みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#77 終末預言 by R.C. Sproul

2022年04月09日 | 終末預言 
R.C. Sproul: Post-Christian Christianity

訳出時間枠:13分54秒から17分29秒まで

◇◇

カントが言っているのは、もし神がおられるとしても、私たちはそのことについて何も知ることができないということ。

何故なら、私たちは本質世界へと至ることができないからです。

かつて、劇作家レッシングは言いました、「知覚世界と本質世界との間には架橋できない深淵がある」と。

これはレッシングの溝として知られています。

その溝は広すぎるために渡ることができない。

それは深すぎて下りることもできない。

この2つの世界の間に横たわる深淵を渡る方法はない。

次に、このことを論証しようと思います。

神の存在に関する古典的、伝統的、知的な批判が数多くありました。

そのような議論は、中世の大学において、大学間の接触を促す接着剤の役割を果たしていました。

当時、神学は科学の女王であり、一方哲学はその女中と言われていました。

しかし、神聖さにおいて、女王の権威は押しのけられただけでなく、基本的に追放へと追いやられたのでした。

数多くの人々が満足いくように、大学は議論に議論を重ねました。

神の存在に関する古典的な議論、宇宙論的な議論、目的論的議論、存在論的な議論、神の存在に関する道徳論的議論など、超越的現実に関する真の知識を得ようとする試みはすべて失敗に終わりました。

それは革命的なことでありました。

何故なら、それに先立ち、全世界の人々が有神論者ではなかったけれども、ヨーロッパの大学の教授全員が神の存在を認めていたからでした。

神の存在を否定することは、政治上間違っていたのです。

何故なら、神の存在に関する議論は、当時の人々の注目を浴びていたので、理性のある、学識ある人はそれらの議論に決着を付けようと思い切って挑戦したのです。

カントが純粋理性批判を提唱したが故に、私は今日ここに来て彼を誉めるか、あるいは葬り去ろうとしているのです。

しかしながら、この偉大な分岐点を指摘して、さらに話を続けていく前に、一言言っておきたいことがあります。

私に言わせれば、確かにカントは自分が提唱した批判は正当であると確信していたようです。

スティーブン・マーヘルに依頼して、カントの疑いという本を書いてもらいました。

というのも、カントは2つの点について疑いを持っていたのです。

忠告:

巷でも噂となっているようだが、帯状疱疹と癌の頻度が激増している。
あれのせいで自然免疫がズタズタにされているためではないか・・。
ついに始まったかという印象。
血反吐が出るくらい祈るべき時ではないかと思う。














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