない道を選んで歩きつつ、不条理という言葉を反すうしながら、ニコンのモータードライブの金属音をなびかせて、祇園の街を通り過ぎていった。ここには、確かに不条理の時間が流れている。

 感染者数が倍増していたお正月すぎと比較すれば、今は京都市内も20人/日程度。雪があるうちにあの街へ、という気分が強い。それに今年の冬は冷たい冬だ。

 コロナ禍の冬の街である。

 

補記:ポコチン・アメリカ人の不条理!

 私のマック上に英文表記のソフトウェアがある。例えばランドスケープソフトVUEがそれだ。でっ、時折警告やらメッセージやらアップデートの案内が英文で出てくる。それも長い文章で。さてなんだったかなと、わからないコンピュータ用語を調べて意味を解読するほかない。だが仕事をしているときに、そんな横道にそれる気分ではない。

 しょうがないから英文をコピー&ドラッグでGoogleの翻訳へ・・・、できない。ラスター(画像)データなのだ。じゃあ画像をGoogleで読ませて翻訳させよう・・・、そんな面倒くさいことを、没頭している仕事をほかして、する気分になるかい?。私はブログ用の濡れ場を描いている頃かもしれない。あるいは女とセックスをしていて、いくーー、というときに寸止めを食らうようなモノだ。俺をポコチンにさせる気かよ!。

 だから「テキストデータを画像で表示するな!!!」。テキストデータはやはりベクター形式で表示すべきだ。それで訳文をつけてくれたらありがたいけど。

 アメリカのポコチン・ソフト企業よ!!。仕事を寸止めさせてくれるテキストの画像表示は、やめろ!!!!!!!!!!。

 このVUEというソフトを、もう20年以上つかっている。当初は、デザイナー感覚の大変優れたソフトだった。それが映画にも使用するなんてやりだしてから、写真的で実につまらないソフトになった。だから日本では売れない。売れないから日本語ソフトは、とうの昔に廃盤になった。

 映画のなかで、例えばハリーポッターのように地球には存在しない風景が登場したら、VUEをはじめとするいくつかのランドスケープソフトで制作されたモノだ。

 ポコチン・アメリカ人のつくったソフトさぁー!。

 

12月17日 京都市祗園界隈

NikonF3HP+MD4、Carl Zeiss DistagonT*25mm/F2.8、Tri-X 

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NIKON FREAK500. 冬の京都6.望遠レンズという曲者 

2021年02月17日 | Kyoto city

 

 フィルムであれ、デジタルであれ、大きな空間のなかで部分的に切り取って撮影したい風景に遭遇する事がある。そういうとき望遠レンズが必要になる。

 例えば、早朝の燕岳の山小屋から雲海の隙間から朝日輝く安曇野方面を見ていると、ここだけアップにしたいと思ったりと・・・。だがカメラを買えばおまけのようについてくる標準ズームレンズでは撮る気にはなれない。

 それは、解像度が低すぎる上に、焦点距離が300mm以上必要だからだ。

 そして望遠レンズほど高画質が要求される。日本のような多湿な風土では、風景が大いに霞むので、霞んだ風景や湿度まで撮し込める600mmクラスの高画質超望遠レンズが必要になる。600mmの焦点距離ならば野鳥でもスポーツでも風景でも撮影できる汎用性がある焦点距離だ。

製品例でみれば、

Canon EF600mmF4.0 IS USM、182万円。

AF-S NIKKOR 600mm f/4E FL ED VR、162万円。

SONY SEL600F40GM、179万円。

 この3本だけだが各メーカーから出されている。以前は100万円程度だったのに、最近随分値上がりした。夜景まで含めて考えるとレンズの明るさがF4と暗いが、これが超望遠レンズの性能上限なのだろう。

