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Recapitulation of Covenantal History
The Letters to The Seven Churches
Part Two: The Seven Letters
The Days of Vengeance
David Chilton
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黙示録2-3
5.サルディスにある教会(3 :l-6)
この箇所のイメージは、後半の預言的期間から王国の終わりまでの期間に由来する。
この間、不従順な契約の民は打ち負かされて、捕囚に捕られた。
この教会の「生きている」という評判は、実は「死んでいる」というものだった。
「目を覚ませ」「とどまっている者たちに力を与えよ」という激励。
信仰心のある少数の者たちは皆、背教の時にあって、残されし者たちという預言的ことばの記憶 (Isa. 1:5-23; 6:9-13; 65:8-16; Jer. 7:1-7; 8:11-12; Ezek. 37:1-14)。
エレミア8:11-12
Jer 8:11 彼らは、わたしの民の娘の傷を手軽にいやし、平安がないのに、『平安だ、平安だ。』と言っている。
Jer 8:12 彼らは忌みきらうべきことをして、恥を見ただろうか。彼らは少しも恥じず、恥じることも知らない。だから、彼らは、倒れる者の中に倒れ、彼らの刑罰の時、よろめき倒れる。」と主は仰せられる。
身近に迫る裁きに対する警告 (Isa. 1:24-31; 2:12-21; 26:20-21; Jer. 4:5-31; 7:12-15; 11:9-13; Mic. 1:2-7; Zeph. 1)。
イザヤ26:20-21
Isa 26:20 さあ、わが民よ。あなたの部屋にはいり、うしろの戸を閉じよ。憤りの過ぎるまで、ほんのしばらく、身を隠せ。
Isa 26:21 見よ。主はご自分の住まいから出て来て、地に住む者の罪を罰せられるからだ。地はその上に流された血を現わし、その上で殺された者たちを、もう、おおうことをしない。
6.フィラデルフィアにある教会(3:7-13)
エズラとネヘミアの下でバビロン捕囚から生還したことが、このメッセージに反映されている。
礼拝堂とエルサレムの再建、そして神殿のイメージが書かれている(cf. the prophecies of Haggai, Zechariah, and Malachi)。
捕囚から生還したユダヤ人のようなフィラデルフィア人は、少しばかりの権力しかなかった。
ユダヤ人か、ユダヤ人ではないとする、サタンの礼拝堂に関する記載は、偽ユダヤ人との闘いを思い起こさせる(エズラ記4章、ネヘミア記4,6,13章)。
来たるべき「試練の時」(それは全世界に到来しつつあったが)への警戒は、その地に住む者たちに対するものだった。
アンティオコス4世エピファネスの下で苦しめられていた艱難を思い起こす (cf. Dan. 8 and 11)。
しかし、キリストは勝利者に約束する。
彼を神殿における柱とし、新エルサレムの祝福を共有する者とすることを。