みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#91 終末預言 by R.C. Sproul

2022年05月01日 | 終末預言 

Jesus Walking on Water (Mark 6:45–56) — A Sermon by R.C. Sproul

訳出時間枠:6分22秒から12分4秒まで

◇◇

ここで、イエスの地上での宣教活動を通して起きた出来事に基づいて、3つの推察をしてみようと思う。

通常反応と一致するものと、この場面で起きたと思われる群衆の反応に対するイエスの反応との相違に関することであります。

数分間我慢して頂ければ、その推論は後半で満足しうるものになると思います。

群衆を解散させた後、イエスは何をしたでしょうか。

彼は群衆から離れ、祈るために一人になれる場所へと退きました。

さて、そのことについては、特にユニークなことはありません。

イエスは祈りの人でありましたが、聖書の中でイエスの祈りの場面はたった3回しかなかったということを知って驚く人がいるでしょう。

イエスが祈ることを書き記している特別な個所がこの箇所であります。

イエスの祈りの場面に関して注目すべきことは、すべての場面において、イエスはひとりであり、寂れたところへ引っ込み、群衆から離れて、弟子からも離れるということ。

ゲッセマネにいた時、弟子たちを呼びに行く前に一晩祈っていた時、そしてこの場面の時のように、彼の上に迫りくる何らかの危機があります。

そして、その危機は、彼の使命、任務と関係している場合がほとんどであります。

ご自身の任務遂行のために必要な弟子たちの選択が最初でした。

そして、この場面と、先に申しましたように、彼の任務である御父の御怒りで満ちた盃を飲干すというゲッセマネの場面でありました。

しかし、ここでは、イエスは引っ込んで、群衆から離れ、弟子たちからも離れて、長時間祈りに時間を費やしましたが、これは明らかに彼の任務の範疇であります。

「さて、夕方となり、舟は湖の中央にいた。彼はひとりで陸地にいた。そして、弟子たちが懸命にオールを漕いでいるのを見た。向かい風だったからだ。さて、夜の第4の時刻頃に、イエスは湖の上を歩いて彼らの下へとやってきて、彼らを過ぎ去ろうとした。」

この節から最後までは、次の2週へと続いていこうと考えていましたが、少し急いで今朝でこの箇所を終了しようと思います。

イエスが山での祈りから戻ると、ガリラヤ湖へと目をやった。

すると、遠くに、対岸までまだまだ距離がある地点に弟子たちがいるのが見えた。

何故なら、ひどい向かい風が彼らに吹き荒れていたからでした。

イエスは、彼らが懸命にオールを漕いでいるのを見た。

その時、逆巻く水のために渡リあぐれていたのでした。

弟子たちは何とかオールを漕いで乗り切ろうとしていた。

イエスが彼らの状況に気づいた時、ここで、straining(懸命)と訳されたことばが使われていて、このことばは、他の箇所ではtorment(苦痛)と訳されています。

この風の中でオールを漕ごうと、彼らが経験していたその痛みは、まさにexcruciate(心身ともに感じる苦しみ)であったのです。

その風とは、現地の人々にはshargiyahと呼ばれる東風、英語ではシャーク(サメ)という意味、として知られていました。

これはJawsの新約聖書バージョンであり、但しこの場面ではシャークとは魚ではなく風の事であります。

しかし、結末はほとんど同じことのようです。

そこで、弟子たちが困り果てているのを見て、陸を離れて彼らのところへと歩き出しました。

彼は湖の上を歩いたのです。

ここでちょっと時間を頂き、そのことについて一言言わせてください。

テキストにおいて使われていることばは、マルコが言っていることに忠実であり間違いはありません。

使用されていることばはon top of the water(水面の上を)であります。

つまり、確かにイエスは死ぬべき体を持つものが決してすることができない何かをしたということになります。

先週私は言いましたが、19世紀、欧州リベラル派は聖書の記述から超自然的な個所を削除し、聖書の無謬性を攻撃しました。

アルバート・シュバイツァーに代表される学者たちは、「歴史的イエスの追及」において、「まあ、水を跳ね上げる風の強いその夜は、何もかもおぼろげだったにちがいない。イエスがそこにいたのは、第4の時刻、すなわち、朝の3時頃、あるいは朝の6時頃ということであり、濃霧のために弟子たちは目の錯覚に陥っていたのだ」といって、この特別な出来事を説明しています。

賛美:

10,000 Reasons (Bless the Lord) - Matt Redman (Best Worship Song Ever) (with Lyrics)

 

 

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