 これらのレンズは、最近手振れ補正がついているので三脚から一脚でも使えるようになったが手持ち撮影は無理。そして大きいから床に置いたり、落としたり、あるいは岩の間に突っ込んだりして使う場面もあり、概してこのタイプのレンズは傷だらけが多い。だからフィールドから帰ったときはサービスセンターに持込んで光軸の調整が必要になる。大概はずれている。

 望遠撮影したければ、この3本しかないが、あとはF値が低いのを我慢して高画質ズームレンズ、それでも400mmまでしかないが。使える望遠レンズは、それぐらいだ。

 それら以外のレンズは、所詮望遠鏡並みの性能しかない。実際使うと画質は低いと私は判断している。

 だから超望遠レンズで撮影するということは、コスト、重量、装備が大がかりになる。よって超望遠撮影はしないと私は決めている。

 超望遠撮影を諦めてしまえば、後は高画質、軽量な単焦点レンズが1本あれば済む。それが私の撮影スタイル。そこで超広角のツァイス・ディスタゴンをつけたフィルム機材を持ち出した。

 そうしてできあがったトライ-X増感処理後のフィルム画像は、余計なモノを暗幕の後ろに隠し、それでいてデジタル機材のような、あるいは色票のblackのような真黒ではなく、限りなく黒に近いニュートラルグレイの絵具に似ている。写真弘社の増感現像は、不用なモノを黒い闇の中へ導き画面が整理されて大変綺麗だ。トライ-Xフィルムは、絵具の真黒を使わないとする私の志向とフィーリングが良いのかもしれない。

 

京都市内 2020年12月

NikonF3HP+MD4、Carl Zeiss DistagonT*25mm/F2.8、Tri-X増感

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NIKON FREAK499. 冬の京都5.単焦点レンズ1本だけ!

2021年02月16日 | Kyoto city

 

 単焦点レンズを1本だけ機材につけて街の散策に出かける。それは精神的にも肉体的にも、そして感性的にも爽快感がある。それにニコンF3HP+MD4にディスタゴン25mmのレンズがよく似合うのである。

 標準ズームレンズじゃアカンのですよ。京都の街を撮り歩いていて感じたことだが、この街は暗いところが多いから、明るいレンズが必須。レンズの明るさはISO1600に設定していてもF2.8でさえ不足を感じる場面がある。

 標準レンズの街歩きでは、広いものは撮れず、といってアップもできない、制約だらけの焦点距離。そこが良い。画角に不満があれば、じゃあどうすればよいかを考える、考える力や感性が試される。それで撮れなきゃ切り捨てる爽快感がある。どうせ撮りそびれても島国の風景など後悔することはない。

 そんなわけで今回のモノクロシリーズは、50mmと25mmの二本のレンズを使用した。どちらも画質は良い。

 これが海外のフィールドにゆくと、時間の少ないなかで撮らなければならないから、28-300mmズームレンズのついたEOS1Dsとなる。街を歩くというよりも通過するといっても良いぐらいの時間しかない事もある。

 さて今のコロナ禍で、いつ海外へ出かけられるやら。おそらくワクチンが世界中に出回れば難なく納まるのだろうけど。

 だから今のうちにほんの少しだけ京都市内の師走の街を走り抜けようと思い立ち、日没が近づく頃出かけていって真っ暗になって、お腹が空く頃、帰ると調度フィルム1本を撮影している。

 最後の祗園のコントラストが高い写真は、余計なモノが漆黒の闇の中に隠されて調度よい。デジタルでは露出補正を-3位にするのだろう。そうすると光のあたっているところも潰れてしまう。こうした粘りがラチチュードの広いフィルムの特性だろうか。

 

京都市内

NikonF3HP+Carl Zeiss DistagonT*25mm/F2.8、Tri-X増感

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NIKON FREAK498. 冬の京都4.現像所があった頃

2021年02月15日 | Kyoto city

 

