みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#6 再臨 The Second Coming: Wrath and Rescue, NO.3

2024年08月26日 | 再臨

The Second Coming: Wrath and Rescue

2分53秒から8分00秒まで。

*大変難解な内容が続く。誤訳、誤読、誤解しないように注意が必要。

◇◇


主のこの日に、悪に対する焔の裁き、そして癒しと飛び跳ねるような喜びが、2,000年を隔てて2段階にわたって存在するであろうという明確な預言は旧約聖書にはない。

旧約聖書における預言的な見解は、神がこの世にもたらしている出来事における広がりにおいて、近くにある山と遠くにある山を見ている。

彼らにとって、その2つの山の配列は一時的におぼろげ。

すなわち、神は、神に関する将来の出来事の山々についての真実、朽ちることのない出来事を見たり、ことばにすることを許された。

しかし、神は、山々の間に谷間が存在するのか、谷間がどれほど広いのかを知ることはお許しにはならなかった。

彼らは教えることができない。

しかし、その日はやって来る。

かまどのように燃えている。

義の御子が、ご自身の翼の癒しを携えてよみがえる。

救い主イエスは、かまどが燃えているようではなく、ご自身の敵を踏み付けることもなく、しかし、癒しを携える義の御子としてやって来る。

主は、栄光ある困惑を創造した。

栄光あるとは、すなわち、主は、来られ、この世で生き、死に、復活し、降りて来られ、統治するからである。

主は、ただの一回だけ、途方もなく素晴らしい事々を、私たちのために成し遂げた。

1Pe 1:12  彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのための奉仕であるとの啓示を受けました。そして今や、それらのことは、天から送られた聖霊によってあなたがたに福音を語った人々を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。それは御使いたちもはっきり見たいと願っていることなのです。 

困惑であるとは、すなわち、聖徒たちにおいて、創造において、それらの成就の完了がいまだ到来していないということ。

それが何時完了するのか私たちには分からない。

すべての選ばれし人たち、全時代において信じる万人の買い取り、すなわち贖いは、ただの一度だけ、すでに完全に支払われた。

主は、ただの一度だけ、時代の終わりに現れ、ご自身を献げることにより罪を取り去った。

Heb 9:26  もしそうでなかったら、世の初めから幾度も苦難を受けなければならなかったでしょう。しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。 

死に至るまで従順だった。

「完了した」と言われて、息を引き取られた。

ローマ書5章で、パウロはこう書いている。

「一人の従順によって、多くの者たちが義と定められた。」

Rom 5:19  すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。 

メシアの初臨において、罪の処罰と義の供与は完了した。

その買い取りとその完成は、決して改良が加えられることはない。

主であり救い主、人生で最高の宝であるキリストにある信仰によって、主イエスにつながれるなら、今この時代、すなわち主の再臨を望んで、今以上の赦し、今以上の義は必要ない。

この成就は驚愕すべき事実。

これはすでに成し遂げられた。

栄光ある困惑。

困惑とは、私たちは信仰によってすでに救われてはいるが、私たちの現実の救いは、私たちが最初に信じた時よりもさらに近くにある。

Eph 2:8  あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。 

Rom 13:11  あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行ないなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。 

私たちは神の御子の王国に移されてしまっているけれども、しかし、私たちは御国をまだ相続してはいない。

Col 1:13  神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。 

Gal 5:21  ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。 

私たちは神の家族に養子縁組されたけれども、子となることを待ち望んでいる。

Gal 4:5  これは律法の下にある者を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです。 

Rom 8:23  そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。 

神によって、私たちは永遠に完成したけれども、しかし、今も完成しつつある。

Heb 10:14  キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです。 

Gal 3:3  あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。