 フィルム撮影は、フィルムを現像しないと撮影結果がわからないのが宿命だ。だから現像所の存在が重要になる。かっては巷の数多くの雑誌や本などの出版物の写真は、すべて撮影済みのポジフィルムを現像してから編集するので、現像所も大変スピーディーに動いてくれた。

 ポジフィルムの現像は、堀内カラーだと2時間以内に仕上がるから、フイルムを渡して夕飯でも食べていれば現像が仕上がってくるので、受け取って夜中にカッティングやマウント張りをして翌日の講義に使うことができた。夜中も夜間ポストに入れておけば朝には現像されている。個人研究室で現像所に支払った金額が年間30万は超えていた。それでも雑誌社と比較すれば大変少ない。

 デジタル化の今、現像所は大変少ない。今でも堀内カラーにポジフィルムを持ち込めば2時間で仕上げるが、京都市内から撤退してしまった。だから大阪のマイナーな場所にある堀内カラーに出向かなければならない。それはコロナ禍リスクで迷うところでもあり、それに最近モノクロフィルムの現像が下手なのである。多分モノクロフィルムを持ち込む企業等が少ないから現像技術が衰退しているのだろう。

 東京に写真弘社というプロラボがある。ここはスピードよりも仕上がりに重きを置くので、当然現像も綺麗だ。京都だと郵送でのやりとりになる。もちろんネガから印画紙にプリントもするので、写真展を開催するときは、ここを使うのだろう。増感現像も1,300円/本とヨドバシと比べれば500円は安い。撮影フィルムをストックしておいてまとめ出しだろう。

 今はデジタル技術が著しく発達し元の画像と比較にならないほど加工できる時代だ。こちらは、そんなできすぎた加工画像でアートねぇー、という反骨精神はないが、少しフィルムの画像ってどんなんかなと探ったみた。

 最近私はフイルム画像、特に増感したトライ-Xフィルム固有の粒子の見える柔らかい描写、そしてコントラストが高く被写体の背景を隠してしまうのが面白い。フィルムで撮っておけばデジタル化も容易だし、それにフィルムプリントは立派にアート作品にもなり、額装して部屋に飾っても見応えがあるけど・・・。まあ今は手間とコストがかかるんだよね。

 

京都市、東福寺界隈

NikonF3HP+MD4、Carl Zeiss DistagonT*25mm/F2.8、Tri-X増感

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NIKON FREAK497. 冬の京都3.プラナー狂い 

2021年02月14日 | Kyoto city

 

 このブログを書いていると、1990年代製造のニッコール標準レンズの写り方が大変地味だったという記憶を思い出した。撮影したフィルム画像のできばえが根暗。ニコンの標準レンズは大変シャープで優れているけど、その地味さが今一だ。

 なら手元のツァイス・ディスタゴンを使ってみよう。樹木でもテーマにして撮ってみようか。思うに冬のこの街は、モノクロ画像がよく似合う、いやモノクロで十分だ。ディスタゴンもコントラストがあってシャープなレンズだ。

 ところでツァィスの標準プラナーといえば以下の2本がニコンシステムにつけられる。

コシナ製:CARL ZEISS PLANAR T* F1.4/50mmZF2

京セラ製:Carl Zeiss PlanarT* F1.4/50mm

 京セラ製プラナーは、すべてのモノを美しい色に変えてしまうほれぼれとする名鏡玉だが、ニコンで使うのには違う光学系が入ったマウントアダプターをつかわなければならず、それじゃツァイスレンズの味を損ねそうだ。ならばコシナ製のツァイス・フラナーを調達したいなと思わぬ方向へ関心が転ぶ。一寸マニアックなレンズで・・・。

だってマニアだろ!

プラナー狂いだ。

以前ボディを売った現金がまだあった。これを握りしめてカメラ屋に出かけるか。

まてよ、コロナ禍で外を歩くどころではないのに新しいレンズを買うのか?

買わないよ気分だけ、そう思い込ませて外へ出る。

あら、反対方向に歩いて行くではないか。

トレセンは逆だよ!。

足がカメラ屋に向かっている。

どうせ今日は定休日だよ!!

まあ近くを通るだけ。

エレベータのボタンを押しているけど。

休みかどうか確認するだけ。

4階にあがったら店はやってた。

買わないんだろ、店員さん忙しそうだよ。

まあ、冷やかしだよ、冷やかし。

値段はアマゾンと一緒だよ。

安いじゃん。

愛想のいい店員さんにつかまり、コシナ製プラナーの予約をいれちゃったよ。

 

 

左:コシナ製プラナー50mm/F1.4、右:京セラ製コンタックスプラナー50m/F1.4

 

2020年12月 京都市内

NikonF3HP+MD4、DistagonF2.8/25mmT*、Tri-X増感

引用画像依拠:

1)https://www.amazon.co.jp/Zeiss-単焦点レンズ-PLANART1-4-50BKZF2N-822924/dp/B017L9EF80/ref=asc_df_B017L9EF80/?tag=jpgo-22&linkCode=df0&hvadid=266475713420&hvpos=&hvnetw=g&hvrand=15090393962077681853&hvpone=&hvptwo=&hvqmt=&hvdev=c&hvdvcmdl=&hvlocint=&hvlocphy=1009507&hvtargid=pla-440571189099&psc=1&th=1&psc=1

2)https://item.rakuten.co.jp/wonderrex/9264691412233/?gclid=Cj0KCQiA2uH-BRCCARIsAEeef3mtsEuVqWqDaS5v5W_sLq1hsqCtOMojcRriVVfXpUyko1n7DczUv1YaAuq3EALw_wcB&scid=af_pc_etc&sc2id=af_113_0_10001868&gclid=Cj0KCQiA2uH-BRCCARIsAEeef3mtsEuVqWqDaS5v5W_sLq1hsqCtOMojcRriVVfXpUyko1n7DczUv1YaAuq3EALw_wcB&icm_cid=1425338793&icm_agid=54982809494&icm_acid=834-739-7270

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NIKON FREAK496.  冬の京都2. 標準レンズ・・・意味深だ

2021年02月13日 | Kyoto city

 

 絞りF1.4!。背後のボケ寺じゃなくて東本願寺、綺麗にボケまくっていて素晴らしい。

 こんなのが撮れると、あのフィメムカメラを使ってみようか。

 今はデジタル機材が敷衍し、同じ考え方の撮り方しかできなくなってしまった。ズームレンズで被写体をひたすらアップで撮るだけじゃ芸がない。例えば望遠レンズの押し詰まったような効果が生かせる画面づくりをしたいとか・・・。

 特に標準レンズの50mmという焦点距離が意味深だ。そう述べるフォトグラファーは多い。ある時ものすごく惚れ込んで突然飽きる、そして再び戻ってきて惚れ込む、また飽きる。どこかのオンナみたいだ。

 そもそも50mmという視覚の制限があるからこそ、どうやって撮ろうかと考える事に意味があるわけだし、そこをズームレンズのように動かしたら、頭の中はグチャグチャになってしまう。

 撮るのはデジタル・ブログラムではなく人間の感性であって、その感性がはいらないと写真やアートにならないと思うけど・・・。

 だからタスキに短し帯に流しの標準レンズは、タスキのようにも帯のようにも撮れる工夫をすれば興味深いレンズだ。つまり望遠風にも広角レンズ風にも撮れる。

 そんなわけで、フィルムを調達し、ニコンF3HP+MD4を引っ張り出してきた。これでコロナ禍の年末の京都でも撮ろう。隠っていてばかりで、少しは人気のないところを選んで外を歩かないと健康に良くないから、という理由が大きい。

 ニコンの大変地味な標準レンズを開放で使ってみた。もうトロトロにボケているではないか。なんかトロトロ過ぎないかぁー!?。ニコン、地味な女、つまらないセックス、そんな連想ができそうだ。ニコンのレンズってパキーンとシャープだけど、それだけ。カラーで撮るとものすごく地味に写るんだ。たからニコンフリークの女って、イメージできるんだけど、つまり知的でスレンダーで賢そうでっていうのが・・・それなんだけど・・・、そんな女って絶対に抱きたくないよね。

 ニコンの好きな女とニコンは嫌いなのです。

 

2020年11月下旬 烏丸通、京都駅周辺

NikonF3HP+MD4、AF Nikkor50mm/F1.4D、Tri-X

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NIKON FREAK495. 冬の京都1.フィルム機材 

2021年02月12日 | Kyoto city

 

 小説「小樽の翆」も少し長い幕間とし、歌舞伎の1日興業だと、お昼を食べる時間がたっぷりあったかな。だから話題を変えて・・・。

 Amazonからトライ-X10本入りが届いた。870円/本だから妥当な価格だ。そこでモータードライブを付けたニコンF3をもって、少しだけ師走の京都に冬の光を追いかけた。

 トライ-Xは、デジタルのような色票どおりの真黒ではないが、都市には光が回り回っているのだから真黒ということはない。そこをトライ-Xが捕まえてくれる。それでいて余計な風景を、柔らかく包み隠してくれる。

 黒というのは、絵具の黒ではない。実際絵を描くときに黒い絵具は使わないし、私は黒絵具を持ってない。絵具を混ぜ合わせて黒や灰色をつくる。トライ-Xは絵具を混ぜ合わせたような漆黒だ。都市は、どこかしらから光が回ってきているので真っ黒というわけにはゆかない。

 それにシャキーンというモータードライブの感覚にシビれる。これはブログに何度も書いたが、何度も書きたくなるほどシビれる。

 でっ、こんな風景を撮りたいとイメージしながら街へ出ても、これはという風景がみつかるわけではない。ガッカリしてフィルムを現像に出し、戻ってきてからデジタル化して元の画像を復元すると、しょうもない街の風景が、オオッ!、綺麗な絵になっている。ならば、これでブログを書こうという気分にさせて私を刺激してくれる。

 だから撮影するときは、真面目に構図を考え、余計なモノを視界から排除するとか、ファインダーを見ながらクリエイションする必要があり、そうした行為が落ち着いてできる被写体でないと撮影しにくい。そこが興味本位でシャッターが押せるデジタル機材とは異なってくる。被写体の面白さではなく、落ち着いて考えられる被写体であることが重要だ。

 大阪あたりなら面白そうな風景がありそうだが、コロナ禍で、ゆくことままならず。京都だって似たようなもので、いずれ感染者が増えてオール自粛になるかもしれない。そうなる前に少し撮影しておきたい。

 最近街は、どこかしこも小ぎれいになった。小ぎれいは良いけど美しいとする美意識は働かないのが日本の街の姿。だから数少ない絵になるシーンを求めて、こまめに撮り歩くほかなさそうだ。

 さて明日はツァイスのディスタゴンを使おう。このレンズは汎用性があり、今はなきオリンパスEM-1、SONYαでも使える便利なレンズ。17cmまで近接撮影可能。ツァイスレンズだから、フィルム完成後の画像が楽しみ。

 こんな格好が良く堅実に写るジュージアーロ・デザインのニコンF3中古ボディが3万円代。この時代のニコンの地味なレンズだったら5千円程度だろう。それでも合わせてツァイスレンズの半分にも及ばない。機材の価格や仕様ではなく、美しさや感性を刺激してくれるデザインであることが大切なのだ。

 但し高い現像代は覚悟。それともダークバック、現像タンク、あとは現像、停止、定着液があれば自分でも現像できる。実は自分で現像した方が、はるかに安く綺麗だ。だから1回の現像、停止、定着液がセットのパックになっていれば、料理のレンチンみたいに簡単にできたはずだが、そんな機材はつくろうともしないメーカーの怠慢が写真自体の衰退を加速させた。

 透明水彩のドローイングにフィルム機材の組み合わせは、感覚的に良いフィーリングだ。しばらくはまるアイテムになりそうだ。

 

2020年11月28日、七条通、京都駅、伏見

NikonF3HP+MD4,AF Nikkor50mm/F1.4D、Tri-X

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ZEISSの空気130. 梅雨の晴れ間の散歩道8. ツァィス・ブルー

2020年08月05日 | Kyoto city

 

梅雨前線が沖縄まで下がった。

そのおかげて北からの風が入り込み、しのぎやすく空はクリアだ。

空気の透明感は、ツァイス日より。

ツァイスの好きそうな色を、探して歩き回る。

やはり薄暮の頃の空が綺麗だ。

といって被写体は菊水の古いビルかぁー。

路地に入ってみよう・・・。

いつもゆこうと思っているおがわ食堂は満席だ。

最後にみつけた。

トルコ民芸の店頭で照明器具を、これこそツァィス・ブルーだ。

そうかぁー・・・、ツァイスで撮りたいのはイスタンブールの色だ。

イスファハーンやブルーモスクのアラベスク様式・・・。

ニコン用ツァイス・ディスタゴンにも随分となれてきた。

ならば・・・

Distagonをα6000、いやニコンDfでもよい。

α6600にはSONYのツァイスを付けて・・・。

ツァイスのシステムで・・・。

親日国トルコ・・・。

感染危険情報レベル3、渡航は止めてください。

いかれへん・・・。

(記6月23日)

・・・

もう1ヶ月前に書いていたんだ。

特に話題を季節に合わせる必要はないのだけど、今は夏だ。

こんな散歩コース沿いからも感染者が発生していた。

もちろん歩くことは可能だけど、撮影意欲が萎えている。

せっかくツァィスレンズの操作にも慣れてきたところだったけど、もうそんなのはどうでもよいとする気分だ。

それに、ブログの編集画面をみていると、画像ってもう古くさいって感じる。

どうしようかな・・・。

 

京都市東山区・下京区

SONYα6000、Carl Zeiss Distagon25mm/F2.8ZF T*

1)ISO100,焦点距離25mm,露出補正+0.7,f/8,1/160

2)ISO2500、焦点距離25mm、露出補正-1.7、f/4、1/60

3)ISO5000、焦点距離25mm、露出補正+0.3、f/4、1/60

4)ISO6400、焦点距離25mm、露出補正-1.3、f/5.6、1/30

5)ISO6400、焦点距離25mm、露出補正-1.3、f/5.6、1/50

6)ISO100、焦点距離25mm、露出補正-0.7、f/4、1/100

7)ISO100、焦点距離25mm、露出補正-0.7、f/4、1/60

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ZEISSの空気129. 梅雨の晴れ間の散歩道7. 忘れられた135mm!

2020年08月04日 | Kyoto city

 

人によって異なるが、使いやすいレンズの焦点距離がある。

私の場合フルサイズ135mmという焦点距離だ。

この焦点距離だと、ノッポビルのおかげで路地奥の瓦屋根越しの清水寺への美景が隠れちゃう、などと気がついたりできる。

EOSのレンズでは必ず記されている焦点距離だ。

だが安普請のレンズでは、表記がなかったり、レンズ自体が135mmまで届かなかったりする。

実際24-105mmなんていう標準ズームレンズは多い。

手元のツァィスも105mmまでだ。

忘れられた135mm!、である。

表示を飛ばしているニコンレンズでは修正液でマーキングすればよいが、

レンズ自体で届かなかった時は、デジタルテレコンバータという機能がある。

幸いSONYにも、全画素超解像ズームという大仰な仕掛けがある。

要はイメージセンサーに映像が映る範囲を縮小し、画素数を落として135mmで撮影できる。

全画素超解像ズームの拡大率を1.3倍にすると70mmは90mmの画角になる、フルサイズ換算1.5倍で135mmになる。

これで撮影してみた。

あらっ !、連続ブラケットができない。

感度設定をマルチショット・ノイズ・リダクションシステムに設定すると、連続ブラケットができなくなる・・・。

あらっ!、がフィールドで起きたら頭はパニックだ。

予習しておいてよかった。

SONYは、できる、できないが、設定毎にあり、突然使い勝手がわるいことがある。

気むずかしい女と一緒だ。

実写すると高感度の画質の荒さが目立ちやすい。

光情報が少ないというのは、画面からわかる。

APS機材は、ギリギリのところで設計されているのだろう。

やはり光学レンズで135mmを使うべきだと理解した。

アホな実験だった。

そんな努力をして、色気ではなく色を探している。

・・・

今日も6月に書きためた原稿の投稿である。

だから、話題がずれている。

何よりも、今は夏だ。

まだ、今は朝晩がしのぎやすいけど、今後次第に気温をあげてくるだろう。

お盆の頃には、猛暑かもしれない。

といって感染症拡大中の外には出たくないので、エアコンを効かせて家にこもっている。

もちろん面倒くさい撮影をしようという意欲は皆無。

そんなわけで、最近ブログ画面を見ていると撮影画像に興味が薄れている。

撮影画像って、色がきついのよね。

 

京都市東山区、下京区

SONYα6600、Carl Zeiss Vario-Tessar E 4/16-70mmZA OSS T*

1)ISO1250,焦点距離70mm×1.3倍,露出補正0,f/4,1/1000

2)ISO640、焦点距離70mm×1.3倍、露出補正-0.7、f/4、1/1000

3)ISO2000、焦点距離70mm×1.3倍、露出補正0、f/4、1/800

4)ISO4000、焦点距離70mm×1.3倍、露出補正-0.7、f/11、1/125

5)ISO6400、焦点距離70mm×1.3倍、露出補正+0.7、f/8、1/800

 

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ZEISSの空気128. 梅雨の晴れ間の散歩道6. ない!、ない!、ない!、の京都

2020年08月03日 | Kyoto city

 

新型肺炎の規制が全て撤廃され、いつもの暮らしに戻ろうと街は慌ただしい。

梅雨の頃は、まだ木々の緑々とした色が残っている。

北からの冷たい風が、暑くもなくしのぎやすい。

そんななか、街歩きには、よい季節だ。

雨が降れば、それはそれで面白い。

6月の北風が吹く時は、街歩きに大変よい。

今日も、色探しに歩き回る。

だが色が、ない!、ない!、ない!、の京都だ。

普段着姿の舞妓さんの帯は紫なのだけど、やはりここにもカーマインが入る。

間違ってもパリのコルトンブルーの色なんか、ここには登場しない。

パリの色を京都に求めても無理なんだが・・・。

・・・

試写3回目でニコン用ディスタゴンのピントが少し習熟した。

SONYの怪しいファィンダーで使うのには、もう少し練習が必要だ。

ビタッと焦点が合えば、このシステムも使う興味がわく。

・・・

七条のマッサージの帰り、祗園まで足を延ばしてみた。

・・・

実はこのブログは6月に街歩きをして書いた。

もう既に京都は、梅雨宣言が出された後だから立派な夏だ。

こんな撮影ポイントから100mも離れていない散歩コース沿いから感染者がでたし・・・。

そんな風に市内は感染症拡大中だから、街へ散策にでかける気分でもないなあ。

また、しばらく家暮らしが続くんだろうか。

前回の外出自粛の時は外を歩く人などいなかったので、心置きなく撮影散歩ができた。

今は外を遠慮なく歩けるけれど、感染が納まっていないから、出歩きたくない気分濃厚。

家での仕事は山積みだけど、散歩できないので気分転換ができないのが悩ましい。

散歩は、仕事の清涼剤だったな。

 

京都市東山区

SONYα6000、Carl Zeiss Distagon25mm/F2.8ZF T*

1)ISO100,焦点距離25mm,露出補正-0.5,f/11,1/160

2)ISO100、焦点距離25mm、露出補正-1、f/2.8、1/250

3)ISO100、焦点距離25mm、露出補正-1、f/8、1/60

4)ISO100、焦点距離25mm、露出補正+1、f/8、1/60

5)ISO100、焦点距離25mm、露出補正-1、f/2.8、1/2000

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ZEISSの空気127. 梅雨の晴れ間の散歩道5. おっ!、生きてたか!!

2020年07月29日 | Kyoto city

 

夜半に大雨。

新型肺炎の全ての制限が解除された日。

・・・

絵筆をSONYαに持ち替えて・・・・

芳しい映りをしなかったα6000+マニュアルのコシナ・ツァイス・ディスタゴンレンズで再度試写。

ピント拡大機能をボディのボタンに割り振って。

練習しておかないと、フィールドでアチャーという事もあるから。

それでは万事遅すぎる。

だから予習は、必須。

真面目にピントを合わせて撮影したから少しだけ画像がよくなった。

このレンズ、マクロレンズのようにヘリコイドの動きがシビアだ。

練習しておかないと、使いこなせないレンズだ。

最後にいつもの定点スポットで・・・

独特のボケ味、抜けるような透明感、やはりツァイス。

ようやくSONYで使いこなせるところまできたか。

・・・

四条の橋の上でエアロビクス教室の先生と出くわした。

おっ!、生きてたか!!・・・。

4ヶ月ぶりに顔を合わせた。

これからスクールよ・・・

7月からまたよろしく!、・・・

そういってすれ違った。

京都の街は、いつものように動きだした。

(記6月20日)

 

京都市東山区

SONYα6000、Carl Zeiss Distagon25mm/F2.8ZF T*

1)ISO100,焦点距離25mm,露出補正-1,f/2.8,1/80

2)ISO100、焦点距離25mm、露出補正-1、f/2.8、1/60

3)ISO100、焦点距離25mm、露出補正-0.5、f/2.8、1/100

4)ISO320、焦点距離25mm、露出補正-1、f/8、1/60

5)ISO500、焦点距離25mm、露出補正0、f/8、1/60

6)ISO1000、焦点距離25mm、露出補正-0.5、f/4、1/60

7)ISO100、焦点距離25mm、露出補正-1、f/4、1/100

 

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ZEISSの空気126. 梅雨の晴れ間の散歩道4. 俗っぽく

2020年07月28日 | Kyoto city

 

いつもマッサージ屋へゆく散歩道だから、同じような被写体を撮影している。

ただ今日は、すこぶる晴天というか、暑い。

色のない街だから、じゃあ俗っぽい色でも撮るか・・・。

感性のない色ばかりか。

・・・

京都市内も、快適なのは朝の10時位まで。

屋根瓦のぎらつく照り返しが猛暑の予感。

オバ半が、かがめてくれるけど当然映っている。

カメラの前を通り過ぎるとき、身をかがめるというのが人の習慣だろうか。

どんなにかがめても、映るけど。

・・・

梅雨空の合間に出歩いたけど、ツァイス好みの色がない。

 

京都市下京区

SONYα6600、Carl Zeiss Vario-Tessar E 4/16-70mmZA OSS T*、Carl Zeiss Distagon25mm/F2.8ZF T*

1)ISO100,焦点距離33mm,露出補正+0.3,f/4,1/800

2)ISO100、焦点距離51mm、露出補正-0.5、f/4、1/320

3)ISO100、焦点距離70mm、露出補正-1、f/8、1/250

4)ISO500、焦点距離25mm、露出補正0、f/8、1/60

5)ISO100、焦点距離70mm、露出補正+1、f/4、1/320

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